末法燈明記訳完了
遂に、自力で完訳した。訳すうちに、これは「偽書」なのか? という真剣な内省の言葉を覚えた。僕は、この一言一句に鮮やかな早暁の如き論理的正当性を、確かに、感じるのである。お読みあれ。「末法燈明記」全文の原典現代語訳は、僕の知る限り、私のサイトにしかないはずだ。勿論、仏教の専門的知識は、ほとんどないに等しいし、「時空間」やら「現存在」やら、かなり自由に用語を用いているから、誤訳だらけであろう。しかし、それも私の確信犯である。大きな誤魔化しをすることなく、私なりの「末法燈明記」のイメージを構築することができたのである。だから、どうだって? その通り! だから、といってどうってことはない。どうにもならない。 而して、その「どうってことはない、どうにもならない行為」をしているまさに無戒名字以下の、その下の下の、救いがたい凡夫の存在である僕は、しかし、「末法燈明記」のその思想によるならば、この白文のWeb公開という作業の中にあっては、確かに「法灯」となることになるのであろう(注意してもらいたいが、私は今も昔もこれからも仏教の信者ではない。いや、いかなる宗教の信者でもない)。それが、この「末法燈明記」というものの逆説的叙述なのだ。
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