音樂 或は Gimme Shelter 「或阿呆の一生」風に
音樂 或は Gimme Shelter
一台のTAXIは人氣のない青天の田舍道を病院に走つて行つた。彼は、先の見えない骨折した右腕の治療に精も根も盡き果ててゐた。
「もうどうにも仕かたはない。」
彼はもうこの彫像のやうに固まつた掌と黒々と毛の生えた手首――その動物的本能ばかり強い腕に或憎惡さへ感じてゐた。彼は默つて目を反らした。が、彼の心の底にはかう云ふ手首を絞め殺したい、殘虐な欲望さへない訣ではなかつた。
車はその間に、引込線の踏切に通りかかつた。久しく使われてゐないためにすつかり錆びた鉄路が陽光の中に黒ずんで伸びてゐた。彼はその線路の向かうにかすかに來るべき春を感じ、何か急にその春を――彼の心に少しも彈んで來ない春を輕蔑し出した。………
すると、點けられてゐたラヂオから、音樂が流れ出した。それは The Rolling Stones のプレイする Gimme Shelter だつた。彼らの北米ツアアで慘殺された黒人青年の記憶が蘇り、それは丁度正に熟し切つた杏の匀のやうな懐かしさだつた。彼は、これを Grand Funk Railroad の演奏で、ヘツドフォンを付け音量を最大にして聴いた遠い青年の頃を思ひ出し、本家も存外惡くないと思つたりした。見ると運転手は、曲に合はせて、ブレエキとクラツチに置いた兩足を輕快に踏み鳴らしてゐる………次の四辻で停つた時には、左手をハンドルから離すと、ギターのネツクを握る動きさへしたものだつた。
「………Gimme Shelter………秘密の隠れ家………殺せ、殺せ。………」
彼はいつか口の中にかう云ふ言葉を繰り返してゐた。――この能天氣なドライヴアに幽かな羨望さへ感じ乍ら。………