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2006/01/05

宮澤トシについての忌々しき誤謬

 

 山根知子著「宮沢賢治 妹トシの拓いた道」(2003年朝文社刊)を読む。「銀河鉄道の夜」の関わる論考や、トシの内的省察の分析、誠に面白く読んだ。同時に僕は、昨年の賢治忌に書いた自己のブログを修正しなくてはならない義務をも感じた。
 以下に記す嵐山光三郎氏の叙述に関心を持ち、山根氏の著作に巡り逢ったので、それは嵐山氏に感謝せねばならないのであるが、下線部の下りは無視できない全くの誤謬である。孫引きする宮澤淳郎『伯父は賢治』を僕は読んでいないので、嵐山氏には、直接の瑕疵はないのとも言えるが、この資料のこの見解が、嵐山氏の「文人悪食」というメジャーな文庫本で広がり、まさにゴシップとして誤解され続けていくこと、それがトシにとって、如何に最下劣な仕打ちとなるかということを嵐山氏は深刻に自覚されるべきであると思う。
 山根氏の著作には、宮沢トシの問題とされている「自省録」原文が再録されている。これと、山根氏が当該書籍の「第一部 トシの生涯と信仰」で明らかにしている「岩手民報」の「音楽教師と二美人の初恋」という誠に愚劣なゴシップ記事に纏わる事件を読む時、「あの事」とはこのゴシップ事件以外の何物でもない。「Oさん=お兄さん」は逆立ちしても出てこない。僕はここでそれを検証することさえ馬鹿馬鹿しく感じられるが、「自省録」の「Oさんに対する彼の心が分かった時にも」という下りを出すだけでも充分である。疑義のある方は、是非、「宮沢賢治 妹トシの拓いた道」をお読みになることをお薦めする。

 「自省録」は襟を正して読むにふさわしい極めて真摯なものである。そこには悪人正機に似た罪障の認識の変容過程が、誠に丁寧に綴られている(但し、自立的な自己再生を目指すその先は全くトシ独自の「思想」と言うべきである)。
 断っておくが、僕は、近親相姦的叙述が愚劣だと言うのではない。実際、以下の引用の後の僕の叙述は、一部をそのまま残すことにした。僕には、トシの側ではなく、賢治の内面に(特にトシの死後)想像を絶した強烈な――狂気にさえ繋がりうる――トシとの霊的な交感(山根氏も当時、勃興した心霊科学等を参考に分析されている。この観点も正鵠を射ていよう。ちなみに読みながら、タイタニックに纏わる都市伝説の報道が当時あって、それを賢治が読んでいたらどうであったろう等と夢想した)があったのだと思う。しかし、「自省録」というそのような解釈が全く不可能である資料から、間違った見解を導き出し、それがひいては、あの彼女が悩んだ事件のおぞましき再来のように、今またトシを傷つけることになっているということが問題なのだと繰返し述べておきたい。賢治は分かっている研究者たちだけのものでない。こうした誤謬を表明し、正すことこそ、研究者がなすべきことではないのかと、僕は感じる。

『賢治の妹としに対する近親愛的関係に触れることは、賢治信奉者のあいだでは禁忌となっているようだが、宮澤淳郎『伯父は賢治』には、昭和六十二年に発見されたとしのノートの要約が載っている。

「(自分の)病気の原因は一朝一夕のものではなく、五年前(大正四年、としが日本女子大予科へ入った年)から私の心身に深く食い込んでいた。……私は自分のうちの暗い部分を無意識のうちに恐れていたに違いない。この部分こそは――今はあえて言おう――私の性に対する意識であったのだ。(中略)私の心には常に『あの事』について懺悔し、早く重荷をおろして透明な朗らかな意識を得たいという願いがあった」

あの事」とは男性との性的行為を暗示し、具体的にだれをさし、「なにがあったのか」は記されていないが、としは「五年前に遭遇した一つの事件が教える正しい意味を理解し、償うべきものを償い、回復すべきものを回復したい」と書いている。

 としは「あの事」の相手をOさんと書いており、「Oさん=お兄さん」とも考えられるが推測の域を出ない。福島章氏は、賢治ととしの近親相姦的関係を「精神的=情緒的問題であって肉体の問題ではない」としつつ、賢治の童話に反復して出てくる兄弟の愛情関係を分析している。

 としを失って以来、賢治の食生活は「死の食卓」を幻視するようになる。食卓ばかりではない。風のなかに又三郎を幻視し、松の根元では死の夢を見、切り倒された松を見ては松の死を共感し、夜空をあおいでは死の銀河鉄道の響きを幻聴する。

 三十二歳のとき急性肺炎を発病すると「淋シク死シテ淋シク生マレン」と記すようになる。死は現実として賢治にしのびよるが、妹としを失ったときに、賢治はすでに死んでいた。精神は死んでも肉体は生きつづけ、賢治は死者の目で童話を書きつづけた。』(新潮社 2000年刊 嵐山光三郎「文人悪食」より引用 一部ルビ省略。下線はやぶちゃん

 著作のコンセプトの関係上、ここまででトシとの関係の考察は終わっているが、賢治の世界を真に探ろうとする者(味わうことに飽き足らず探ろうとする者という微妙な条件ではある)は、そこに目を瞑っていては、到底足を踏み入れられない。踏み入りたければ、そこに現出するのは想像を絶する絶対の孤独の反世界であるかもしれないという覚悟が不可欠だ。ちなみに、言及される精神科医の福島氏でさえ、その賢治関係の著作を読むに、花巻に近づくに従って、体調が変化してしまうというバイアスのかかる、もう立派な信奉者である。
 賢治宇宙こそはまさにブラックにワーム、ダークにタキオン、分子に還元し、消滅する瞬間が途方もない永遠に感じられる、そこに「在る」のかもしれぬ。 

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