泣けた三丁目の夕日
「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た。正直、30年代の町並みのVFXの映像目当てであったが、骨折以後、異様に涙腺が緩んでしてしまっており、10分に1回は泣かされた気がする。恐らく、皆が泣いていない所でさえ、泣いていた気がする。そもそも、冒頭の三丁目の町並みが見えた所で、言いようもなく涙が出た。ストーリー中の、見え見えお決まりの催涙場面でも、馬鹿正直に泣きがきた。集客のために、原話を大きく改変している、六ちゃんや茶川先生の子供とのラスト・エピソードも、見ているうちは、それほど気にならない(とは言え見終わってから妻に、開口一番、六ちゃんが女であることの嘘臭さを言ったが)。上野駅構内と、外観の再現には舌を巻いた。懐かしいの一言だ。言うなら、集団就職列車はあんなにゆったりしていなかったであろうし、実際の街は、もっと汚かった。各役者も水準程度の演技はこなしている。「泥の河」程ではないにしても、子役(特に淳之介)の演技も上質、綺麗な三丁目という瑕疵を、補って余りある。少なくとも僕にとって、メッセージのコピーは、まさにそのものとして受け入れられる。クサイと言う奴は、三丁目の住人になりたくないだけだろうが、三丁目はそんなへそ曲がりも受け入れてくれた、懐かしい場所なのだ。……あれだけいじめられ、卑屈になりさがってもおかしくなかった僕の少年時代、しかし僕は、あの子供と同じように、どこかで確かに、今の僕らにはなく、残念ながら、今の子供たちにもない、おめでたくも、かけがえのない、「夢」を抱いていたように思う。ゴミ箱、駄菓子屋(僕らは5円屋と呼んでいた)、屋号の傾いた看板……30年代前半以前の世代には、その細部からフラッシュバックする思い出が堪えられないと保証する。