二度目の結婚(補正の再補正)
2005年12月25日の以下の推測記載を、続く下に補正した。
* * *
或阿呆の一生 四十三 夜
夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫(しぶき)を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。
「あすこに船が一つ見えるね?」
「ええ。」
「檣(ほばしら)の二つに折れた船が。」
*
僕にとって所持する岩波版旧全集は殊の外思い出深い書籍である。大学三年の時、岩波書店に勤務する知人が既に品切れになっていたこの全集の在庫を、破格で分けてくれた。裸で全十二巻を二つにして、鈴蘭テープで縛り、中目黒まで両手でぶら下げて帰った。二日程両手の関節が腫れ上がった。その時、初めて手にした大部の個人全集に有頂天になった。後にも先にも、10巻を越える個人全集でそのすべてを読んだのは、芥川しかない。書簡部分も確かに読んだはずなのだが。
*
ところが、今回、書簡俳句の拾い出しをしながら、拾い読みをするうち、目から鱗の発見があった。
無意識のうちに、おぼろげなイメージとして半理解して分かったと思い込んでいた、この「或阿呆の一生」の「二度目の結婚」という言葉であった。彼が、ここで如何に悲壮な喜悦の「二度目の結婚」したか、腑に落ちた。だからこそ、彼には「檣の二つに折れた船が」見えた。
大正十五年七月十日付小穴隆一宛一四九二書簡、スパニッシュフライ……
* * *
今回、小穴隆一の「二つの繪」を読み、しかし、この僕のあざとい推測は誤っていたことが分かった。僕は、この一四九二書簡の「スパニッシュフライ」(=カンタリス=ツチハンミョウ類の持つ毒物)を催淫剤として読んだのであったが(実際に微量に用いると、排尿の過程で、尿道の血管を拡張させて充血を起こさせ、この症状が性的興奮に似るため、催淫剤としての効能を持つと信じられてきた歴史がある。たとえば、マルキ・ド・サドは売春婦へのこれの使用による毒殺で訴えられている。小穴は連綿陰茎勃起と記しているが、猛烈な掻痒症状を引き起こし、催淫剤としての効果はないと考えられる)、これは実は、カンタリジン(カンタリジン酸の無水物。皮膚に付着すると水疱性皮膚炎を起こし、微量でも摂取すると腎臓障害を引き起こす。ヒトの致死量は、約30mg。)による芥川の毒物による自殺の願望の表明であった。この毒物に芥川が関心を持ったのは、谷崎潤一郎の殺人小説がヒントであったとある。芥川のスパニッシュフライへの自殺用毒物としての渇望は、それ以前にも並々ならぬものがあったようで、この鵠沼以前にも、小穴はある医師の仲介役になって、文を通して芥川に一瓶の「劇薬」と書いたスパニッシュフライを手渡したとも書いている。但し、これは見るからに古びたもので、芥川か、文か分からない(小穴の文章はねじれたもので恐ろしく読み取りにくい)意志によって、小穴に返されたという。更に言うならば、小穴がこの時持っていたスパニッシュフライはペルーから帰国した遠藤清兵衛という人物から入手したもので、綺麗で小さいものと表現している。小穴がこれを所持していたのも、自殺目的であった。彼の当時の恋愛相手との万一の際の心中用であったとする(しかし考えるに、一匹のカンタリスが確実な死を齎すのであれば、それはもっとメジャーな自殺毒物として喧伝されるはずであるようにも思われ、その実効性には僕は疑問を持つ)。
さて、「二度目の結婚」という言葉の方である。彼のこの時の鵠沼での生活を考えた時、これはもっと素直に読んでよいのであろうと思い至った。それは、一時ではあったが、彼が久しぶりに家族水入らずの、鎌倉での新婚時代のような環境に居られたこと、更には、妻以外との、「狂人の娘」秀しげ子を筆頭とする複数の女性関係の、とりあえずの終息の意識(これは文学的修辞であって、事実は勿論、そうではない。たとえば、七月一日の鵠沼転居の翌日には、秀しげ子が「あの」子供を連れて見舞いに来ている。翌年の自死の直前の四月上旬には平松麻素子との心中未遂があり、何よりも恐らく、松村みね子への思いは、その自死の最後まで強くあったに違いないのだが)の中での、文との関係の改善、回復の刹那的瞬間(悲しいかな、それは彼にとって、実際の沖の船に、檣の折れた幽霊船を見るような、哀しい幻想でしかなかったのだが)を言ったものであろう。
しかし、同時に、やはり、それは悲壮な喜悦であったことに変りはないのだ。「或阿呆の一生 四十三 夜」は、悲壮な自裁を決意した中での、最後の家族の絆という喜悦の、彼なりのレクイエムであったのだ。迫り来る夜、荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫を打ち上げ、そこに木の葉のように翻弄される芥川の主船の檣は、とっくに二つに折れ、沈みかけている。そうしてそこでの彼は、既に、救命ボートに妻子のみを乗せて、自身は、その折れた檣に己が身を括り付けたまま、静かに沈んで行く孤高の覚悟を決していたと言うべきであろう……