虚人 寺山修司伝 読書中
先輩に貰った田澤拓也の表題作品を読みながら、この人は、自分があの時代に生まれていれば、容易に寺山になれたのに、ちぇ! と語っているように思えてならない。寺山が剽窃の常習者だったなんて、不学な僕だってとうのとうの昔に気づいていたが(多分、君より早いよ)、何がそんなに、恥ずかしいのかな? 恥ずかしいのは、そのことを書いて文庫本になるほどまでに売文しているあなた自身ではないのかな? 高度経済成長期の日本に重ねて合わせて読み解けたと思っている、社会科学的分析家としての、それこそ自分自身のマスターベーションを、今度は、自伝として書いてみてはどうだろう? 売れるぜ、きっと。俳句なんて、否、文学や芸術なんて、大なり小なり、剽窃の堆積だと知るべきだ。僕も、渋谷の天井桟敷には胡散臭くて、行かなかったが、ね。しかし、寺山は、少なくとも、君の本より、数千倍面白いし、遥かに長生きするだろう(だからどうだ? その通り、所詮そんなもんさ、文学など……)。
ちなみに僕も君と同じ、下宿は中目黒だった。四畳半の子供用二段ベッド据付の部屋に、僕は三年斜めになって寝た。その前の一年? 代官山さ! リッチだろ? 三畳の、関東大震災で壊れなかった下宿だがね……。
僕もあんたも、しかし、寺山にはなれないね……。ちぇ!