或阿呆の一生 芥川龍之介 四十三 夜
四十三 夜
夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。
「あすこに船が一つ見えるね?」
「ええ。」
「檣の二つに折れた船が。」
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これは鵠沼海岸であろう。頗る映像的、印象的、「或阿呆の一生」のベスト・シークエンスというべきである。