忘れ得ぬ人々 5 反「蜜柑」
教員になったその年だった。冬の午後、初めてのボーナスを懐に、久し振りの神田に出かけた。
学生時代に手の出なかった二冊を買った。青木書店で原田憲雄「李賀論考」大枚3万円、文庫川村で岩波の伊良子清白「孔雀船」1000円。
おまけに、明大前のディスク・ユニオンでBud Powellのパーソネル不詳、ラストレコーディングとされる「アプスンダウン」の洋盤を発見
(これは中古レコードで、山の中に隠れており、検盤してみたが無傷の美品だった。確か1650円、今は容易にCDで手に入るが、パウエル好きなら分かってもらえると思うが、当時としては大変な掘り出し物であった。ぼろぼろの演奏だけど、ぼろぼろ泣きながら聴きたくなるアルバム。僕のパウエル愛聴盤ベスト3の一枚)
完全に舞い上がって至福の頂上に立った思いだった。
ルンルン気分でも金を使い果たしたので、夕食はディスク・ユニオン近くの立ち食い蕎麦で済ませることにした。「心があったかけりゃ、それでいいさ!」と口に出して言ったような気がする。
ありがちなスタンド。誰もいない。二十歳そこそこのちょっとふくよかな女店員は、ひどく陰鬱な顔をしていた。きつね蕎麦を注文して、食べ始めた。
彼女はカウンターの中の、丁度僕の目の前の椅子に横向きに腰掛けると、左手の大きなパケットに入った油揚げを、調理用の小さなパックに箸でつまみあげては移し始めた。
「本当に……辛いんだよ……お母さん……毎日毎日……おそばやおうどんを作るだけ……本当に……もう帰りたい……田舎に……お母さんや妹に……会いたいな……本当に……生きてても……なんにも……楽しいことなんか……これっぽっちも……ありゃしない……本当に……辛いんだよ……」
油揚げをつまんでは、うつむいたまま、一言づつ。僕の耳には、その目の前の人に語りかける口調のモノローグが、はっきり聞こえた。
金を払うとき、僕は何か励ましの言葉を捜したが、受け取った彼女の目は、僕の背後のずっと彼方に焦点を結んで僕の存在すらなかったのだった。
夜の街に出ても、賑やかなざわめきが遠くのものに聞こえ、木枯らしが身に沁みた。そうして、さっきまでの己が有頂天が、何だか罪深いものに思えてきた。煙草が、妙に苦かった。
25年前、1979年の暮の出来事。
*
言わば、これは芥川の 反「蜜柑」 だ。
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