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2006/03/30

夜に詠める歌 立原道造

夜(よる)に詠(よ)める歌(うた)   立原道造

 夜だ、すべてがやすんでゐる、ひとつのあかりの下に、湯沸(ゆわか)しをうたはせてゐる炭火のほとりに――そのとき、不幸な「瞬間の追憶」すらが、かぎりない慰めである。耳のなかでながくつづく木精(もくせい)のやうに、心のなかで、おそろしいまでに結晶(けつしやう)した「あの瞬間」が、しかし任意の「あの瞬間」が、ありありとかへつて來る。あのとき、むしろ憎しみにかがやいた大氣のなかで、ひとつの歌のしらべが熱い涙に濡らされてゐた、そして限りない愛が、叫ぶやうに、呼んでゐた、感謝を、理解を。……私は身を横たへる。私は決意する、おそれとおどろきとをののきにみちた期待で――日常の、消えてゆく動作に、微笑に、身をささげよう、と。さようなら、危機にすらメエルヘンを強ひられた心! さやうなら、私よ、見知らない友よ!……私は、出發する。限りのある土地に、私は、すべての人のとほつた道を、いそがう。人はどれだけ土地がいるか。身を以て――。夜だ、すべてがやすんでゐる。やがて燈が消される。部屋がとほくから異(ことな)つた裝ひをして訪れる。私の身體はもう何も質問しない。恩寵(おんちよう)も奇蹟も、ひそかなおしやべりもなしに。眠りと死とのにほひが、かすかに汚れたおもひをひろげはじめる。夢みる、愛する、そして旅する。それは幻想(げんさう)だらうか、さうであつてくれればいい、私が、鳥の翼と空氣との間に張られた一枚のあの膜(まく)のやうに、不確(ふたし)かなやぶれやすい存在であるとは。誰が私に言ひ得ようか、物體は消え去ることがないといふ保證を――。それは嘗てメタフイジイクの幻滅だつた、ここを過ぎて、私はまた何をねがふのだらうか。私はしづかに死ぬ。そして死んでゐる。葦(あし)のやうになつた耳を立て、限りない愛に眼ざめる。すでにふたたび、裏切られもしないで、裏切りもしないで……。闇のなかでは、かすかな希望や物質が微妙(びめう)な影をうすく光らせる。夜だ、すべてがやすんでゐる。さうだ、誰が眼ざめてゐよう、私もまた、もう眠られなくなつた星ばかり、外の空に溢れてゐるだらう! 見られずに、信じられずに――。ただ答へるのは、かくされた泉ばかりだらう。すべてがやすんでゐる。私もまた、夜だ。眠りにひたされて、遺(のこ)された子守唄! そして、すべてが失われてゆくだらう、やすみながら。闇に、つくりもせずつくられもしない闇に。そして光に、かへつてゆくだらう。夜だ!……

では、2日の深夜まで、暫く、ごきげんよう。

2006/03/29

芥川龍之介 大導寺信輔の半生

芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。

明日から暫く、僕は北への旅に出る。その間にある者にとっては、もしかすると、残念ことが起るかも知れぬ。しかし、それは「あなた」にとっての、悲しいことではないのだ、「僕」にとってこそ、まさに、悲しいこと、なのだ。

2006/03/28

岡田先生へ

今日で最後の、リハビリの岡田先生、ありがとう。
淡々と施療することは一つの鉄則です。
精神科医は患者とのラポートの状態が生じて、3年、長くても5、6年もすると、他病院に転勤するという話を聞きます。
患者と擬似的な親しそうな関係を作ることは、決して、治癒にいい効果をもたらさない。
あなたは、患者のメンタルな部分に関わるのは苦手だとおっしゃいましたが、いいえ、あなたは医師として(ここで、きっぱりと言っておかねばなりません。あなたは医師であり、作業療法士も理学療法士も、いや、私は看護師や病院に勤務する諸々の人々は「医師」と呼称されねばならないと思います。そうした総体なしに「医」というものは成り立ちません)、僕の生涯の中で、忘れ得ぬ名医でした。
整形外科の主治医の先生よりも、です。
私の腕は、80パーセント止まりの復元ですが、私の魂の復元は、120パーセントです。

最後に一言だけ。
IDカードの写真は、新たにお撮り直しなさい。
今の方が、数十段、美人です。

――カッチーニの「アヴェ・マリア」を聴きながら――
(この曲、機会があったら是非、聴いて下さい。私の好きな曲なのです。これが、半年の間、施療とは言え、中年のむくつけき不快なお喋りな私の腕を触り続けねばならなかった貴女への、私のささやかな御礼です。)

2006/03/26

芥川龍之介 奉教人の死

芥川龍之介の「奉教人の死」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。校正しながら、涙を禁じえなかった。間違いなく切支丹物の最高峰である。

やぶちゃん版伊東靜雄全詩集補遺

遅れてきた菜の花忌への追悼として、「心朽窩 新館」の「伊東靜雄全詩集(やぶちゃん版)」に、伊東靜雄全集の詩篇以外の散文・日記・書簡から拾い出した詩篇を「やぶちゃん版伊東靜雄全詩集補遺」として公開。これで、テクストとして僕の一つの独自性を獲得できたと考えている。

2006/03/24

沢山の涙を見てきたけれど、今日のある涙は、僕が生涯、忘れない涙の一つだった。僕は確かにその時、もらい泣きをした。この、冷血な僕でさえ……

2006/03/23

クーナウ「聖書ソナタ」第一番

友人からグスタフ・レオンハルト版のクーナウの「聖書ソナタ」を頂いた(彼のハープシコードは最後の音を妙に引っ張る感じがあって好まなかったが、ここでのオルガンの演奏はいい)。第一番の「ダヴィデとゴリアテの戦い」の「この忌まわしき敵を見た時のイスラエル人(びと)の戦きと神への祈り」が、書斎では、一昨日から延々とエンドレスで鳴りっ放しである。僕には、本来、オルガンの通奏低音の緩やかな上下降の旋律に生理的に入れ込む性質(たち)がある。これは、それこそ僕の不治の「堕ちて行く宿命」、病そのものなのだと思える……

2006/03/22

やはり怠けている訳ではない

今日で公的な一つの仕事が終わった気がしている。後は、明後日にもう一つだけプライベートな大切な仕事が残ってはいる……

HPの方も、やはり怠けている訳ではない。もうかれこれ一週間かけて、「やぶちゃん版伊東靜雄全詩集」の完全化に向けての作業を続けている。題して「やぶちゃん版伊東靜雄全詩集補遺」である。ご期待あれ。出来れば、今月末までには公開したいと思っている。

それは、僕の一つの、ある区切りへの矜持として、でもある……

2006/03/21

ナミイと唄えば

こんなポジティヴな映画を見るのは、二十年ぶりかも知れない。大層、すっきりと感激できた。

「ナミイと唄えば」

自分の悩みを最上のブイヤベースと思う、僕もあなたも、やっぱり、救い難い、馬鹿、だ。

ナミイおばあのエンディングの

「死ぬまで一緒に遊びましょうね!」

なんていい台詞だろう!

東中野にて、上映中。

2006/03/18

やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン

「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」の「うつろ舟の蛮女」に原典画像を追加、同時にレイアウト及び第三夜も同一ページに改組し、スキャナーのお蔭で満足できるものにリニューアルできた。

今日は5年前の卒業生のクラス会に招待された。みんな僕より大人になっちゃったんだろうな。

人工身体論

元教え子のミクシィの書き込みに感じるものがあり、朝から書き込みをした。こちらに、そのままコピーしておく。題名は大好きな金塚貞文の著作の真似だ。

前に言ったか。

僕は献体をするが、医学へ貢献という思いは微塵もない。

それは言うなら、自己救済であり、同時に自我の暴威でもある。

何者にも曖昧につながらぬ死後の自身を求めるための。

僕は、当り前に僕として死にたいだけだ。

 

僕は如何なる臓器移植も拒否する。

そのようにしてまで生きていたいと思うほどに、この世は魅力的でない。

但し、臓器移植によってのみ存命可能な人が、それを望むことを否定しない。ES細胞もクローン技術も基本的に僕は同じコンセプトで考えている。

 

何故、自身の思想の根底においては反対なのか。

それは大半の科学者の関心は、行為という技術の魅力にあり、結果がもたらす倫理にはないからである。

バイオ・エシックス等と声高に叫ばねばならぬ状況自体が、医の持つ根源の精神性が失われた証である。

そもそも医者とは職人であった。それがハイテクによって、「さばく」という手先一本の覚悟を失った時から、魂は失われたのではなかったか。

 

だが、兵器に詳しい君に釈迦に説法だが、技術はオール・オア・ナッシングなのだ。

一部の臓器移植の規制が緩和されれば、それは速やかに人間牧場へと必ず向かう。クローンや、人工生命体も同じだ。

一部の医師は未だに前置換手術の誘惑にかられているであろう 。君の首と僕の首の挿げ替えである(とっくの昔にチンパンジーで成功している)。脳は、拒否反応を起こさぬ臓器だから。

アインシュタインの脳の一部がオークションに出たのは数年前だが、あの脳は、二十数年前までは、完全体でリンゲル液の中に浮かべられ、時々、電気ショックを与えるとそれに反応していた、などということを知っている人は少ない。あわよくば、彼の頭脳を再活用しようとしていたのだ。

おぞましいことだ。アインシュタイン自身がそれを知ったら、彼は、自身の脳を床に落とすだろう。豆腐のように、べチャッとね。

 

いくつのも団体が反対する夢のES細胞も確実に開発され、胚性幹細胞が何たるかも知らずに、金のために自分等の受精卵を売り込む夫婦はゴマンと出るであろう。適度の生活難と性生活は反比例するから。

しかし、ES細胞への反対声明は、考えようによれば、コンドームを付けてセックスをしている奴等の根源的発想とES細胞を批判する生命倫理の境界の曖昧さ、即ち、カトリックの避妊否定の論理と何等変わらぬ。

 

そうだ。 我々がマスターベーションや夢精をするときに、生命倫理を考えぬのは片手落ちだ。受精しない精子や卵子を排出すること=そのような性行為を行う時、生命倫理を考えぬのは片手落ちだ。(言葉狩りに断固反対する僕はこの言葉を普通に使う。実際、僕は「半片手落ち」だしな)。

僕自身をも含めて、生命倫理を語るものは、最後に「僕はマスターベーションも夢精も、膣外射精もファラチオもしない」と宣言せねばならぬ。

これは、夢精一つで生物学的に絶対不可能である。

しかし、それでも僕等は、やはり黙っていられないのだ。

君と同じだ。

そこにあるのは「違和感」だ。

即ち、それは気高い倫理というよりも、非自己に対する違和感なのだ。

朝から、気持ちよく悩ませてくれた。 ありがとう。

2006/03/16

クーナウ「聖書ソナタ」

バッハの先達、クーナウの「聖書ソナタ」のCDを求めて横浜まで行くも、散々調べてもらって、英文リストの中からドイツの地方都市のレコード会社が発行していることが分かったものの、入荷は五里霧中。とりあえず注文した。しかし、こうした便が忘れた頃に、ふっと届くのも、また、風流ではある。

2006/03/13

花幻忌

 

 今日は花幻忌。

 以下は、2005年8月7日に「原民喜原爆句集」を公開したときのブログであるが、今回の「原民喜句集(杞憂句集)」に合わせて、一部を削除し、再書き込みをする。

 アドルノは言った、「アウシュヴィツの後に詩を書くのは野蛮だ」。それは「広島」「長崎」であろうと、「南京」であろうと、「パールハーバー」であろうと、更には「イラク」であろうと、僕には同じことだと想う。しかし、ツェランは書いた、民喜も書いた。僕は原爆文学の中で、唯一、詩魂と言うべきものを感じるのは、彼だけである。

 それ以前に最愛の妻を失った時、彼の死は始まっていた。被爆後、それは明白な遺書としての戦後として立ち現れてきた。僕はツェランと全く同じ苦痛を民喜に見る。彼が友人の藤島宇内に語った言葉、「書くことがなくなったら、死ぬよ」。1951年3月13日、中央線吉祥寺近くで鉄道自殺を遂げた。45歳であった。

 

夏の野に幻の破片きらめけり

 

この句は勿論、彼の「碑銘」(彼の広島にある文学碑に刻まれている)

 

遠き日の石に刻み

       砂に影おち

 崩れ墜つ 天地のまなか

 一輪の花の幻 

 

に比べれば、劣るやもしれぬ。それほどに、「夏の花」の彼の例のカタカナ詩の示した被爆の現実の奇怪性と、対照的な恐ろしいまでに抑制された記録文体は、読んだ者に、それ以上の衝撃を他に起こさせないほどの、フラッシュ・バックを持っている。

 それでも、僕はやはり、彼の句を全的に詠むことを自らに命ずる。被災の直後の次のカットバックを僕は、正視しなくてはならぬ。

 

炎の樹雷雨の空に舞上がる

 

日の暑さ死臭に満てる百日紅

 

梯子にゐる屍もあり雲の峰

 

水をのみ死にゆく少女蝉の声

 

人の肩に爪立てて死す夏の月

 

そうして末尾に、彼の黙示を、僕は見る。

 

山は近く空はり裂けず山近く

 

 遠藤周作の手記に、民喜が神保町の都電のスパークを凝っと見つめるシーンがある。彼は、永遠の業火を、永遠に見ていた。

 我々も同じようにその業火の幻を見続けねばならぬのだろうか。それが、我々に突きつけられた原罪なのだろうか。

 ツェランが、そして民喜が自死した意味は何か。それは決して僕らへのおめでたい、まことしやかな、生温くそれでいて実は冷えきった平和への、メッセージ等に読み替えてはならぬ。それは、この愚かしき人類というものに突きつけられた、存在論的な疑義である。それは答えを求め得ぬことを知っている疑義である。でなくて、どうして彼等は自死するであろう。

 

彼は最後に美しい恋を抱いた女性がいた。彼女に宛てた遺書でも「この僕の荒涼とした人生の晩年に あなたのやうな美しい優しいひとと知りあひなれたことは奇蹟のやうでした(改行)あなたとご一緒にすごした時間はほんとに懐かしく清らかな素晴らしい時間でした」と記している。作品の中にも、U子の名で登場する。自死前年の春、遠藤周作と彼女らと多摩川にボートを浮かべた。雲雀が舞い上がった。彼は、ぽつりと「ぼくはね、ヒバリです」「ひばりになつていつか空に行きます」と呟く(遠藤の手記「原民喜」にその下りは詳しい。民喜の遺書はこれと共に読むべきである。僕は何度読んでも涙を禁じえない。若い頃、これを授業で朗読するという無謀な行為に及んだこともあった)。

パリ留学中の遠藤への遺書。

「これが最後の手紙です。去年の春はたのしかつたね。ではお元気で。」

そうして、彼女へ宛てた遺書の冒頭は、こうであった。

「とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます」

被爆60年。この60年は何だったのか、そして、我々は、この後、何処へ行こうとしているのか……

2006/03/12

梶井基次郎 路上

梶井基次郎の「路上」を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。
僕の記憶にある最初の本格的な純文学体験は、中学一年の夏の、トルストイの「復活」だった。国語の女教師は読書感想文全国コンクールに僕の感想文を出そうとして、何度も書き直させた。書き直す都度に娼婦カチューシャの叙述を増やしたら、女先生の表情は曇りがちになり、最後には「あなたにはこの小説はまだちょっと早かったわね」と言われて、コンクールの話はなかったことになった。だから良く覚えている。
そうして最初の本格的な日本純文学の記憶は、同じ頃に読んだ梶井の「路上」だった。
僕とって、崖とは永遠に忘れられぬ遺恨である。そのうちに書くこともあろうが、小学校1年の頃に日々いじめられた、その象徴が、崖である。
この小説の傾斜は、ある強力なその記憶のフラッシュバックを私に起こさせるからか、一読、忘れ難かった。
エンディングの

「歸つて鞄を開けて見たら、何處から入つたのか、入りそうにも思へない泥の固りが一つ入つてゐて、本を汚してゐた。」

僕はこの日の学校帰り、山伝いの道を歩きながら、梶井の小説集を入れた学生鞄の中に、赤土から掘り出した赤茶けた泥の塊を潜ませたのを覚えている……

2006/03/11

原民喜句集(杞憂句集)

「原民喜句集(杞憂句集)」を「やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇」に公開。従来の「原民喜原爆句集」はこの「杞憂句集 その二」の末尾にあったものなので、吸収させた。民喜への、僕のささやかな献花として。

2006/03/08

ミクシィの回し者

元教え子及び知人へ

mixi (ミクシィ)に来れ! 僕のブログでは書き込みが出来ないが、ここに登録すれば(無料)、あなたのブログ(外部ブログ可)も読めるし、僕も気軽にコメントできる。僕も元教え子に招待された。今は、仲間(マイミクと称する)が30人を越えた(因みに全て元教え子)。30人は少ない方だけれど、僕はここで毎日のように、懐かしい顔に逢えるのだ。以下に、新規登録の一部を引用して安全度を保証する(まてよ? 僕がアブナイか?)。

『mixi (ミクシィ) では、健全で安心感のある居心地の良いコミュニティを醸成して行きたいという想いから、招待なしでの新規登録は行えない仕組みになっております。』

紹介は僕がするよ! 但し、現役生徒は、卒業してからにしてね! そうしないと校長先生に怒られて、クビになっちゃうからね。しかし、厭な、世の中さね。 

芥川龍之介 椒圖志異 画像挿入

芥川龍之介の「椒圖志異」に画像挿入を終えた。原文の一部も見ることが出来る。お薦めだ。

2006/03/06

芥川龍之介 トロツコ

芥川龍之介の「トロツコ」を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。前言の通り、読みを殆ど排除してある。中学の教科書によく載るが、これは、大人への童話である。童話として子供が読むよりも、恐らく大人の失われた少年期への憧憬の琴線にこそ触れるものである。少なくとも、僕にはそうだった。

この作は、芥川龍之介の知人で、作家志望だった力石平蔵の書いた原稿を素材にしたものである(凡そ倍に書き直したと聞く)。その後、力石の名が取り沙汰されることはなく、力石の原作を、僕は読んだことがない。力石の意識の中で「断續してゐる」その藪蔭には、芥川の後姿がちらちらと見え隠れするように見える時、僕は、この珠玉に、少しだけ淋しい気もすることがある。

もう一つ、松本清張の「天城越え」は、一般に対照的に語られる川端康成の「伊豆の踊り子」ではなく、この芥川の「トロツコ」のイメージと強くダブって、僕には見える。

國木田獨歩「忘れえぬ人々」読み排除版

「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」の國木田獨歩「忘れえぬ人々」の初めに、読み排除版を追加したのを言い忘れていた。底本通りでは、実は大変読みがうるさい(実際に電子テクストでの括弧書きの読みはたまらなくうるさいと感じる人は多いと思う)。では、ルビを打てばいいのだが、タグの煩瑣もさることながら、僕にはルビ行の挿入によって、多くの電子テクストを見た時、ルビのある行とない行の行間の不一致が不快さを催すのである(行間補正をすればよいのだろうがそこまで労力を費やしてルビを振ることの価値を認めないのである)。ルビはないに越したことはないというのが僕の考えである(鏡花のようにルビが一つの個性として発揮されている場合は別である。彼の原稿を御覧になれば、ルビが一体のものであることがお分かり頂けるものと思う。だから、好きな作家でありながら、鏡花のテクストアップには躊躇する。俳句は例外中の例外)。芥川龍之介の公開作品でも、読みが振れるものや独特の読みをしているもの以外は省略したものがある(そうしたものは最初の注記で断ってある)。まあ、ルビをつけることの諸々の面倒が厭だというのが本音で、教師が良くやる手で、読めない字は自分で調べましょうと逃げを打つているのに大差はないとも言える。しかし、読みの有無の取捨選択に際しては、一度、声を出して朗読し、付けるべき読みは付けている。これは、不精な僕が、不精なりに己れに課している節ではあるのである。いや、この朗読という奴も、実を言えば己が楽しみなのではある。

「己れに課す」と言えば、今日、遂に自己拘束が起動した。これも、自身で覚悟したことではある。

2006/03/03

芥川龍之介 魔術

芥川龍之介の「魔術」を公開。

小学校一年生の梅雨時、体育の授業の自習、木造校舎に陰気にこもる、ざあざあという雨音の中、上級生の憧れのお姉さんたちが、紙芝居を持って来てくれて、読んでくれたものだ。プロの紙芝居の絵師が描いた、おどろおどろしいタッチの絵で、僕は、四十三年も経った今以て、その綺麗なお姉さん二人の顔と対照的な、金貨をばら撒く主人公の怪人二十面相のような慄とする相貌を覚えている。それは勿論、この「魔術」だったのだ。

明日と明後日は湯治に出かけるので、更新はお休み。後遺症を残しながら、今月限りで、病院のリハビリからは見放される。しかし、通院は、魂に於いて、「危険がアブナイ」日常でもある。

2006/03/02

俗の中に魔は隠れている

エリアーデは「俗の中に聖は隠れている」と言った。

先日、敬愛する伊福部昭先生が亡くなった。たまたま、ある知人と彼の楽曲の話をし、お互いに持っているものを貸し借りした。僕にとって、戦後映画、とりわけ本多猪四郎、円谷英二のゴジラを始めとする特撮映画の音楽とSEのイメージの中に、伊福部先生はいた。

昨日、その知人の貸してくれたものの中に、驚天動地の一曲があった。いや、その曲がその時使われた、その時、伊福部先生自身が驚いたという。

……マッカーサーが厚木基地に降り立った映像は有名だ。あのコーンパイプを銜えた有名な、あの時、彼があの足を、敗戦国日本の地に降ろした時、何の曲がかかったか。

勿論、アメリカ合衆国国歌に決まっている。しかし、それでは、マッカーサーが迎えの者共の敬礼を受け、車上の人なるには、短かった。国歌の演奏の後に、かかったのは伊福部先生の曲だったのだ。

それは戦中に、海軍が先生に依頼して作らせた古典風軍楽「吉志舞」だった。

それを、聞いて僕は愕然とした。

その、主調部分の金管の奏でる、荘重な、力強い、メロディは……

1954年の「ゴジラ」の水雷攻撃の颯爽たるフリゲート艦出撃の、あのフレーズであり、それにジョイントするのは「怪獣大戦争」のテーマであった……

マッカーサーは作曲者も誰も知らないうちに、まだ現れぬゴジラの、メタファーであったのだった……

これは、冗談ではない。

その衝撃の覚めやらぬ中、夜、僕はNHK教育の、ドキュメンタリーを見ていた。ドラキュラ伝説に関わる民俗学的考察の至って真摯な海外ドキュメンタリー。勿論、取材地はルーマニアだ。

ドラキュラがトラキアのフラド・テペシュ公、ヴラド串刺し公をモデルにしていることは、物好きならば、誰もが知っている。

番組の最後で、社会主義を私物化した、あの独裁者チャウシェスクが、市民の民主化蜂起の中、ヘリで最後の逃亡してゆく映像が映った……。彼は、勿論、惨めに銃殺された。その映像もかつてニュースで見た。しかし、彼が、逮捕された逃亡の地は、知らなかった。

それは、フラド・テペシュ公の城、ドラキュラ城であった……

これも、冗談ではない。

エリアーデの言葉は、考えてみれば、その逆も信なりということは、謂うを待たないのだと、僕は、感じたのだった。

2006/03/01

芥川龍之介 南京の基督

芥川龍之介の「南京の基督」を公開。宋金花――芥川龍之介の作品中、最も純真な美少女。高校二年生の時、一読、この作中の金花に烈しく恋情を懐いたのを、思い出す。…………

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