清からの絵葉書
淸から繪葉書を貰ふた。淸は髮を當り乍ら神妙な顏をして、鏡の中の俺の面を凝つと眺めてゐるので、何だと云ふたら、坊ちやまはちやんと腕のリハビリに精をお出しになりますか等と染々聞いてくる。默つてゐると鼻面に突然繪葉書を出すから驚くりした。そいつは猫を眺めてゐる黑タイツの廿歲見當の女の寫眞で、鹿みたやうな途轍もなくすらりとした足と長い黑い髪で微笑むでをる。最近の活動寫眞の女優だらうと思ふたが、こんな美人はとんと知らないので、こいつあ誰だと聞くのに、淸はこの方に賴まれたら坊ちやまは何でもする筈で御座ゐます等と言ふて又神妙に一人ごちしてゐる。焦れて裏を返へすとジヤンヌ・モロウと書いてあるから、椅子から轉げ墜ちて叢の雌の鈴蟲に食はれさうになる程二度驚くりした。鼻に懸かつた聲でさうで御座いましよと淸が云ふので、憮然としてまあさうだと答へると、今度は、精をお出しになりますなら、よござんす、差し上げませうと勿體振るので、大いに癪ではあつたが、俺の中の神佛にも等しいモロウの、遂ぞ見たこともない若年の美麗なる其れは、背や腹どころか右腕だつて換へられぬ。俺は調髮を終へた淸に五體倒地する思ひで腰を曲げ、淸も惜しさうに出し澁りつつ、懷紙に包んで折り曲がらぬ樣に胸の隱しに入れて吳れた。俺は歸り道、淸に又借りが出來たと、越後の笹飴を手に入れる算段を呆つと考へ乍らも、然しけふの淸は今迄で一等意地惡でもあつたなとも思ひつつ莨を吹かした。
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