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2006/05/08

(子供の時、病気になった……)

         子供の時、病気になった
飢えと恐れのために。くちびるのかさぶたを
剥し   くちびるをなめた。思い出す、
すこし冷たく、すこし塩辛い味を。
ぼくは歩く、いつまでも、いつまでも、
玄関先の階段に腰を降ろし、体を暖める、
歩く、ふらふらと、笛につられて、鼠取りのあとを
川の方へついて行くみたいに。階段に
座り、体を暖める、からだじゅうがぞくぞくする。
すると、母が立って、手招きしている、
そばにいるみたいなのに、すぐそばまでいけない、
近づいたと思うと、七歩先に立って、
手招きしている、近づいたと思うと、
七歩先に立って、手招きしている。
               熱い、
ぼくは襟のボタンをはずし、横になる、   
そのときラッパが鳴りはじめ、光がまぶたを
打った、馬が飛び出した、母が
道路の上に舞い上がり、手招きする、   
そして飛びさった……
         そしていまぼくは夢に見る
りんごの木の下の白い病院を、
そして、のどのしたの白いシーツを、
そして、白衣の医者がぼくを見る、
そして、白衣の看護婦がぼくの足下に立ち、
翼を動かす。そうしてそこにずっといた。
母がきた、手招きをした   
そして飛びさっていった……

 Arseny Tarkovsky

[Andrei  Tarkovsky「映像のポエジア」(鴻英良氏訳)より]

タルコスキー「論」を語り出そうとする者は、彼の父母双方へのアンビバレントな感情を解剖せねばならぬであろう。しかし、それは恐らく、タルコフスキー自身の最も嫌悪するものであり、彼の映像を説明するためにはそれは有効に機能しない。彼の映像は、彼を説明する写像ではないからだ。彼の存在が、彼の映像の鏡なのだということを知る時、僕たちは、彼の映像に何の難解さも退屈も感じずに、貫入することができるのだと、僕は思う。

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