「鬼火」のこと
以前にも書いたが、この名は、ドリュ・ラ・ロシェル/ルイ・マルの“LE FEU FOLLET”と、李賀の「南山田中行」のイメージから付けた。原作も映画も、何度見、読み返したか分からぬ。そうして、そろそろ、“LE FEU FOLLET”論を書かねばならぬと思っている。と言うより、20歳の時に見て、今の僕にしてやっと、 Alain Leroy について書けるという実感が湧いてきた。これは、きっと、他者から見れば、不幸なことなのかも知れぬ。しかし、それは梶井風に言うならば「今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる亡霊のアランと同じ權利で、花見の酒が呑めさうな氣がする」のだ。
今日は、生徒は秋期休業、途方に暮れていた仕事もこなせたから、僕も休んだ。これから、伊豆に湯治に行く。