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2005/12/31

Maria et Alice

大晦日、今までなら大掃除に余念がないが、今年は右腕死んで、煤払いもしない。

それでも、僕を支えてくれている娘たちに報いてやらないといけないと、ふと思った。

不精な僕は、これだけ電子テクストを創りながら、未だにOCRを持っていない。「日本鮎毛バリ釣り団体協議会事務局」世話人として入れ込む父は、遂に僕より先にスキャン装置を買ってしまった。失策つた、先を越されたなと思った。いつもなら喧嘩ばかりしている僕が、三顧の礼を以ってスキャンしてもらったのがHPトップの写真である。

長女 Maria と生後三ヶ月の三女の新しい Alice ――華麗に賑やかになった。

本年中は右腕で、多くの人々に御迷惑をお掛けした。来年は、なるべく御迷惑をお掛けせぬように、生きようと存ずる。

良いお年を!

(サッチモの1947タウンホール・コンサート、ティーガデンとの絶妙の掛け合い“ロッキン・チェア”にビリビリコビッチに酔いながら……)

芥川龍之介句集 一次完成

「手帳」を完了。これで、まずは一次「やぶちゃん版芥川龍之介句集」と称する体裁は出来たと思う。区切りを付けたがる愚劣な日本人らしく、大晦日にすっきりした。余すところの検すべきまとまった資料は、新全集の「澄江堂遺珠」関連資料のみとなった。(2006年1月1日追記:昨夜来、芥川龍之介遺著 佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」(日本近代文学館発行復刻)及び新全集の「澄江堂遺珠」関連資料を通読するも、詩稿は勿論のこと、その断片資料中に俳句と思われるものをほとんど見出せなかった。一見、句とおぼしいものもあったが、それらは素直に読むとき、一連の自由詩と解すべきものであった。)

2005/12/30

ジャズ・トロンボーン

旧全集手帳分を補訂終了。新全集未発表の「手帳(12)」の拾い出しは、明日に残しておこう。僕は僕だけで僕なりに満足だ。久し振りに、しこたまジャズを買った。大方、持っているアナログの予備にだが、好きなカーティス・フラーの初リーダーアルバムは、愚かにも初耳だった。トロンボーンぐらいダルでアンニュイで、小回りのきかないグズ……でも、他のサイドメンが誰も心から愛しうるジャズ向きの楽器はないのに……最近は、独奏者が少ないのが哀しい……。僕は本当はサックスよりトロンボーンを愛しているのかも知れないな……。J.J.ジョンソンの“THE EMINENT VOL1”の「ラヴァーマン」もイケる。これ、スゲーサイドメンだど! クリフォード・ブラウン!(tp)、ヒース兄弟の(s)と(b)にやや地味めだがジョン・ルイス(p)、(dms)はパウエル組のケニー・クラークとくりゃ、良くないはずがアルマジロ(勿論、バードのダイアル盤は無伴奏チェロに於けるカザルスみたいなもんだ)。

芥川龍之介句集 更新

あと一日、新全集による芥川の手帳の俳句補正まで、やり遂げよう。アンドレイの命日を忘れた大きな罰だ。思えば、今年は受罰の豊年であった。これを最後にしたいものだ。

2005/12/29

村上昭夫 犬

犬            村上昭夫

犬よ
それがお前の遠吠えではないのか
また荒野の呼び声と伝えられる
月に向って吠えるのだと言われる
それがお前の不安な遠吠えなのではないか

お前の遠吠えする声の方向に
死なせるものや愛させるもの
別れさせるものが
目も眩むばかりにおいてあって
お前はそれを誰も知らない間に
密かに地上に呼んでいるのではないか

だがお前はひるになると
まるでそしらぬ顔をして
尾をふったり飛びついたり
愛くるしい目をむけたりする
真実忠実な犬でしかないように
嘘の姿を見せるのだ

トップ詩を交換した。勿論、来年の干支にちなんだが、そこは、素直に選ばない。しかし、村上昭夫の語り口は、誰にも真似が出来ないほどに、透明で哀しく、美しい。

芥川龍之介の新傾向俳句

実はこの句集を編むに当たってどうしてもやりたかった部分があった。遂に、そこに到達できた。即ち、芥川の新傾向俳句の採用である。彼の手帳やノート類には、かなりの量の新傾向俳句が散見されることが、10年程前から気になっていた。ある自由律俳句の研究者から、その辺りを是非纏めて見てはと誘われたこともあったが、分不相応と辞退した。こうした私的なHPではあるが、杜撰ではあるが、それを今少しそれを叶えられるのは、ちょっぴり嬉しい。

芥川龍之介句集 辞世

    水涕や鼻の

自嘲          龍之介

     先だけ暮れのこる

短冊の配置はこんな感じの縦書きである。

それにしても彼の俳句を批評する、友人、文人、後人数多あれど、一体、肝心のその人々の俳句なんぞ、今や万に一人も読んでいない。俳句は実作者ばかりで鑑賞者がいないと言うが、実作者は直ぐに他人の句を批評したがる。読むのも簡単なら、貶すのも容易ということか。俺ならこう創るというなら、お前が俺になればよい。第二芸術と言うもよし、世の大長編も所詮消閑の具に過ぎぬ。行き着く先は浄閑寺。

芥川龍之介句集 更新

性分である。止まらない。「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏(暫定版)」の新ページを追加。しかし、冒頭から掟破りの無関係注釈。「愁人」のことはどうしても書いておきたかった。因みに私の祖母は「茂」と言い、「潮音」の同人であった。結核で若死にした祖父は火力発電所の技師であり、前にも述べた通り、その実家のすぐ眼と鼻の先が、芥川の新婚時代の家であった。しかし勿論、祖母は、秀しげ子では、ない。

2005/12/28

芥川龍之介句集 更新

「やぶちゃん版芥川龍之介句集」、冒頭の「發句」部分の注記を大幅に追加し、先ほど遂に書簡俳句の拾い出しも終えた。書簡俳句については、通して読んで、退屈しないような注釈を心掛けたつもりである。そのために、やや句の注釈から逸脱し、それがために、容量も大きくなってしまったが。2005年の最後に間に合って、とりあえず、最初の目標迄辿り着いた。これから、手帳及びノートからの拾い出しに取り掛かる。まだ、楽しみは残っている。しかし……リハビリ疎かにして句を打つてゐる……硬い右手である……(放哉風に)

2005/12/25

二度目の結婚

或阿呆の一生   四十三 夜

 夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫(しぶき)を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。

「あすこに船が一つ見えるね?」

「ええ。」

「檣(ほばしら)の二つに折れた船が。」

僕にとって所持する岩波版旧全集は殊の外思い出深い書籍である。大学三年の時、岩波書店に勤務する知人が既に品切れになっていたこの全集の在庫を、破格で分けてくれた。裸で全十二巻を二つにして、鈴蘭テープで縛り、中目黒まで両手でぶら下げて帰った。二日程両手の関節が腫れ上がった。その時、初めて手にした大部の個人全集に有頂天になった。後にも先にも、10巻を越える個人全集で、そのすべてを読んだのは、芥川しかない。書簡部分も確かに読んだはずなのだが。

ところが、今回、書簡俳句の拾い出しをしながら、拾い読みをするうち、目から鱗の発見があった。

無意識のうちに、おぼろげなイメージとして半理解して分かったと思い込んでいた、この「或阿呆の一生」の「二度目の結婚」という言葉であった。彼が、ここで如何に悲壮な喜悦の「二度目の結婚」したか、腑に落ちた。だからこそ、彼には「檣の二つに折れた船が」見えた。

大正十五年七月十日付小穴隆一宛一四九二書簡、スパニッシュフライ……

では、随分、ごきげんよう。

2005/12/24

湯治

芥川龍之介俳句集の書簡の拾い出しは、今夜に至り龍之介自死の昭和二年に突入した。年内には、書簡俳句部分は片がつく。

明日から友人夫婦と蔵王に湯治に出かける。

2005/12/23

芥川がもし戦後まで生きたら

もし芥川龍之介が、戦中戦後を生きたら、彼は文学者として、ファシズムへの傾斜と戦後の民主主義世界に対して、どう振舞っただろう。そのような小説があっても、いいな、とふと思った。

敗戦の年、生きていれば五十歳。僕はもうじき、四十九歳になる。

書簡俳句の拾い出し、書簡番号1000まで来た。旧全集の書簡の最後の書簡番号は、1642である。地平が見えてきた。

2005/12/22

僕に首を絞められる夢

寝室に寝ている僕は、その寝ている僕の上に跨って、僕の首を絞めている僕を、僕の右手で、その締めている僕の顔を突き放す。締められている僕の右手の指が、締めている僕の目と口に食い込み、締めている僕の顔が苦痛にゆがむ……そこで死にそうになって、目が覚めた。

これによく似た夢は、大学生の時の夢日記に記してあるから、かれこれ30年弱前に一度見て以来だ。これが、どうしてなかなか、リアルな夢なのである。

2005/12/20

こゝろ 全文授業終了

13回目の「こゝろ」全文授業を、今日三つのクラスで終えた。週2単位ではとても無理だ、これがきっと僕の「こゝろ」の授業の最後なのだな……という予覚が僕の心を捉えていた……しかしそれは、或る満足に類する想いでも、ないわけではなかった……学生は君自身なのだから……

養子夢

昨夜、僕は矢原という医師の家に養子に行く夢を見た。それは海沿いの、眼科の医師であった。時代がかったホーロー引きの看板に、赤い色で眼科と書いてあるのであった。うららかな春陽の中、ランドセルを背負った少年の僕は、養父母とその看板を見上げているのであった……。

覚醒後、丸一日経っても、「矢原」という姓にも、その養家の夫婦にも、場所にも、まるで見覚えがない。僕は勿論、養子ではないし、養子に行く話も当然のごとくなかった――

ただ不思議に、その寡黙な夫婦の、優しいが寂しそうな表情が、今も瞼の裏に残っているのである……。

2005/12/18

音樂 或は Gimme Shelter 「或阿呆の一生」風に

   音樂 或は Gimme Shelter

 一台のTAXIは人氣のない青天の田舍道を病院に走つて行つた。彼は、先の見えない骨折した右腕の治療に精も根も盡き果ててゐた。

「もうどうにも仕かたはない。」

 彼はもうこの彫像のやうに固まつた掌と黒々と毛の生えた手首――その動物的本能ばかり強い腕に或憎惡さへ感じてゐた。彼は默つて目を反らした。が、彼の心の底にはかう云ふ手首を絞め殺したい、殘虐な欲望さへない訣ではなかつた。

 車はその間に、引込線の踏切に通りかかつた。久しく使われてゐないためにすつかり錆びた鉄路が陽光の中に黒ずんで伸びてゐた。彼はその線路の向かうにかすかに來るべき春を感じ、何か急にその春を――彼の心に少しも彈んで來ない春を輕蔑し出した。………

 すると、點けられてゐたラヂオから、音樂が流れ出した。それは The Rolling Stones のプレイする Gimme Shelter だつた。彼らの北米ツアアで慘殺された黒人青年の記憶が蘇り、それは丁度正に熟し切つた杏の匀のやうな懐かしさだつた。彼は、これを Grand Funk Railroad の演奏で、ヘツドフォンを付け音量を最大にして聴いた遠い青年の頃を思ひ出し、本家も存外惡くないと思つたりした。見ると運転手は、曲に合はせて、ブレエキとクラツチに置いた兩足を輕快に踏み鳴らしてゐる………次の四辻で停つた時には、左手をハンドルから離すと、ギターのネツクを握る動きさへしたものだつた。

「………Gimme Shelter………秘密の隠れ家………殺せ、殺せ。………」

 彼はいつか口の中にかう云ふ言葉を繰り返してゐた。――この能天氣なドライヴアに幽かな羨望さへ感じ乍ら。………

芥川龍之介 書簡俳句拾い出し開始

遂に始めてしまったな。

2005/12/17

芥川龍之介 わが俳諧修業

芥川龍之介の「わが俳諧修業」を打ち込む。本文中の、

 落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな

と言う芥川の創作した最初の発句とされる句を、句集にアップしたい関係上、当該随筆全体のテキストの公開を先にした。尋常小学校四年(但し、鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」をみると尋常小学校三年の次は、尋常小学校高等科一年となっている)というと、満10歳、早熟な芥川の鬼才ぶりが伺えるではないか。

チタンプレート・サービス・オプション

教え子がこのブログを丁寧に読んでくれて、メールをくれた。「腕を見る」辺りかな。彼女の夫もチタンプレート入りらしい。少し人の痛みが分かる人間にバージョン・アップして退院してきたから、そのプレートに感謝とあり、骨折手術の支持プレートに刻印のサービスがあっていい、「好きな文字いれられます」、タイムカプセルみたいでワクワクしませんかとあった。面白い。

それへの返事。

「そうだね、現実的には、せめて本人の名前を刻印しても、なんら問題はないね。
オプションでいいから、特殊加工でミッキーマウスとか文字を刻印できれば、レントゲンを撮って診察する時、折れた骨の上にミッキーがいれば、気持ちが軽くなること請け合いだし、「君の瞳に乾杯!」なんて書いてあれば、骨折でちょっとお洒落ができると言うものだ。これって、結構、よくない?」

考えてみりゃ、タトゥーより、スゲーお洒落じゃん!

芥川龍之介句集 更新

「やぶちゃん版芥川龍之介句集(暫定版)」に岩波版未定稿集俳句部分を追加。

2005/12/15

芥川龍之介句集 更新

新全集俳句部分を追加した。まだまだ、だ。「芥川龍之介未定稿集」がある、新全集のノート篇がある、そうして全俳句の4割を占めるという書簡俳句、こいつは梃子摺りそうだ……村山古郷の「我鬼全句」という大きな壁もある。しかし既に、その労作の後に出た新全集を追加した以上、決して地平が見えぬとは言えない。だが、奢る気持ちは微塵もない。それは、芥川への僕なりのオード――何もかも、失ってしまった彼への限りないオードであるには違いない。同時にそれは、僕自身へのオードでもあるのかも知れぬ……。

2005/12/14

芥川龍之介句集

今日暫定版増補の「芥川龍之介句集」、まんずそんじょそこらのものではありんせん! 

私は癇症なんです、まだまだ、いきますよ……。

2005/12/13

サイドメニュー表示変更

サイドメニューを「HP増設及びリニューアル・コンテンツ一覧」とし、新しいものが上に来るように設定を変更した。

やぶちゃん版芥川龍之介句集(暫定版)

遂に始めてしまった。芥川龍之介の俳句は、散在している作品が多く、類型句も多い。岩波の新全集版のノート篇(これは未発表なので新字体採用のおぞましい全集であるが、草稿や未定稿の巻と共に購入した)を見ると、おやっと思う新傾向の未発表句等もある。とりあえず、句集の核になる部分(全集の俳句部分のうち、一段組みにしてある「発句」及び「詩歌一」の部分)を今日、全てタイプで公開に漕ぎ付けた(久し振りの丑三つ時に及ぶ作業となった)。いつものことながら、この纏まった電子テクストも、ほかのサイトにはないと思う。これから、気長に増殖させるとしよう。

2005/12/11

芥川龍之介 蜃氣樓――或は「續海のほとり」――

芥川龍之介「蜃氣樓――或は「續海のほとり」――」を正字正仮名で公開。全てに不吉なる予兆の響きを、近づきつつある死の足音を聞き分ける芥川、それはしかし、妖しき通奏低音として、滅びを覚悟したドゥエンデとして、哀しく美しい。

芥川龍之介小品集各個独立

芥川龍之介の小品を無軌道に一ページに入れているのが気になっていた。「人と死と」「沼」「詩集」「沙羅の花」をそれぞれ独立ページとし、ついでに再校正した。なお、「やぶちゃんの電子テクスト集:小説・随筆篇」での芥川の作品は年代順に並べてある。

2005/12/10

芥川龍之介 枯野抄

芥川龍之介の「枯野抄」を正字正仮名で公開。3年生の時に、あなたは理系でしたが、これを授業でやったのですが、覚えていますか。

16年前の教え子

教師ぐらい成長しないお目出度い生き物はいない。おまけに、たかだか最長三年付き合った生徒を、「教え子」等と称して、悦に入る。だから、クラス会等に行くと馬鹿にされる。一番、言われるのは「まだ先生やってるんですか」という台詞だ。これはなかなか面白い。「まだ」とは何を意味するか。悪意にとれば、『教師に相応しくない下劣なあなたがまだ』であり、善意にとれば『あんなつまらない教師なんてものをまだ』であるかもしれず、もっとお目出度くとれば『先生のような方がたかが一介の高校教師なんてものをまだ』とも取れる(但し、最後のようなニュアンスを感じたことは未だにない。そもそも、そう感じていてくれる人は、最初の設問をしないものである)。

その二人の女生徒にはそれぞれ好きな先生がいて、二人揃ってネクタイの作り方を習いに行き、そうしてそれぞれの先生にネクタイを贈った。

その一人は僕であった。それは、僕の一等大好きなワインレッド、それもプレーンの。

僕は今も、ここぞという時、必ずこのネクタイをすることにしている。それが、僕の唯一のジンクスなのだ。

昨夜、その16年前の教え子二人としたたか飲んだ。そのネクタイをくれた彼女である。……勿論、そのネクタイをして。

僕は、彼らとのことを昨日のように思い出せる。誰が何を言い、どんな表情をしたか。少なくとも、僕はそうである。少なくともこっちは容易にその頃に戻れるのだ。いや、だいたいその教え子の高校生の時点で、こっちは成長が止まっていると言うべきなのだ。だから、懐かしがられると同時に、嫌がられもするのであるが。

教師とは成長しないお目出度い生き物である。生徒を叱咤しながら、自己成長はおろそか、それどころかすっかり出来上がった人間だと誰もが思い込んでいる(尤もその思い込みとはったりなしには、人を教える等という芸当は出来ないかもしれない。そもそも逆に『俺は自己成長し続けている教師』と慢心する輩はかつて教えた子供達に対しても失礼の極みである)。出来上がったと思い込む者は、己が周囲の他者をさらに指導したがるものだ。特にその思い込みの烈しいそれこそお目出度い何人かが、学校のシステムの中で(来年からシステムが刷新される)、主任なり主幹なり管理職になるという、悪循環が現場を腐敗した(その腐臭にさえ皆鈍感になっているのだが)ものにしている。昨日まで、日の丸君が代を声高に批判していた先生が、ある日突然、求められもしないのに、会議で、「国旗国歌を式典で掲揚斉唱するのは当然です」と発言するのだ。これは、戦中の話ではないのだよ、今の僕の職場での話なのだよ。僕のそれへの立場は「僕が教師をやめたい理由」で書いたから、繰り返さない。そうして、僕の個人の信条とは関係なく、心から国を愛する者は幸いである、と僕は心底思っている。僕が言いたいのは、そうした変節を平然としている教師が、今、子供たちの前で教えている教師の中に、いるという事実なのだ。それを恐ろしいと感じない不感症は、致死的だということだ。

昨日も、一人から「まだ先生やってるんですか」と聞かれた。

さても己が実感だな、「まだ」は。

2005/12/09

お遊び

12月4日夜、HPトップに……少々の、毒を?……。それは Alan のあの日……。Eva と……Alan,Alan……そして……Alan。

カテゴリ

カテゴリに人物を加えて、ブログの分類整理をした。

2005/12/07

花は残るべし 風姿花伝

五十有餘

この比よりは、大方、せぬならでは、手立あるまじ。

「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申す事あり。

さりながら、誠に得たらん能者ならば、物數はみなみな失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし

道化の華 だ?

自分が愛する人に馬鹿にされてまで、へらへら笑って生きることぐらい馬鹿げたことはあるまい。少なくとも、僕にはそんな道化の、矜持も華もないとだけ言っておこう。

灯をともし来る女の瞳 尾崎放哉

人間にとって致命的な哀しさは、恐らく、自身の姿を、それも見ているその愛人の瞳の中に映る姿を、見ることが出来ないことであろう。

2005/12/06

うしろ姿のしぐれてゆくか 種田山頭火

人間にとって致命的な寂しさは、恐らく、自身の後姿を、それも誰も見ていない時の後姿を、見ることが出来ないことであろう。

Добрый вечер!

……そうだ、僕は独り、あの伏木の十間道路を、昭和天皇に、中学教師に命ぜられたままに作って振った割り箸に張った日の丸を、今こそ、黄色い痰を吐いて踏みにじり、あのヌラヌラとした臓物を潜ませた黄土色の布ザックを片手に、角のガソリンスタンドをスタートとせよ。そうして、夏の陽のじりじりと照りつけ遠く立山を見晴るかす国分浜へ、雄岩へ、雌岩へ、その彼方、遥か大和堆を越え、ウラジオの先、コリマの街道を、タイガの下のツンドラの大地へと帰ろう。そこには、スターリンを誹謗して流されたイワンの唾液も、青々とした苔そのままに凍っている。僕はそれを、発掘する孤独な森林監察官だ。でも、その森の木蔭には、あの、シチグロフ郡のハムレットが僕のために作ってくれた、熱いボルシチが待っている、その側には、満面の笑顔のデルスが、寄代の木を静かに削り、生きたご遺体となったと思っていた、黒髪のあの娘も、シューラと同じ笑顔で、ショールを巻いているではないか! アリョーシャとの仲人は、僕が、やるよ……乾杯の声は、勿論、「苦いぞ!」だ!

Добрый вечер!

2005/12/05

文化祭の思い出に

「淵藪志異」十四末に、八より十四話の口語の原話、『文化祭「藪之屋敷」に捧げる横浜×××高校の怪談』をリンクした。ここにある通り、これはもともと、今年の七月、担任しているクラスの文化祭のお化け屋敷の素晴らしさに感激して、僕が当日、書き下ろしたものであった。余りに熱心なので、僕もテンションが揚がった。幽太の演技指導は最高に楽しかったな。この時の生徒の手伝いが、僕の健康な右腕の最後の仕事になった。

2005/12/04

芥川龍之介 侏儒の言葉 完全版

やぶちゃん版「侏儒の言葉」(岩波版旧全集準拠完全版)を公開した。もともと教材用に打ち込んだものが、現代仮名遣いであったために、歴史的仮名遣いに直すのに手間取った。再校していないのでミスも多いとも思うが、とりあえず、芥川の晩年を探るための主要資料の一つとして。

それにしても、僕は、芥川の播いた種の内の、採るに足らぬ不稔雑草であったなという感を強くした。「侏儒の言葉」はまさに、僕にとってのアガスティアの葉であった。それも、その忌まわしくも悪しき断章ばかりが……。

芥川龍之介「或旧友へ送る手記」/遺書

芥川龍之介「或旧友へ送る手記」及び遺書五通を正字正仮名で公開、これで、電子テクストのページで、芥川の自死に関連するものが少しずつ揃ってきた。あと大物は、「侏儒の言葉」か。こちらは、昔、打ち込んだものがあるので、近日、公開できよう。

2005/12/03

芥川龍之介 或阿呆の一生

ブログに断片を綴るよりは、やはり、全文に若くはない。芥川龍之介「或阿呆の一生」を正字正仮名遣いで「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。

世界の涯まで連れてって

みんなが行ってしまったら
わたしは一人で手紙を書こう
みんなが行ってしまったら
この世で最後の煙草をすおう
みんなが行ってしまったら
酔ったふりしてちょっぴり泣こう
みんなが行ってしまったら
せめて朝から晴着を着よう
一番最後でもいいから
世界の涯まで連れてって
世界の涯まで連れてって

*

寺山修司「レミング」主題歌

2005/12/01

虚人 寺山修司伝 読書中

先輩に貰った田澤拓也の表題作品を読みながら、この人は、自分があの時代に生まれていれば、容易に寺山になれたのに、ちぇ! と語っているように思えてならない。寺山が剽窃の常習者だったなんて、不学な僕だってとうのとうの昔に気づいていたが(多分、君より早いよ)、何がそんなに、恥ずかしいのかな? 恥ずかしいのは、そのことを書いて文庫本になるほどまでに売文しているあなた自身ではないのかな? 高度経済成長期の日本に重ねて合わせて読み解けたと思っている、社会科学的分析家としての、それこそ自分自身のマスターベーションを、今度は、自伝として書いてみてはどうだろう? 売れるぜ、きっと。俳句なんて、否、文学や芸術なんて、大なり小なり、剽窃の堆積だと知るべきだ。僕も、渋谷の天井桟敷には胡散臭くて、行かなかったが、ね。しかし、寺山は、少なくとも、君の本より、数千倍面白いし、遥かに長生きするだろう(だからどうだ? その通り、所詮そんなもんさ、文学など……)。

ちなみに僕も君と同じ、下宿は中目黒だった。四畳半の子供用二段ベッド据付の部屋に、僕は三年斜めになって寝た。その前の一年? 代官山さ! リッチだろ? 三畳の、関東大震災で壊れなかった下宿だがね……。

僕もあんたも、しかし、寺山にはなれないね……。ちぇ!

胸の振子

胸の振子   サトウチロー作詞・服部良一作曲

柳に燕は あなたに私
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から 今日も
何も言はずに 二人きりで
空を眺めりや 何か燃えて
柳に燕は あなたに私
胸の振子が 鳴る鳴る
朝から 今日も

煙草の煙りも もつれる思ひ
胸の振子が つぶやく
やさしき その名
君の明るい 笑顏浮かべ
暗いこの世の つらさ忘れ
煙草の煙りも もつれる思ひ
胸の振子が つぶやく
やさしき その名

これは勿論、著作権侵害だ。しかし、正字正仮名遣いで、おまけに聞き取りだ。無制限に、空に音声を流し、しかし、それを活字化することを罰とする。えへ、ブラッドベリじゃん! これはレコード会社の専属楽曲なのだが、どうなのだろう。侵害訴訟を起こしてくるのは誰か。面白い。お待ちしている。しかし、誰もが歌いたい歌が、字に出来ない、なんてね、ちゃんちゃら可笑しい。竹中労も言ってたな、芸能にプライバシーなんてないんだって。その通りだと思わない? 思ったが、目と耳の不自由な人は、著作権の切れていない楽曲の歌詞は、皆、著作権料を払わなければ「聞けない」わけかな? 歌は、歌さ……!

ミクシィ

教え子に招待されてソーシャル・ネットワーキングサイト mixi(ミクシィ)に入っている。昔の教え子の輪で少しずつメンバーが増えてゆく。ちょうど、卒業生のクラス会に呼ばれて、懐かしい顔が、宴会場に遅れて少しずつ、入ってくるように楽しい。僕はただ、大人になってゆく彼等を頼もしく眺め、そうして取り残されてゆく老いさらばえた自分をちょっぴり淋しく思いながら。

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