我が息子来日
妻が日本語派遣教師として南京大学で教えた時の、中国人の劉君が仕事で来日した。水曜日に会える。山奥の村、大学生が出たのは彼が初めて。いつかしっかりと書きたいが、まさに粒粒辛苦の辛酸を嘗めてきた子である。中国を訪れた時には、何日もの間、ずっと僕等と行動を共にし、案内してくれた。僕にとっては、間違いなく息子である。曰く言い難く、楽しみだ。
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妻が日本語派遣教師として南京大学で教えた時の、中国人の劉君が仕事で来日した。水曜日に会える。山奥の村、大学生が出たのは彼が初めて。いつかしっかりと書きたいが、まさに粒粒辛苦の辛酸を嘗めてきた子である。中国を訪れた時には、何日もの間、ずっと僕等と行動を共にし、案内してくれた。僕にとっては、間違いなく息子である。曰く言い難く、楽しみだ。
青空文庫版は新字新仮名で、僕のポリシーに反する。さても、自己拘束の次なるは、旧字旧仮名の「藪の中」のテクスト・アップとする。
僕のライフワークの一つ、芥川龍之介の「藪の中」の最新の授業ノートを、『「藪の中」殺人事件公判記録』としてトップに公開した。
昨夜、2年前の懐かしい教え子の名前が連なったメールをもらい、皆でHPを覗いてくれたとのこと(どこから回った情報かしら?)……その中の一人の僕の授業への望外の褒め言葉等に赤面しつつも、大層嬉しく思った。何かプレゼントしたいが、こんなものしかありません。まあ、僕の現代文を受けられなかった方もいるでしょう。受けた人は、少しは懐かしく思ってもらえるでしょうし、多少はあの頃より、マニアックに進化させたつもりです(特に後半がお薦め!)。御笑覧の程!
仕事が終わって、同僚とワインを2本呑んで(ちゃんと時間外のプライベートですぜ。ちなみに、他人と外で酒を飲んだのは、ギプスが外れて以来初めてだ。それほど、一緒に飲んだ男は、僕が信頼している男だと言うことさ)、夕方に電車に乗ったら、僕の秘蔵っ子の真面目な元教え子に逢う。酔っていることが、まず恥ずかしいが、さても彼にやっぱり「毎日、先生のブログは見てますが、暗いっすよ!」言われた。明るくするから、まあ、又、呑みに行こうぜ!
中学生に、たった40分で講義をした。僕にしては珍しい、応答形式だ。8人だったが、楽しい一瞬だった。やったのは、HPで公開している「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」の1(エキサイトし過ぎて、もう一つの同話を記載した「梅の塵」のプリントを配り忘れちゃったな。今日の生徒さんよ、もし、ここを訪れたら、ごめんね)。あんまり、喜んでくれたので、僕も、はめを外した。「楽しい学校だよ! 是非、いらっしゃい!」
冬の蠅とは何か?
よぼよぼと歩いてゐる蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思つてゐるとやはり飛ぶ蠅。彼らは一體何處で夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失つて來るのだらう。色は不鮮明に黝んで、翅體は萎縮してゐる。汚い臟物で張り切つてゐた腹は紙撚のやうに痩せ細つてゐる。そんな彼らがわれわれの氣もつかないやうな夜具の上などを、いぢけ衰えた姿で匍つているのである。
冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがひない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲んでゐた彼等から一篇の小説を書かうとしてゐる。
*
そんな或る日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がゐなくなつてゐることに氣がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考へた。恐らく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかつた間に、彼等は寒氣のために死んでしまつたのではなからうか。それはありさうなことに思へた。彼等は私の靜かな生活の餘徳を自分等の生存の條件として生きてゐたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐んでゐた間に、彼らはほんたうに寒氣と飢えで死んでしまつたのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまふきまぐれな條件があるやうな氣がしたからであつた。私は其奴の幅廣い背を見たやうに思つた。それは新しいそして私の自尊心を傷ける空想だつた。そして私はその空想からますます陰鬱を加へてゆく私の生活を感じたのである。
(梶井基次郎「冬の蠅」より 筑摩書房版全集による冒頭と末尾)
*
だからね、言ってるだろ、
人間をやめるとすれば冬の蠅
どうして引返さうとはしなかつたのか。魅せられたやうに滑つて來た自分が恐ろしかつた。――破滅といふものの一つの姿を見たやうな氣がした。なるほどこんなにして滑つて來るのだと思つた。
*
歸つて鞄を開けて見たら、どこから入つたのか、入りさうにも思へない泥の固りが一つ入つてゐて、本を汚してゐた。
(梶井基次郎「路上」より 筑摩書房版全集による)
***
女生徒に、ブログを見ましたと言はれて、「済みません、最近、暗くて」と答へて、笑はれてしまつた。少しは、明るくせねばならぬとは思ふのですが……。けふの引用も暗いですね。
何故こんな事になつたのだらう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
*
この氣持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成つた者でなければ。
*
己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だった。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。今思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。人生は何事をも爲さぬには余りに長いが、何事かを爲すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。己には最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己(おれ)の頭の中は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいゝのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。さういふ時、己は、向ふの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己は昨夕も、彼處で月に向つて吼えた。誰かにこの苦しみが分つて貰へないかと。しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮(たけ)つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の氣持を分つてくれる者はない。丁度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかつたやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
(中島敦「山月記」より 筑摩書房版全集による)
注:下線部「さだめ」「ふとらせる」は実際には傍点。
民衆
わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。 (昭和改元の第一日)
*
「少女アリス」を、僕のアリスが淋しがらぬように、少し飾ってやった。
僕らが一生通じて捜し求めるものは、たぶんこれなのだ。ただ、これだけなのだ。つまり、生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。
*
これは、先の引用より、遥かに「夜の果ての旅」であり、遥かに、僕の身を、切り刻む。
亡き僕の次女、Alice を新設「少女アリス」(画像はサムネイル・クリックで拡大)にお披露目、何人かの教え子達には懐かしい姿であろう。酒に酔うと、決まって僕は、君達のいる書斎に、アリスを放った。猟犬の本能丸出しで、君達の膝の上を走り抜け、お土産の大判焼きを、瞬く間に、一人で食べつくしたのを思い出すね……。でも、女性の教え子たちの前では、少女としての自分を忘れずに、不思議にお淑やかだったね……。懐かしい思い出だ……。
オリジナル写真の試験的なアップをした。僕がドイツで撮った、愛する画家 Caspar David Friedrich の「海辺の僧侶」の部分を新設「ART SHOT」に「あの頃フリードリヒがいた」と題して、公開。ベルリンのナショナル・ギャラリーでは、2時間、フリードリヒの絵の前に陣取る僕に、さすがに学芸員もあきれて笑っていたのを思い出す。彼の絵の写真はまだまだある。
その橋のずっと向こうは海だ。しかし、今はもう、海のことは何も浮かばない。他にすることがある。俺の愚劣な人生と二度と向き合わずにすむように、俺が姿を晦まそうとして何処に行っても、俺はいつもそいつに出くわしたんだ。必ず、俺に、戻って来ちまうんだ。俺の放浪、そいつはもうお仕舞だった。もう、放っとおいてくれ!…世界は幕を閉じちまったんだ! もう、終わりまで来ちまったったんだよ、俺たちは!…祭りだって、終わる!…悲しみを抱くだけじゃあ、まるで足りない、もっと、音楽が、もっと悲しみが必要なんだ…でも、俺はもう沢山だ!…みんな、そうやって実は、も一度若さが欲しいだけだ、まるでそんな素振り一つ、見せないくせに…なんという愚劣の極みだ!…ともかく、我慢するなんて気持ちは、俺にはもう、ないんだ…
*
トロン・ポワンを生かして。
高校2年の夏、「夜の果ての旅」読んで、痛く打たれたものだった。その時、徒然の手帖にメモしたのも、この一節だった…
「俺はもう沢山だ!」
これは、あらゆることと、あらゆるひとへの、今の僕の素直な気持ちそのものだ。事実だから、仕様がない。
自分独りのための美しさなんて、もういらない。沢山だ……
昨日、リハビリに行くために、一時間早く、学校を出た。途中で、後ろから警察官がバイクで後ろからやってくると、「あなたは何処から出てこられたの」と聞かれたので、学校の教員の旨告げると、「いや、どこかでお会いしたことがあるような気がして」とか言って、急に態度が下手に出て、たらたらバイクを走らせながら、うちの生徒は問題を起こしたことは聴いていないとか、麻薬防止講演会はやってますかとか、ここで小学生が胸を触られたので気をつけるように言ってくださいとか、最後に、今年から駅前交番の勤務の○○ですとか言ってタッタタと去って行ったのだ……これって……僕が不審者と間違えられた、ということなんだろうなあ。
今朝になって、なんだかムカついてきた。モーゼル・ルガーP08ヴェアマハト9×19mmパラベラム弾を撃ち込んじゃうぞ!
*
昨日来、「鬼火」論の資料にするために、彼が自殺に使用する、同銃について、昔の教え子から、メールによるレクチャーを受けた。彼の、銃器についての知識と洞察には舌を巻いた。目から鱗どころか、首下から逆鱗まで落ちる感じだ。まずは、ここで謝する。
今年の春――
まだ磯子から根岸を経て、山手の職場まで歩いていた頃のこと、八幡橋のたもとを歩くのが、素敵に心地よかった――
海の匂がする……
川床の岩に、死んだ、牡蠣殻が累々とま白に横たわり……
その上を、散った、あまたの櫻が流れてゆく……
……遂に、句にすることは叶わなかった……
倦んだ病人 伊東靜雄
夜ふけの全病舍が停電してる。
分厚い分厚い闇の底に
敏感なまぶたがひらく。
(ははあ。どうやら、おれは死んでるらしい。
いつのまにかうまくいつてたんだな。
占めた。ただむやみに暗いだけで、
別に何ということもないようだ。)
しかしすぐ覺醒がはつきりやつて來る。
押しころしたひとり笑い。次に咳き。
*
この終行は、入院生活をした者でないと、決して実感は湧かぬであろう。
そうして、しかし、ボードレールの言う如く、「人生は病院である」。凡庸に。
「人生は病いである」と言い切らなかった彼は、やはりアランの軽蔑するただの麻薬中毒者だったのか。
それでも、「女は宿命的に暗示的である」という彼のカルテは、ノーベル医学賞ものだろう。
僕の電子テクスト中、惑溺の度合いからして、全句集からの僕の選集という、安直である印象が拭えない(僕自身は、相応の覚悟と時間を持って選句したのではあるが)杉田久女について、筑摩版現代日本文学全集版を底本とした「杉田久女集」を暫定アップした。
何故、「暫定」かと言うと、校閲を完全にしていないという点もさることながら、今回は今までの打ち込みと違い、原本からのタイプではなく、Web上の俳句サイトの提供する筑摩版現代日本文学全集版(と見て間違いない)PDFファイルを印刷し、それをOCRで読み込んだものを補正しただけであり、最終的には、さらに所持する全句集で校閲をする必要を感じているからである。
僕の他のアンソロジー・ページにも書いたが、選句とは、一種の選句する者の精神のテラトロジー(奇形学)に過ぎぬ。だから、選集を幾つ並べても、それは一方的な学術標本に過ぎないことは重々承知である。しかし、僕でない他者の選集を補強することは、幾分、それぞれが致命症的変形であっても、仄かな光りは昇るであろうと思うのである。
これで、あの僕が吸い込まれそうになる美麗な久女に、少しだけ褒めて貰えそうな気が、した。
トップページに、少ししか進んでいない
“Alain Leroy ou le nihiliste couronné d'épine アラン・ルロワ または 茨冠せるニヒリスト”
を強いて載せる。メモはあるが、遅遅として進まない。何時までも増殖せず、遂に未完かも知れず……しかし、自己拘束として。思えば、このところ、僕がやってきたことは、あてのない、愚かなアンガジュマンばかりだった。また悪臭紛々たる糞が増えたというわけだ。
題名とイントロは、言わずと知れたアルトーの「ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト」に敬意を表して。
二十二 或畫家
それは或雜誌の插し畫だつた。が、一羽の雄鷄の墨畫は著しい個性を示してゐた。彼は或友だちにこの畫家のことを尋ねたりした。
一週間ばかりたつた後、この畫家は彼を訪問した。それは彼の一生のうちでも特に著しい事件だつた。彼はこの畫家の中に誰も知らない詩を發見した。のみならず彼自身も知らずにゐた彼の魂を發見した。
或薄ら寒い秋の日の暮、彼は一本の唐黍に忽ちこの畫家を思ひ出した。丈の高い唐黍は荒あらしい葉をよろつたまま、盛り土の上には神經のやうに細ぼそと根を露はしてゐた。それは又勿論傷き易い彼の自畫像にも違ひなかつた。しかしかう云ふ發見は彼を憂鬱にするだけだつた。
「もう遲い。しかしいざとなつた時には……」
*
僕は、今の僕を説明する必要から、この引用を思い立ったが、しかし、それとは、全く無関係に、僕は、芥川を知ろうとする者が、誰もこの一文に気を止めないことが、大いに不思議でならぬ。この画家とは、勿論、彼が絶大な信頼を置いた、友人、小穴隆一である。迷宮の外界への窓は、必ず、ここにある。
作業療法室でリハビリをしていると、奥の理学療法室から、リハビリを終えた女子高校生が車椅子で出て来た。
向こうの机で、新聞を読みながら、迎えの看護婦を待っていた。
優しい顔をした好ましい少女――
こちらから机の下に足が見えた――
――右足は脹脛の真ん中から、左足は膝蓋骨の下からが、なかった――
――僕は、作業療法士の施術している僕の鬼の右腕を、見た――
――帰り、秋空の午前の日差しの中、家までの3キロを歩きながら、すれ違った自転車をこぐ少女の足を、思わず凝っと見た……
***
このお目出度い、たかが鬼の腕の不自由な男は日々、贅沢な不満の中にある――
拘縮は相変わらずだ――一時間授業をして、グーパー、グーパー、運動をしないでいると、カチカチの「死んだ」手になる。チョークを握ったままで固まるという、聖職の碑状態だ。招き猫の手を想像されよ。あの形で、動かなくなるのだ。暫くお湯にさらして揉み解すと、少し動いてくる。これはインスタントラーメンと同じ要領である。職場では、毎時間、これを繰り返す――通勤の車内でも、エクササイズは欠かせない。従って、好きな読書も、とっくにおさらばだ……
*
昨夜、真っ暗な書斎で。メールを確認するためにパソコンの前に坐ろうとした――
いつもデスクチェアを引き出して、左の書棚に寄せて背を向けてあるのだが、その日の朝に限って、机にちゃんと収納したのを、忘れていた。そこにあるものと思って空気の椅子に坐って、美事に派手な尻餅をついた。思わず右腕を突いてしまったが、腕の痛みはそれほどでもなかった。尻餅をついたそのままに、いっそ好きな書物を積み上げたこの棚で、金城哲夫のように後頭部でも打ったらばと、左の骨盤の底の痛烈な痛みと共に、僕は独り淋しく失笑していた……
*
骨折部を中心に、手の甲から手首へと、黒々とした毛の生えた、先祖返りの腕を持った「鬼」の、而して勢い鬼の如くに酒量が増し、糖尿病の目標制限体重63キロも遂に超えてしまった、我が――斯くも永き馬鹿馬鹿しい日々ではある……
進歩と言えば、握力が16.8kgまで上がったこと。
ついでに言えば、今日、労災申請で保険を止められ、骨折後一ヶ月間に病院に支払った凡そ70万円が、現金でドンと戻ったのは、多少、嬉しくないことは、当然、ない。
***
ベタ・テクスト風で如何にも無風流であった「やぶちゃんの電子テクスト」を、とりあえずリニューアルした。複数の方からリンクを張って頂いている関係上、最初のページを廃する訳に行かないので、どうしようかと思っていたが、当該ページをリンク形式にすることで問題を解消した。それぞれの壁紙も、それぞれの作家を意識して選んでいるつもりである。
病い 村上昭夫
病んで光よりも早いものを知った
病んで金剛石よりも固いものを知った
病んで
花よりも美しいものを知った
病んで
海よりも遠い過去を知った
病んでまた
その海よりも遠い未来を知った
病いは
金剛石よりも十倍も固い金剛石なのだ
病いは
花よりも百倍も華麗な花なのだ
病いは
光りよりも千倍も速い光なのだ
病いはおそらく
一千億光年以上の
ひとつの宇宙なのだ
(1999年思潮社刊「村上昭夫詩集」より)
*
高級車を何台も乗り潰し、たかだか二十億光年の詩人を気取っている男(僕は、かつて実際にその有名な「詩人」に逢ったことがある)に、この詩をそっと囁いてやりたい。
明日、村上昭夫忌。
*
木蓮の花
村上昭夫
五月に散る一番の花は木蓮の花だ
散って見ればそれが分るのだ
花の散る道をしじみ賣りが通ってゆく
こまもの賣りが通ってゆく
それはみんな貧しい人々
花が散って見ればそれが分るのだ
はるかな星雲を思う人は木蓮の花だ
宇宙が暗くて淋しいと思う人は
木蓮の花だ
花が散って見ればそれが分かるのだ
(1999年思潮社刊「村上昭夫詩集」より)
*遠い昔、便箋に美麗に書写されたこの詩を、僕は或る人から貰ったことがある。それは、今も僕の筺底に在る。
「富永太郎拾遺詩集及び断片」と題して、家蔵版に未所収の詩篇及び断片を公開、これで、公刊されている代表詩はほぼ網羅されたはずだ。思潮社版の見出しの「翻訳作品から」という表現から見ると、翻訳詩文が、他にもあるようだが、中央公論社版定本を所持していないので(この本、ネットの古本でも余り掛かってこない)、とりあえず、以上をもってやぶちゃん版は完成とする。
指は萎えた。下着は饐えた。
家蔵版「富永太郎詩集」完成。注釈と異同も付けた。相応なオリジナリティはあると思う。
指の拘縮が酷い……石膏の手……震える指……ものを握れない掌……石像を演じる話……ノスタルジアのサスノフスキーのエピソード……「こゝろ」は遂に先生と私の別れを終える……「また九月に」……木犀の来るべき秋の香……
「富永太郎詩集」第二部完了。
よく考えると、何故、僕がここのところ、電子テクストに強迫的なのか、よく分かった。先日までは、右手が全く使えなかったから、また、今は、いつもリハビリの運動をしなくてはならないから(リハビリのエクササイズは7種にわたり、一日3セッションを自分でこなさなくてはならない。それとは別に、糖尿病の10キロ以上の歩行も自己に課している)、骨折以来、この二箇月、梅崎春生の「桜島」「幻化」、夏目漱石の「坊つちやん」の三作再読以外、全く活字を読んでいなかったのだ。詩を打ち込むことで、読書の代償としている自分が、よく分かった。それは丁度、このブログやHPに、「死」を打ち込むことで、人生の代償としているのと同じように。
右手首前屈20度(正常90度)
同後屈25度(正常90度)
体側屈折15度(正常90度)
反体側屈折15度(正常90度)
上方旋回100度(正常180度)
下方旋回(失念:これのみかなり旋回可能)
握力10kg(一般的同年齢者の平均は約46kgだが、僕は握力が弱い。左は31、正常だった右腕は34kgだったと記憶している)
昨日、20代とお見受けする可愛いリハビリの女医さんは、
「高高度の拘縮ですね。年齢的にも、体質的にも拘縮の残り易いタイプだと思います。時間もかかるし、(拘縮は)残ると思います。」
と、淋しそうな目で、言った。
亡き僚友の大学生のお嬢さんから葉書を受け取る。心の籠もった筆致。メールに狎れた今の世界は、誠、誤っている。今の僕には、葉書一枚書けないのが残念だ。
*
昭和二(1927)年刊家蔵版「富永太郎詩集」を本格的に打ち込み始める。今の僕には、何か、打ち込むことへの強迫的な、それでいて素敵にあるものが充満した感じが、支配している、とでも言っておこう。
カテゴリー「海岸動物」を新設して、記事一つでは淋しかろう。私の好きな海洋生物、その一だ。
環形動物門 ユムシ Urechis unicinctus
典型的なデトリタス(プランクトン等の浮遊混濁物及沈殿堆積物を食う)食性のベントス(底棲生物)である。国産韓国産等を見ても、10センチ内外か(但し、一度20センチ近いものを金沢文庫の海岸で現認したことはある)。形状は、男性の性器にそっくりで、北海道辺りではそのものずばりの名称で呼ばれている。彼等は、その吻と肛門部の剛毛で砂泥地にU字型の巣穴を形成し、追い出されでもしない限り、そこから出ることはない。吻から粘膜の網を広げ、蠕動運動(呼吸運動も当然兼ねる)によって海水を吸い込むと、その粘膜に有機物質が付着するという寸法だ。するすると引き入れて、食べる(これは巻貝腹足綱のヘビガイの仲間も同じ手法をとる。ちなみにこのページは僕の縁がらみ)。
食べにくい大型粒子はちゃんと排除され、棲穴に共生するマメガニやユムシ本体に寄生するウロコムシ(環形動物多毛類)が食べて綺麗にしてくれる。美事なフィールターフィーダー(濾過摂食者)なのだ。
実は、このグロテスクな生物、朝鮮では一般的な食材。永く食べたくて仕方がなかったのだが、6月に、国内のある店で、やっと僕も食すことができた。くせも生臭ささもなく、上質新鮮な貝肉の味わいと歯ごたえ、誠に美味であった。韓国に行かれたら是非、騙されたと思って食べてみるとよい。ちなみに朝鮮語ではユムシは「ケーブル」(「ケーブイ」と表記されたものがあるが、知人に聞いたらケーブルの方が近いとのこと)と発音する。しかし、一応以下のページなど見、形状の覚悟はされたほうが良いだろう。
もう一つ、骨折ばかりで忘れていた。
真鶴の海洋学習の思い出を二つ、忘れないうちに記しておく。
ウミフクロウ(Pleurobranchaea japonica)の卵塊
ウミウシの一種(背楯目)であるが、卵塊を見たことはなかった。岩塊とその下の砂地の間から、少しだけ姿を出している状態で、満潮に揺れているため、何でしょうという生徒に、ユムシか、ミズヒキゴカイの触手ではないかと言ったものの、触れてみると、通常の環形動物のそれなりの質感としての体制が感じられない。手で切断を試みるも、瓢箪なまず状態で、なかなか切れない。奮闘の末、数センチをちぎり取る。直径5ミリ、透明な円柱状ゼラチン質の中に、螺旋状の規則的な、極めて小さい白い粒状の物質が整然と入っている。生体の生物ではなく、何らかの卵と推測したところ、国大の教授が丁度そこにやってきて、ウミフクロウの卵塊であることを教えてくれた。綺麗な列をなしたもので、ネット上で幾つか検索してみたが、あれほどに美しいものは見つからない。産卵直後のものであったのだろう。
ウミフクロウ(グーグル画像検索。以下同じ)
フクロムシ( Succulina sp.)とショウジンガニ( Plagusia dentipes )のこと
午後、折れた腕を吊って、実習所に戻ると、生徒達は実習室で観察を行っていた。ショウジンガニをスケッチしている生徒と話をすると、教授からフンドシの形状差による雌雄判別を教わったらしく、痛く感激していたので、フクロムシの話をしてやった。カニと同じ甲殻動物(蔓脚類)ながら、袋状の特異なこの生物は、蟹のフンドシの下に、極めて寄生種に特化した形で寄生する。メスは自分の卵だと思いながら、産卵行動をとるが、そこで放出されるのは多量のフクロムシの幼生である。更に特に雄に寄生すると、雄は雌に性転換(厳密には形態行動上の著しい雌化)をしてしまうのである。流石に、これには、生徒も流石に「ウソーでしょ! 先生?」だった。先日、報告書に資料を付けてやった。
「腕は折った」が、海洋博士の「腕も鳴った」一日だったのだ。
言い忘れていたことがある。二度目の手術の時、6時間待たされて、この時は有象無象クラッシックが流れていたが、最後にオペ室に入る時に流れていたのは、何とパブロ・カザルスの「鳥の歌」だった。ホワイトハウス・コンサート盤と思われたが、それも一つの天啓であったか。
「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」を完成、「心朽窩」内に配した。伊東靜雄の全詩集である
伊東靜雄 詩集「わがひとに與ふる哀歌」
伊東靜雄 詩集「夏花」
伊東靜雄 詩集「春のいそぎ」
伊東靜雄 詩集「反響」
伊東靜雄 詩集「『反響』以後」
伊東靜雄拾遺詩篇
を旧字体旧仮名遣い、僕の注釈付で公開した(底本についてはそれぞれに考えるところがあり、異なる。各ページのトップで確認されたい)。詩集「反響」については創元社版「伊東靜雄詩集」を所持せず、確認できないために、やや疑義を残したが、ここで一息つける気がする。
昨夜来、憑かれるように入力し続けた。
ものみな我に死ねと言ふ……靜雄よ、「水中花」の一節は、この方がすつきりしはしないか? 僕には染々、そう感じられるのだ……
こうなったら、プロフィールで「興味があること」(この小学生みたような題はニフティが付けているので、僕の臭さではない)と記した事柄を証明するために、
Johann Sebastian Bach Yabtyan's Record List
Glenn Gould-J.S.Bach Yabtyan's Record List
の二つも公開しちまおう。前者の初めの方のカンタータは、実はバッハの中でも今一つ、聴きあぐんでいる。だから、小学館版全集のディスクナンバーが並ぶ、チンケなリストが続く。受難曲、オルガン曲、クラヴィーア曲無伴奏辺りに追々趣味が現れてきているところだろうか。どだい人のアルバム・コレクション等、なんぼのもんなのだが、一ページにBWVナンバー順で入れてあるので、バッハのBWV検索には使えると思う。ちょっとヤブノーマルと言えば、ジャズのトランスクリプション等も入っているところ。ついでに、愛するグレン・グールドの、バッハのみの所持リストもアップ。おやっと思う曲があるLD中の演奏も入れてある点のみ、ただの自己満足リストよりはマシか。
*
その他、電子テクストの幾つかに底本明記を忘れていたので、追記した。
*
誰もいない温泉でゆったりし、伊東の行きつけの壽々丸の寿司も絶品、深海魚のガリンチョ、更に取れたてのカメノテを食えたのは至福。生ガキも初物。
しかし、右手の拘縮と手首の旋回不能は一筋縄では行きそうもない。真剣に左手のみを使うことを考えている。