懐かしのわが家 寺山修司
懐かしのわが家 寺山修司
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかかって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいい家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ
*
寺山というクライン管は、その裏返った脳を、「死なない蛸」のように喰らい尽くす。そうして、僕らは不断に永遠に裏切られ続ける。それは絶望的にみすぼらしくて、妖しく美しい、致命的なエクスタシーだ。世界の涯ては、いつも僕たちの脳の中にしかないというのは、養老盂司が言うよりも、素直に僕には墜ちてくる。(詩の引用は「韻文図書館データ」より孫引き)