二度目の結婚
或阿呆の一生 四十三 夜
夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫(しぶき)を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。
「あすこに船が一つ見えるね?」
「ええ。」
「檣(ほばしら)の二つに折れた船が。」
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僕にとって所持する岩波版旧全集は殊の外思い出深い書籍である。大学三年の時、岩波書店に勤務する知人が既に品切れになっていたこの全集の在庫を、破格で分けてくれた。裸で全十二巻を二つにして、鈴蘭テープで縛り、中目黒まで両手でぶら下げて帰った。二日程両手の関節が腫れ上がった。その時、初めて手にした大部の個人全集に有頂天になった。後にも先にも、10巻を越える個人全集で、そのすべてを読んだのは、芥川しかない。書簡部分も確かに読んだはずなのだが。
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ところが、今回、書簡俳句の拾い出しをしながら、拾い読みをするうち、目から鱗の発見があった。
無意識のうちに、おぼろげなイメージとして半理解して分かったと思い込んでいた、この「或阿呆の一生」の「二度目の結婚」という言葉であった。彼が、ここで如何に悲壮な喜悦の「二度目の結婚」したか、腑に落ちた。だからこそ、彼には「檣の二つに折れた船が」見えた。
大正十五年七月十日付小穴隆一宛一四九二書簡、スパニッシュフライ……
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では、随分、ごきげんよう。
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