最後に
いつまでも悲哀の中に居続けることは苦痛である。しかし、僕はその悲痛を忘れることも堪えられない。
最後に、一言、言い忘れたことを、書く。これは僕自身への自戒といううべきものとして読んで欲しい。決して説教ではない。
それで、僕は再び瞑想の中へ、否、迷走の彼方へと帰ろうと思う。
僕は頭が悪い。だから、せめて好きなものへの「智」で自らを防御するしかなかった。これからもそうだ。
君に好きなものがあったら、誰にも負けないという自信を持てるまで、その「智」を吸収し尽くせ。勿論、それでも、それを越える人物に逢うかも知れぬ。しかし、その時は、そいつを越えることを楽しみとせよ。
そうして、「知らない」ということの喜びを知れ。「知らない」ということは「知る」喜びが残っているということだ。すべてを知ってしまったら(「知ってしまったと満足するなら」というのが正しい僕の文法なのだが)、それで「智」は終わりであり、屍に過ぎぬ。
更に言えば、「知らない」ことの絶対的価値をも射程に入れよ。「知らない」ことによって、見えてくる真実の世界が、厳然としてあることも知るべきである。
「智」に対して、貪欲且つ謙虚であれ!
« お別れに | トップページ | 芥川龍之介 杜子春 »