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2006/08/13

浅川マキ

浅川マキの好きな知人の女性から、彼女の話をしようとメールが来た。セピア色になった記憶のアルバムをつまぐりながら、書いた。読んだ彼女から、僕のマキ体験が面白い、ブログにしないのは勿体無い、という返事を今朝、読んだ。ここのところ、飴のように伸びた、蒼ざめた時間の中で、HPもブログも更新していない。せめて、お言葉に甘えて、載せることとした。

浅川マキは、僕の中学時代からの(といってもこの二十年は年賀状のみ)親友が、アップ・トゥ・デイトに溺れていた。同じように、私も感染した。その頃、僕は父の仕事の関係で、富山県の海沿いの伏木という町におり、従って、僕らは、「ライヴ」アルバムをレコードで聴いては、ナマで聴けない不遇を、学校帰りの彼の部屋の煙草とジンで、かこっていた。
それでも、この親友は、羨ましかった。彼は、やはり同じ頃、一緒に痺れていたハードロックのチャンピオン、GHR(グランド・ファンク・レイルロード)の東京公演も、実は僕の方が命だったピンク・フロイドのアフロディテ公演も、聴きに行っていた。彼の文通相手の彼女が東京におり、彼が僕のために、フロイドの東京のホール公演を隠し録りしたテープをくれたのには、涙がちょちょ切れたものだ。
閑話休題。
マキでは、やはり「ライヴ」アルバムが、一番の印象だ。あのジャケットといい、パンフといい、サバト反越年儀礼のダークなドキュメント――特に、初期の彼女のレコードは、音楽ではなく、マキという女優であり歌手である、「私、ブスだもん」と言い放って、鮮やかに衣服を脱ぎ捨てるような己がコケティシュの在り所を天性に知ってしまった素敵な女のドキュメントなのだと、心底、思う。
「ブルー・スピリット・ブルース」では「青鬼のブルース」がたまらなく好きだ。その題名を浮かべるやいなや、あのブルージーな曲とマキの声が、膏肓を突く。あのアルバムは是非復刻してもらいたいところが、ベスト版「ダークネス」の発売だけでも、魔術的驚異、無理なんだろうな。僕の見果てぬ夢だ。
マキが、街頭インタビューの中で「何になりたい?」と聴かれ、すかさず「娼婦になりたい」と答える。
ドギモだった。
僕は、勿論(!? あの頃の僕の友人達は概ね既に経験済みであった)、童貞だった。
だから、いや、だけど、彼女を「買いたい」と心底、思ったものだった。
あの企画自体は、演劇部だった僕にとって、煮臭い演出がかかった、陳腐なパフォーマンスであり、全体としては好きになれなかった企画だったけれども。
ちなみに、ネット上で浅川マキを検索すると、必ず「○○駅に老婆の浮浪者がいて、振り仰いだその顏を見たら浅川マキだった」とか「買った老娼婦、翌朝の朝日の中で笑ったそのぞっとする顔は、浅川マキだった」というアーバン・レジェンドを見かけることがある。その、ルーツは、定めし、この辺りだろう。さすれば、この都市伝説は、大人と子供の境界年齢が話者主体というセオリーからは外れる。僕らよりも上の年齢の、中年男が創り出した稀有の噂話ということになるわけだ。いや、それだけ、僕らは始末におけないプエル・エテルヌスということか。でも、公式ページで、未だに意味深に「しばらく旅に出ます」の一言でフラっと消えるところなんぞは、彼女自身、伝説の確信犯というところか。
「ライヴ」と「裏窓」は仕事についた20代に、それでも最後のアナログを買っておくことが出来た。
「裏窓」もいい。
寺山の詩、『神様が角笛吹く~』、そうそう、「セント・ジェームズ医院」の南里! これは絶品! 僕は本家サッチモの演奏より、断然、好きだ。
また脱線するが、南里の生前、彼の半生のドラマを見た記憶がある(主演は根上淳だったと思う)。戦中、出兵した南方のジャングルで、草笛の手製のカズーで、ペットを吹く真似をするシーンが忘れられない……
そして、筒井康隆作詞の「ケンタウロスの子守唄」、とどめは、線路を枕にあの世行きのブルース、「トラブル・イン・マインド」!
脱線からさらに引込み線に入っちまうが、ちなみに僕は、このメロディが途轍もなく好きなのだ。
お薦めの演奏は Archie Shepp と Horace Parlan(p) のデュオ、まさしくアルバム“TROUBLE IN MIND”。しかし、これは、決してあのドナウゲッチンゲンのシェップではないから、ご注意あれ。ジャズのスピリッツに戻った――冬枯れた、いぶし銀の、シェップだ(但し、これは国産CDは出ていないのではないかと思われる)。序でに言うと、僕は、ジャズを、演奏家丸ごと、「人」として愛するタイプなのだと自覚している。コルトレーンとやっていた頃のパワーを失い、かすれた、御世辞にも旨いとは言えない老シェップの晩年のアルバムに、僕は言いようもない、違った「味わい」を楽しむ。
本線に戻ろう、もう終着駅が近い。

……しかし、「裏窓」を最後に、暫く僕はマキを見失う。
実に20年ぶりに、昨年の今頃、「ダークネス」を買い入れ、久々に聴き入った。――マキは今も、マキだった。淋しい僕の、傍に優しく寄り添ってくれる、慄っとするほど不気味で美しいマキだった――
最後は、「こんな風に過ぎて行くのなら」の詩を引用して、この思い出を閉じよう――

こんな風に過ぎて行くのなら

いつか又、何処かでなにかに出逢うだろう

子供達が駆けてく道を

何気なく振り返えれば

長い長いわたしの影法師

そうよ今夜もやるせない夜の幕が開く

僕は娼婦を買ったことは、ない。
もし、娼婦を買うなら、それは浅川マキしか考えられない。
ベッドで「かもめ」を歌ってもらう。そうして、子供のように、眠るのだ……。

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