芥川龍之介 年末の一日
……僕はK君と一しよに電車に乘り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ歸り着いた。
動坂の往來は時刻がらだけに前よりも一層混雜してゐた。が、庚申堂を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきつたまま、爪先ばかり見るやうに風立つた路を歩いて行つた。
すると墓地裏の八幡坂(はちまんざか)の下に箱車を引いた男が一人、楫棒(かぢぼう)に手をかけて休んでゐた。箱車はちよつと眺めた所、肉屋の車に近いものだつた。が、側へ寄つて見ると、横に廣いあと口(くち)に東京胞衣(えな)會社と書いたものだつた。僕は後から聲をかけた後(のち)、ぐんぐんその車を押してやつた。それは多少押してやるのに穢い氣もしたのに違ひなかつた。しかし力を出すだけでも助かる氣もしたのに違ひなかつた。
北風は長い坂の上から時々まつ直に吹き下ろして來た。墓地の樹木もその度にさあつと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はかう言ふ薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と鬪ふやうに一心に箱車を押しつづけて行つた。………
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酷く疲れてゐる。が、疲れた――憑かれたと言ひつつも、僕としては、同じやうな主人公の「年末の一日」が氣になるのだつた。……矢張り憑かれてゐて、然も、愚かしく公開したのだつた。