李徴の呟き
何故こんな事になつたのだらう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
*
この氣持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成つた者でなければ。
*
己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だった。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。今思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。人生は何事をも爲さぬには余りに長いが、何事かを爲すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。己には最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己(おれ)の頭の中は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいゝのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。さういふ時、己は、向ふの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己は昨夕も、彼處で月に向つて吼えた。誰かにこの苦しみが分つて貰へないかと。しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮(たけ)つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の氣持を分つてくれる者はない。丁度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかつたやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。
(中島敦「山月記」より 筑摩書房版全集による)
注:下線部「さだめ」「ふとらせる」は実際には傍点。