原民喜 はつ夏/気鬱
はつ夏 原民喜
ゆきずりにみる人の身ぶりのうちから そのひとの昔がみえてくる。垣間みた あやめの花が をさない日の幻となる。胸をふたぐといふのではない、いつのまにかつみかさなつたものが おのれのうちにくるめいてゐる。藤の花の咲く空、とびかふ燕。
気鬱 原民喜
母よ、あなたの胎内に僕がゐたとき、あなたを駭かせたといふ近隣の火災が、あのときのおどろきが僕にはまだ残つてゐる。(そんな古いことを語るあなたの記憶のなかに溶込まうとした僕ももう昔の僕になつてしまつたが)母よ、地上に生き残つていつも脅やかされとほしてゐるこの心臓には、なにかやはりただならぬ気鬱が波打つてゐる。
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1962年のカサドのフォーレの「夢のあとに」を聴きながら……次なるアンガジュマン、「原民喜全詩集」としよう……
【2016年3月16日追記】
以上の二篇は、昭和二三(一九四八)年五月号『晩夏』(季刊・足利書院)に初出。私が私の「原民喜全詩集」(既に完成済)で底本とした一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅲ」の書誌では昭和二十五年五月とするが、こちらの書誌(PDF)を見る限り、前者が正しいものと思われる。二篇目の「駭かせた」は「おどろかせた」と読む。「驚く」に同じい。]
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