芥川龍之介 人と死と
切開部と腫脹の状態がよいので、ギブス固定をするという。先生が一声、「ギブス、入ります!」とコールした……
*ここで僕は回想した……
2~3歳の頃の結核性カリエスのコルセット製作、僕の中の記憶……
まずは、新宿駅を降りよう。青空市で無数の露天商が色とりどりの菓子をこぼれそうな程の山にして売ってるところを通って、朝の酒場通りを抜ける。或る時、猪が二匹届けられていた。豚好きの僕は、その無惨に撃たれて転がっている猪を、愛おしく撫ぜてやったのを忘れない……
昭和30年初頭当時の新宿の東京女子医大に、さあ、僕と、正面玄関から入って行こう……
入って、真っ直ぐ行き、左に折れると、しょっちゅう行かされる放射線科があった。老技師は毎回、撮影機の前の高い処にある小さな観察窓を指して、「坊や、あそこから鳩が出るよ」と言った。鳩なんか永久に出ないのはとうに分かってる。でも素直にいつも同じ姿勢で窓を見てた。ちなみに玄関を折れずに進むと、いつもガランとした人気の無い廊下と、閉じられたガラス扉があった。精神科病棟だった。コルセットを作った処置室は、玄関右手の売店(いつも帰りにここでずんぐりしたビンのヨーグルトを買ってもらうのがお楽しみだった)の横の廊下の右側、奥から二番目だった。ちなみにその廊下を挟んだ向かいの処置室は、お尻の大きな黒子を西郷隆盛みたいな皮膚科の先生に除去してもらった部屋だ。さて、やっとたどり着いた……コルセットの処置の話……
行き交う看護婦、全身に巻かれる包帯。僕はミイラ男になった……
首筋からかなり熱いどろどろの石膏が盥で流し込まれる……
もうもうとする蒸気。耳元のあやす看護婦の声。支えている医師が助手を叱る。器具がタイルに落ちる鋭い音。天井のライトも雲上の陽のようだった……
ああ、あの左上半身を覆うコルセット、左手が腹部から前へ90度しか動かせない奴、僕の左腕は卒園までいつも流行のイヤミのシェーをしていたのだったな……あれ、いやだったな、夏には汗疹が出来てさ……
*……ここで我に返る
……みたいな石膏固めを予期していたら、今や、すべてがテープ状なのだ。数分で綿に巻いたテープ状の物質がカチカチのギブスになるんだ。僕は気がついたら、電動カッターで窓を作ったりしているのを、興味深々、あの頃の子供のように、にこにこしながら見ていたよ。
***
今日、芥川龍之介の「人と死と」を「やぶちゃんの電子テクスト集:小説篇」にアップした。「僕との因縁のサイトへのリンク」で示したえんどうさんのサイトを久し振りに見ているうち、絵本の中の上記作品が、Web上唯一のテクスト化であることに気づき、1978年刊岩波版旧全集と校合してみたところ、残念ながらテクストに重大な脱落が認められた。断片であるが、本話部分よりも妙にPROLOGUEが忘れがたい(電子テクスト化に際し、えんどうさんの絵本のテクストを加工・訂正用ベースとしたことをお断りしておく)。
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