漱石の「先生」風和辻哲郎宛書簡
昭和四十二(1977)年岩波書店刊「漱石全集 第十五巻 績書簡集」より、大正二(1913)年の和辻哲郎宛一七一五書簡を紹介する。「こゝろ」の「先生」を思わせる漱石の手紙である。「こゝろマニアックス」の最後にリンクをかけた。二箇所の注は、同全集の注解を参照した。
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十月五日 日 午後一―二時 牛込區早稻田南町七番地より 府下大森山王二千六百番地和辻哲郎へ
拝復
あなたの著作[やぶちゃん注:この月に出版された、和辻の「ニイチエ研究」を指す。]が届いてから返事を上げやうかと思つてゐましたがあまり遅くなりますから手紙文の御返事を書きます。
私はあなたの手紙を見て驚ろきました。天下に自分の事に多少の興味を有つてゐる人はあつてもあなたの自白するやうな殆んど異性間の戀愛に近い熱度や感じを以て自分を注意してゐるものがあの時の高等學校[やぶちゃん注:漱石が教鞭を執っていた第一高等学校を指す。]にゐやうとは今日迄夢にも思ひませんでした。夫をきくと何だか申譯のない氣がしますが實際其當時私はあなたの存在を丸で知らなかつたのです。和辻哲郎といふ名前は帝國文學で覺えましたが覺へた時ですら其人は自分に好意を有つてゐてくれる人とは思ひませんでした。
私は進んで人になついたり又人をなつけたりする性の人間ではないやうです。若い時はそんな擧動も敢てしたかも知れませんが今は殆んどありません、好な人があつてこちらから求めて出るやうな事は全くありません、内田といふ男が來て先生は枯淡だと云ひました。然し今の私だつて冷淡な人間ではありません。あなたに冷淡に見えたのはあなたが私の方に積極的に進んで來なかつたからであります。
私が高等學校にゐた時分は世間全體が癪に障つてたまりませんでした。その爲にからだを滅茶苦茶に破壊して仕舞ひました。だれからも好かれて貰ひたく思ひせんでした。私は高等學校で教へてゐる間たゞの一時間も學生から敬愛を受けて然るべき教師の態度を有つてゐたといふ自覺はありませんでした。従つてあなたのやうな人が校内にゐやうとは何うしても思へなかつたのです。けれどもあなたのいふ樣に冷淡な人間では決してなかつたのです。冷淡な人間なら、あゝ肝癪は起しません。
私は今道に入らうと心掛けてゐます。たとひ漠然たる言葉にせよ道に入らうと心掛けるものは冷淡ではありません、冷淡で道に入れるものはありません。
私はあなたを惡んではゐませんでした、然しあなたを好いてもゐませんでした。然しあなたが私を好いてゐると自白されると同時に私もあなたを好くやうになりました。是は頭の論理で同時にハートの論理であります。御世辭ではありません事實です。だから其事實丈で満足して下さい。
私の處ヘセンチメンタルな手紙をよこすものが時々あります。私は寧ろそれを叱るやうにします。それで其人が自分を離れゝば已を得ないと考へます、が、もし離れない以上私のいふ事は雙方の爲に未來で役に立つと信じてゐます。あなたの手紙に對してもすぐ返事を出さうかと思ひましたが、すこしほとぼりをさます方がよからうと思つて今迄延ばして置きました。 以上
十月五日 夏目金之助
和 辻 哲 郎 樣
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