国木田独歩「忘れえぬ人々」
『親とか子とか又は朋友知己其ほか自分の世話になつた教師先輩の如きは、つまり、たんに忘れ得ぬ人とのみはいへない。忘れて叶(かな)ふまじき人といはなければならない。そこで此處に恩愛の契(ちぎり)もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、本來をいふと忘れて了(しま)つたところで人情をも義理をも缺かないで、而も終(つひ)に忘れて了ふことの出來ない人がある。世間一般の者にさういふ人があるとは言はないが少なくとも僕には有る。恐らくは君にも有るだらう。』
補正を終えた。思ったよりも少なくて済んだ。若干の送り仮名と句読点除去、変換漢字はほとんど問題ないようであった。
スイス行きは、今日の医師の診断に任せるつもりであったが、OKが出てしまった。旅行社も、空港担当者に事前連絡するから問題ないと言う。妻は行けることになって喜んでいる。僕は、職場の英語のALT(外人講師)達に、モノホンを見せ、どう説明するかも聞いたが、僕本人は、やはりかなり気が重い……。彼らの一人は、思った通り、ボルト部分をライク・ボムと言った。更に、言っておくと、実は、骨頭へ刺さっているピンは、無理にやれば自分で『抜ける』のだそうだ。これは、黙っておくことにする、と日記に書こう。
今現在、箸も鉛筆全く持てないと言っていい(どうもボルトの補正をしてから、手術直後よりも難しくなったし、握力の低下が著しい)し、シャワーで左手を洗うことは全くできない。ボタンをつける、トイレでケツを拭く、ドアを開ける、食事をする、みな不自由。これでおまけにトレッキングするというのは自殺行為だとある同僚は言ったが、それで、本当にすっきり死ねるのなら「めやすかるべけれ」だが、左手首骨折なんかになった、両腕を厚ぼったい包帯に巻かれたイメージを思い浮かべると、これはアメリカ映画の三流コメディだ。
まあ、しかし、歩行運動も禁じられ、悶々として家にいても、酒飲むばかり、遠からず内から壊れそうだ。しゃあない、行くか。
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