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2005/09/29

伊東靜雄 春のいそぎ 『反響』以後

伊東靜雄の詩集「春のいそぎ」と「『反響』以後」全篇を「心朽窩」に公開した。既にある「伊東靜雄拾遺詩篇」と、以前に紹介したサイトの代表詩集「わがひとに与ふる哀歌」「詩集夏花」 「反響」の三作を合わせて、これでWeb上でとりあえずほぼ全ての伊東靜雄の詩が読めることになる。

若干気になるのは、「青空文庫」のものが、新字体であり、「つれづれの文車」版「反響」が一作品単独ページの作りとされていることである。

後者は女性の手なる、美麗なレイアウトの素晴らしいサイトで、新参者の僕は羨望さえ感じる。が、詩集を通して鑑賞するのには、やや不便ではある。

前者について述べると、電子テクストの開拓者であり、僕も大いに恩恵を蒙っているのだが、しかし、この作品に限らず、「青空文庫」の方針上、入力者が自由に底本を選べるという特色が、テクストの信頼性にやや疑問を生じるのではないかと、僕は常々考えている。

即ち、誰もが気軽に入力できるという、ある側面から見れば、素晴らしい取り決めが、極めて小さいとは言いながら、思わぬ誤読を生み出す可能性を排除できないのではないかという懸念である。付け加えると、古い作品では普通に行われる校合がなされないことも、やや気にはなるのだ。但し、ここの伊東靜雄の両詩集は日本図書センター版が用いられており、それ自体の底本価値が高いことへ疑義を持つものではない。ただ、この本は、ページの最下部にその「凡例」が示されているように、まさに編集者の「判断」により、正字が新字に改変されているし、改変非改変の「判断基準」も『正字(旧字体)を生かしたものある』(注:下線やぶちゃん)と、微妙にブレがあるような記載である。やっぱり気になるのだ。広く公開される以上、まず、その底本とすべきは、やはり、決定版の全集、初版(又はその復刻)であろうし、それだけでは、古い書籍の場合、逆に単純な誤植があるわけで、やはり複数の、(一方はなるべく新しい出版物との)校合が望ましいとも思うのである。

勿論、「青空文庫」には、そのために校正者もおり、誤植や錯文等の表記ミスを連絡するシステムもある(ただ最近休止中であり、また、僕の体験から言うと、ものによっては、訂正までに底本確認や判定の討議で、思いの外、時間がかかり過ぎるのはちょっといただけなかった)ので、大きな誤読に発展することはないとは思う。しかし、最適のテクストとは言えないものが底本とされた場合は、リスクは排除できない。

されどこれは、自分の電子テクストの校正ミスを棚上げにしての意見であり、ちゃんちゃらおかしいと言われれば、尤もである。また定本の厳正という観点からも、「伊東靜雄拾遺詩篇」の「VERKEHRSINSEL 銃」の注記にも書いたが、人文書院版定本全集は、定本と冠するにあるまじき噴飯ものの誤植があって、それらを冠していても、信頼におけるとは言えないことも実感した。

ただそれを措いたとしても、正直言うと、芥川龍之介や伊東靜雄といった、僕の偏愛する作家の文章に対する文字への愛撫感覚は、如何ともし難い拘りがあり、やはり正字体で読みたいのである。これも厳密には、表記できない字が実はゴマンとある訳だが、それでも江戸川乱歩の「虫」は「蟲」でなくてはならないし、「薮」なんて字は漢和辞典に、本当はないんだ(ちなみに、「青空文庫」にはそのような感覚の方が居られ、旧新字体の二つが公開もしくは作業中となっているものもあるのは、大変好ましく思っている)。

さすれば、やはり自分で納得のゆく ものを創るに若くはなく、それが出来ることも、このネット世界の面白さなのであろう。而して、向後、「わがひとに与ふる哀歌」「詩集夏花」 「反響」の三作品も含めた、僕なりの伊東靜雄のWeb全詩集を目指すこととする。

これは、電子テクスト・サイトへの物言いでもなんでもないのであって、実は、何か、そんな目標でも創らないと、「じつと手を見る」ばかりだから、なのである。

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