« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »
芥川龍之介の「萩原朔太郎君」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。朔太郎の亡き友へのオードを載せておきながら、どうも落ち着かなかったのである。
本日午前中を以て、芥川龍之介のテクスト10篇を公開、短編群とはいえ、充実感がある。
芥川龍之介の生前発表のアフォリズムのほとんど最後となる「(無題)」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介の「耳目記」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介の「都會で――或は千九百十六年の東京――」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。一部をスキャン画像で組み込んだため、アフォリズムに統一させているピンクの壁紙となっていない。
芥川龍之介の「その頃の赤門生活」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介の「囈語」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介「横須賀小景」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介「文章と言葉と」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
芥川龍之介「身のまはり」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
昨日に引き続き、芥川龍之介のアフォリズム風の『澄江堂雜記――「侏儒の言葉」の代りに――』を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。本日は、新規公開ファイル数の新記録に挑戦する。そのために、昨夜遅くまで、弾丸は調えた。
芥川龍之介の静謐な回想録「追憶」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。かなりマニアックなオリジナルの注記が出来た。ご笑覧あれ。久々に芥川テンションが上がった。
芥川龍之介の「春の夜は」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。「八」については、初出形を復元したものを参考に掲げた。
芥川龍之介の「僕は」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。今日は、岩波版旧全集の第八巻に所収している、アフォリズム風の作品を総覧的に公開しようと思う。
なお、本作の「七 幸福な悲劇」の配役は、以下が適役であろう(ブログ『夏の一冊「芥川龍之介の愛した女性」』参照)。
彼:芥川龍之介
彼女:秀しげ子
3:野々口豊
4:南部修太郎
芥川龍之介の「僕は」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。これは「侏儒の言葉」の最終版への過程を考察する上で、欠かせない資料である。
芥川龍之介の「拊掌談」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。やや軽い売文という感じがするが、80年前の芥川の思いつきの予言を、今の現実と比べて見るのも一興である。
眼の限り臥し行く風の芒かな 吉分 大魯
本日、賢治忌。「鬼火」トップページの更新記録の、このブログの「宮澤トシについての忌々しき誤謬」へのリンクを本日分に移行した。
芥川龍之介の「海のほとり」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。「蜃氣樓――或は「續海のほとり」――」をアップしていながら、と先般より気になっていた。多くの評者は、この続篇副題がありながら、このニ作品の関連を論じない。奇妙な現象である。あなたの新発見を望む。
「大渡橋」の書き込みで、当時の女生徒だった女性が消息をくれた。僕が話した、朔太郎の指の癖(相手に分からないようにすっと触る)のことを思い出しましたと書かれていた。そんな他愛もないことが、何だか嬉しい。詩集「純情小曲集」から「郷土望景詩」の全文を引用しよう、貴女に。そうして今度、是非、貴女の美味しい手作りの自慢のパンを、戴きに参ります。
*
中學の校庭
われの中學にありたる日は
艶(なま)めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寢ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに靑きを飛びさり
天日(てんじつ)直射して熱く帽子に照りぬ。
波宜亭
少年の日は物に感ぜしや
われは波宜亭(はぎてい)の二階によりて
かなしき情歡の思ひにしづめり。
その亭の庭にも草木(さうもく)茂み
風ふき渡りてばうばうたれども
かのふるき待たれびとありやなしや。
いにしへの日には鉛筆もて
欄干(おばしま)にさへ記せし名なり。
二子山附近
われの悔恨は酢えたり
さびしく蒲公英(たんぽぽ)の莖を嚙まんや。
ひとり畝道をあるき
つかれて野中の丘に坐すれば
なにごとの眺望かゆいて消えざるなし。
たちまち遠景を汽車のはしりて
われの心境は動擾せり。
才川町
――十二月下旬――
空に光つた山脈(やまなみ)
それに白く雪風
このごろは道も惡く
道も雪解けにぬかつてゐる。
わたしの暗い故鄕の都會
ならべる町家の家竝のうへに
かの火見櫓をのぞめるごとく
はや松飾りせる軒をこえて
才川町こえて赤城をみる。
この北に向へる場末の窓窓
そは黑く煤にとざせよ
日はや霜にくれて
荷車巷路に多く通る。
小出新道
ここに道路の新開せるは
直(ちよく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方(よも)の地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
新前橋驛
野に新しき停車場は建てられたり
便所の扉(とびら)風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に强しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に來りて口の渇きにたへず
いづこに氷を喰(は)まむとして賣る店を見ず
ばうばうたる麥の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の曆は酢え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘠犬のごとくして憫れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の莖は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき步廊(ほうむ)の上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき 感情の軋(きし)りつつ來るを知れり。
大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緖の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故鄕にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干(らんかん)にすがりて齒を嚙めども
せんかたなしや 淚のごときもの溢れ出で
頰(ほ)につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
廣瀨川
廣瀨川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川邊に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼(め)にもとまらず。
利根の松原
日曜日の晝
わが愉快なる諧謔(かいぎやく)は草にあふれたり。
芽はまだ萌えざれども
少年の情緖は赤く木の間を焚(や)き
友等みな異性のあたたかき腕をおもへるなり。
ああこの追憶の古き林にきて
ひとり蒼天の高きに眺め入らんとす
いづこぞ憂愁ににたるものきて
ひそかにわれの背中を觸れゆく日かな。
いま風景は秋晩くすでに枯れたり
われは燒石を口にあてて
しきりにこの熱する 唾(つばき)のごときものをのまんとす。
公園の椅子
人氣なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば故鄕(こきやう)のひとのわれに辛(つら)く
かなしきすももの核(たね)を嚙まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光りて
麥もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲けりわらふ聲は野山にみち
苦しみの叫びは心臟を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の土(つち)を蹈み去れよ。
われは指にするどく研(と)げるナイフをもち
葉櫻のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。
大渡橋 萩原朔太郞
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緖の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故鄕にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干にすがりて齒を嚙めども
せんかたなしや 淚のごときもの溢れ出で
頰につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
(「純情小曲集」より)
注:筑摩書房版全集を用いたが、ルビを排除した。以下に、底本にあるルビを掲げる。
「直(ちよく)・「欄干(らんかん)」・「頰(ほ)」「往(ゆ)」
*
僕に扮した朔太郎の記念に。寝床で「郷土望景詩」を読み、感動して寝巻のまま朔太郎の家に走りこんだ芥川龍之介は、特にどの詩に惹かれたのだろう、ということが私には気にかかっている。
帰りの横須賀線の中で、疲弊しきった脳髄に、今日はせめて『僕は、「暗殺のオペラ」が、好きだ。』という一行の命題をブログに書き付けようと考えていた。――
皆さんはご存知ないだろうが、現在、学校の学級日誌というものは、校内必須保管書類の扱いである。有り体に言えば、何らかの問題(いじめ等)が生じた時の参考資料として「死蔵」され、卒業後3年程で廃棄処分される。何も残らない。残せない。子供たちの懐旧の思いなど、行政には不要なのだ。
僕は、幸いにして、この制度が施行される前までの学級日誌の内、忘れがたい何冊かを、今も保持している。クラス会に呼ばれる都度、確実に場を沸かしてくれる僕のまさにとっておきの、リーサル・ウュエポンだ(そのほかにも、当時の一クラス分の読書感想文やアフォリズム、創作俳句集等の秘密兵器もあるのだが)。
昨日は、ある教え子が、日誌でのジャズの書き込みの対話を思い出してメールをくれたのだが、当時の日記から、どんなことを彼が書き、僕がどう答えたかを活字にして返信した。彼も、吃驚していたが、僕も、読み返して、ほう、こんなことを書いていたかと興味深く読んだ(流石に僕も、保管はしていても、読み返すほどには暇ではない)。
今日は、殺人的な忙しさで、疲れた。テクストを打ち込む余力はない。それでも、この連休のテンションの高まりは断絶したくない気がした(3日でHPでアップしたファイル量は10MBを越えた)。さて、何をしよう。
そうだ、あれだ! 萩原朔太郎の「大渡橋」をやった22年前の3年生。
教科書の作者の写真を切り取って、悪戯書きをし(キモいアボガドロやドルトンなんぞで、あなたもやった記憶があるだろう)、日誌に貼り付けてあった。その似顔は……僕だった(勿論、酒とレコードに給料を使い果たす自転車操業、体重50キロの激痩せの僕を想像してもらうしかないのだが)。
僕は、その絵の横に赤で、「非売品 文部大臣賞!」とコメントを書いた……おおっ! 僕の愛してやまない朔太郎が、僕に、扮している!
1984年1月31日付学級日誌……自分で言うのもおこがましいが、素敵に似ている。ご笑覧あれ! 悔しいが、肩の上がり具合といい……あの頃の僕、邪魅羅を如実に捉えている!……筆者は僕の最も信頼する教え子である。だから著作権料は払わない。
芥川龍之介の「雪」及び「ピアノ」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。本作は、当初、僕の愛する「詩集」と三本立てで発表されたものである。これらを、「雪」「詩集」「ピアノ」と順に読んでみると、そこに、芥川の澱(おり)のような憂いが、半ば心地よいアンニュイを伴って伝わってくる。
緑の子らよ、「ピアノ」を読んでごらん。君らの傍を、芥川は、通り過ぎていたのだ。
南方熊楠の「山神オコゼ魚を好むということ」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
明治44(1911)年3月19日付で柳田國男は初めて南方熊楠に宛てて書簡を出す。
「拝啓。オコゼのことは小生も心がけており候ところ、今回の御文を見て欣喜禁ずる能わず、まだ御一閲下されざるかと存じ候旧稿一、御坐右にさし出し候。」(「旧稿とは柳田國男の「山神とヲコゼ」を指す。)で始まり、自身が始めた「山男」と「地名」研究への助勢を依頼し、かつて熊楠が『遠野物語』を論文中に引用したことを謝した上で、「今またオコゼの御説御表示下され候につけて、突然ながら一書拝呈仕り候。恐々頓首」と終わる。
ここに稀有の二人の創成期の民俗学者の交流が始まるのである。時に南方熊楠、44歳、柳田國男、36歳。そのきっかけは、まさに、この「山神オコゼ魚を好むということ」であった。
後に二人の離反については、種々原因が取り沙汰されるけれども、僕には熊楠の反アカデミックで、グローバルな思考は、所詮、柳田のような存在とは相容れない。しかし、熊楠が論文一つ書いていないから植物学者でないと言い捨てた牧野富太郎なんぞに比べれば、戦後、いち早く、南方熊楠の復権を唱え、全集刊行の企画を推し進めた柳田國男は、真に男であった。
熊楠をテクスト化していると、彼のように口が悪くなっていかん。
本作末尾の「山神絵詞」は、面白いぞ! やや意味をとりづらい所もあるが、使者たる獺が、オコゼ姫の不実を諫め、山神の切々たる思いを伝えんとする場では、思わず「獺屋!」とかけたい気になったわい。古文の勉強だ、教え子達よ、読むがよい。
父の画友、故志賀丈二氏の絵に、それぞれ僕が勝手なダリ風偏執狂的題名を付けて「ART SHOT」として公開した。
「超浮世絵百鬼夜行」(作者が「浮世絵シリーズ」と称したものの内5点)
「地平に屹立する藁 又は 思惟を脱したる弥勒」(作者が「藁シリーズ」と称したものの内1点)
「密室の鳥影 又は 鳥類絶滅種 学名 Siganturellus Jyojipus Yabuno, 2006」(作者が「鳥シリーズ」と称したものの内1点)
また、「志賀丈二略歴」を作り、各ページからリンクさせた。特にこの「浮世絵シリーズ」は絶品である。とくとご覧あれ!
アレルギーと宣告され、少しある腹部の炎症に薬を塗って、お魚のドッグフードに切り替え、ジャーキーも何も間食させなくなったら、すっかり綺麗になった亞里子姫ことアリス。
ところが先日、気がついてみると、何だか鼻の先の後ろが黒い。
母は汚れてると思ってタオルで拭くのだが、ちっともとれない。
僕はまさかメラノーマじゃないかと、医者に行かせる。
医師曰く、「あの塗り薬は露出しているところに塗ってはいけません。色素が沈着してしまいます。」(あんたねえ、インフォームド・コンセント失格!)
実は他の犬とじゃれてすりむけたところを、炎症と思って母が先の塗り薬を塗ってしまったのであった。僕が察するに、それはステロイド剤であったのだろう。
アトピーと同じで、太陽光線に当たって副作用が生じたのであった。
やれやれ、この数日、やっと黒みが抜けてきた。
「鼻黒の少将」はだめ! 「玉鬘」にお戻り!
三女のアルバムを作る。左コンテンツより。
“Alice's Adventures in Wonderland”
自画像の“The Picture of Dorian Gray”もそうだけど、アクセス解析見てると、如何にも気の毒な訪問者がたまにいる。検索単語“The Picture of Dorian Gray”で、僕のおぞましい画像を見せられた貴方は、全く救い難い悲劇だろう。検索フレーズ“The Picture of Dorian Gray 全訳”でここに来た人は、徒労の極みだ(しかし、ちゃんと本をお買いなさいよ)。今回も、そのようなアリス・ファンの犠牲者を出すことになろう。しかし、僕の顔よりゃ、まし、でしょ。
サイトのテクスト館新旧「心朽窩」に、かつて敦煌を訪れた時に篆刻家の先生に彫ってもらった「心朽窩主人」の印を打つ。先生は、僕が選んだ印材の小ささにやや困っていた。それが「窩」の字に感じられるような気がする。加えて、彼は、この「窩」の字は意味が良くないと、しきりに変えることを薦めた。そうだろう、元来、これは悪党の隠れ家、といった意味合いだから。それでも僕は満面の笑みで、これでいいのです、と答えた。先生は苦笑いしながら、承知してくれた。それでも翌々日、受け取りに行った時、妻の印の次にこれを捺した時、おもむろに僕の方を見て、「どうです?」と言った先生の顔は、少し自慢気であった。僕はこの印が、形共に結構、気に入っている。
僕のこの号は勿論、中唐の鬼才李賀の詩「贈陳商」(陳商に贈る)の冒頭からとった。
贈陳商(冒頭のみ抄出)
長安有男兒 長安に男兒有り
二十心已朽 二十にして 心 已に朽ちたり
楞伽堆案前 楞伽(れうが) 案前に堆(うづたか)く
楚辭繫肘後 楚辭 肘後(ちうご)に繫(か)く
人生有窮拙 人生 窮拙有り
日暮聊飮酒 日暮 聊か酒を飮む
祗今道已塞 祗今(ただいま) 道 已に塞がる
何必須白首 何ぞ必ずしも白首を須(ま)たん
長安の 一人の少年
二十(はたち)でとっくに 心が朽ちた
机の上の「楞伽経」 埃を添えてうず高く
座右の楚辞も 久しく詠まぬ
人生は 結局 失敗だった……
日が暮れた さて酒でも飲もう……
もう 僕の旅は 終わった……
髪が白くなるのを 待つ必要なんか ない……
夕刻、とあるテレビ番組で、館野泉が4年前に脳溢血により、右腕の機能を一度、喪失したことを知った。
僕のような大凡夫でさえ、右腕の骨折によって人生、捨てたくなった。
ピアニストにとってそれは、自身の来るべき死よりも恐ろしい体験であったことは、言を待たないであろう。
彼の左手だけのコンサートが最後の映像だった。アンコールで、彼は妻にも明かさなかったリハビリを重ねた右腕も使った曲を弾く。
僕は涙が止まらない。
僕も、大凡夫としてやれることをやることを、なさねばならぬ。
館野泉……この10数年の中で、出逢った数少ないクラシックの名演の一つは、確かに、彼のシベリウスの「樅の木」であったことを、僕は思い出す。
ありがとう、館野さん。
南方熊楠の「平家蟹の話」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に画像付きで公開した。
例によって、神社合祀に関わる爽快痛快名誉毀損罵詈雑言は強烈だ。
しかし、その文中、彼は言う。
「学問は活物で書籍は糟粕だ。」
さらに、熊楠は口角ゲロを飛ばす。
「本邦には板権専有期限の切れるを俟って二、三十年前の洋書を翻訳する外に、たまたま新説を聞き込んでも、昔の公家が歌道を専有したように、博士学士の秘蔵として金にならねば世に弘めず、大金出して講釈の切売りを聞いても二伝三伝の受売りゆえ、多くは形骸のみで精髄を得ず。いわゆる本職の学者に融通の付かぬ鴑才多く、一事を仕出すべき英俊はそのことに必須の智識を心得置くに途なきがゆえに、両方共に両損で終わる。」
僕は、救い難い大凡夫の鴑才と自覚している。何ものをも、私は為し得ない。そんなことは百年前にご承知だ。しかし、大凡夫なればこそ、あらゆる「智」に対して、貪欲且つ謙虚でありたい、と思う。故にこそ、混淆猥雑噴飯反吐如何なる「智」も当然の如く、真摯かつ無条件に共有されねばならないと思うのである。
熊公のこの言葉、僕は僕の言葉として永遠に共有していたい。
最後に剽窃して鬱憤を述べて終わりとしよう。
官人が日傭根性で教育改革とか学校経営刷新とか入りもせぬことに人騒がしをやり、手間賃を取るもその時ばかりで跡を留めず元の木阿弥にもどること、明白なり。
南方熊楠の「人魚の話」の注を大幅に改訂、リンクを各所に施した。特に、最後のステラーダイカイギュウの頭骨は是非見てもらいたい。……泣き声が聞えませんか?
「ショッペンハウエルの譬喩に、ヤマアラシ四、五、圏中にありて寒を感じ温を欲して相密着するときは、双方の針たたちまち相痛ましむ。これをもって賢人は温を貪りて相刺さず、温を少なくして刺撃受けざるを事とす、といへり。さすれば小生は独孤にて人に求むることなし。仁者、小生に向かいて温を求めらる。これその針を畏れざるなり。願わくは小生の針に痛むことなく、単に多少の温を得られんことを望む。」〔南方熊楠明治26(1893)年12月24日付土宜竜法竜宛書簡冒頭部より。但し、一部表記を改め、また一部を省略した〕。
土宜法竜(ときほうりゅう)〔1854-1922〕
高野山学林長として、明治26年にシカゴでの万国宗教大会に真言宗代表として出席、その後渡欧、同年の10月にロンドンで南方熊楠と相知ることとなる(南方熊楠27歳)。1920年高野派管長、22年金剛峰寺にて円寂。熊楠の、いわゆる『南方マンダラ』の形成に深く関わった人物。
挿入した絵は、引用書簡の挿絵に書かれた一匹のヤマアラシの絵を、熊楠の叙述に合わせて、僕が反転合成して二匹にし、針の一部に手を加えたもの。実際の熊楠の絵は、一匹だけで、左を向いたものである。
熊楠の一見不遜なその語り口に彼らしい照れが美事に隠れている。この絵からは、彼の、強毒の刺棘に満ちた極度に自制的禁欲的なフルメタルジャケットと、その内実としての人恋しい淋しがり屋の一面が見て取れる。
……それにしても、この豪猪(やまあらし)、かなり、かわいくない?
南方熊楠の「人魚の話」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
このテクスト化と注釈は無類に楽しかった。これを授業でやったら、ムチャ楽しいだろうなー! ゼッタイ出来ないけどね。ご一読あれ!
南方熊楠の「情事を好く植物」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。
南方熊楠の「牛王の名義と烏の俗信」の注に熊野本宮神社の八咫烏牛王宝印の、オリジナルに本物をスキャンした画像をリンクで追加。いいねえ! エッシャーみたいでしょ!
雌雄異株の常緑高木針葉樹。別名、コゾウナカセ、チカラヒバ 、ベンケイナカセとも言う。左にその葉を示す(今夏、紀州新宮の街路樹から採取した実物をスキャン)。広葉樹のような葉であるが、葉脈が竹のように平行し、通常の植物の葉に見られる葉柄からの中肋がなく、側方へと分岐する側脈もないのがお分かり頂けるだろう。その体制と別名を考え合わせれば、梛の民俗は、容易に分かろう。他にも「凪」とも書き、普通に自生する近畿地方以西では航海の安全を祈願する木、紀州熊野三山や伊勢神宮では神聖なる禊の木として用いられており、春日大社ではその果実から採った油を御神燈の油として用いていたこともあるという。こちらでは、移植されたものが鎌倉鶴岡八幡宮等でも見られるが、やはり自生の北限とされる伊豆山神社まで足を運びたい。ここは結ばれる前の源頼朝と北条政子が度々密会した場所でもある。まさに梛効果は抜群だったわけだ。開幕後は箱根と合わせてニ所詣として将軍家尊崇の場となった。実朝はここへの参詣の途次、「はこねぢをわがこえくれば伊豆の海やおきのこじまに浪のよるみゆ」(『続後撰和歌集』)と詠んだ。彼がここから見晴るかした海原……それはあのウルトラQの「鳥を見た」の少年の悲しい視線だったのだと、僕は思うのである。
南方熊楠「ウガという魚のこと」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に画像付きで公開。
エボシガイは注の通り、貝類ではない。そもそもフジツボとは固着性の外殻の中で逆立ちしているエビであると認識してよい。
さらに言えば、エボシガイ科の何種かは、特定の生物(クラゲ等)に特化して寄生することを我々は知っている。だとすれば、このセグロウミヘビに付着したエボシガイが、全くの新種である可能性を捨てきれぬということじゃ。
ちなみに、知られたことだが、アマモは通称の国内での異名である。正しい和名は「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」という生物中、最も長い和名のチャンピオンである。しかし、この名の、何と、おなごの髪の美しいことであろう。
南方熊楠の書簡より「(Phalloideae の一品)」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に画像付きで公開した。実は、僕が熊楠に最も惹かれるのは、環境ホルモンに冒されたアカデミズムに敢然と立ち向かう、セクソロジストたるクマグスの正面切った鮮やかな物謂いである。ご託を並べるよりも、まずは見給え! ハドリアヌス茸の勇姿!
高宮壇「芥川龍之介の愛した女性―「薮の中」と「或阿呆の一生」に見る」
中学一年の時、清張の「点と線」を手に汗握って読んだスリリングな感触が、掌にじわっと蘇ってくる。当時の時刻表と官報の気象情報を駆使して、芥川の秀しげ子との密会を時間刻みで追い込んでゆく。
疑問と反論は多々あるけれども、「藪の中」を暗号として読み解く仕儀も、去勢されたアカデミズムから離れた、自由な発想としては素晴らしい(但し、金澤武弘=南部修太郎のアナグラムは留保する。解析過程が示されておらず、同じ文字を何度も使うというのは信用できない。いろは歌の謎を解明したというのと大差ない)。
特に、人力車を転がしながら待合「真砂」に辿りつく路程は、知り合いのNHKエンタープライズの方に、ドキュメンタリーにして欲しいぐらいだ。
何より、侮蔑の表情で読みながら、面白いことを否定できない有象無象の自称公認芥川龍之介専門大学教授のジレンマが見える、見える。小気味よいね。
第二部では、「或阿呆の一生」の「月光の女」が、どれも小町園の野々口豊であり、第一部で見せた、この作者の芥川龍之介に負けない絶倫の「精力」で、切り取られたフィルムを、整然とした時間軸の中に並べて、第一部同様、まさに動画としての不倫現場へと再現してゆくのも、「雨の中にいつか」「腐つて行くらし」い「濱木棉の花」の淫靡にして素敵な「匀」が漂ってくるのである。
しかし僕には、この作者、ホームズにも見え、ジェラード警部にも見える、とだけ言っておこう。
以下は、殊更な反論と言うよりも、筆者の発想を僕が持つならば(それは芥川龍之介という実在の解明になるや否やという点で僕には不要な発想を含んでいると言っておく)という夢想の中での言葉である。第一部に対する僕の暴言は、僕の代わりに多襄丸に語ってもらおう……
……「何、男を殺すなぞは、あなた方の思つているやうに、大した事ではありません。どうせ女を奪ふとなれば、必、男は殺されるのです。唯わたしは殺す時に、腰の太刀を使ふのです」だから、「わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思つてゐるのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)」どうです。吝嗇臭い言葉の遊びなんざ止めにしませう。二十三合――そいつは文字通り「合」なんですよ、「合」! ……わたしが、ぶすつとやらかした、女との!……(淫靡にして不敵なる笑ひ)――「わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗の梢に、懸ける首と思つてゐますから、どうか極刑に遇はせて下さい。(昂然たる態度)」……
第二部について――
「月光の女」という芥川の表現については、僕がブログで記載してもいる確実に先行する佐野花子の存在がある(それを、佐野花子の妄想や虚偽とするならば、そう表明・検証する必要が不可避的に、ある)。これを、語ることなく捨象してしまって、野々口豊一人に「月光の女」を強引に美的な象嵌をするのは、歯科医としての筆者の施術としては、インフォームド・コンセントに欠けると思われる。暫くすると、すぐ外れて仕舞いそうで、不安なのである。
「二十八 殺人」の周辺的な検証は、検証として大いに理解し得る部分があるが、大町教会という同定は、如何なものか。芥川龍之介が新婚時代に住んだ家が僕の父の実家のすぐ北隣であり、三十年近く郷土史研究で鎌倉を歩き続けてきた僕にとって、「爪先き上りの道を登つて行つ」てゆく先というシチュエーションの場所に、大町(現・由比ガ浜)教会は、はっきり言おう、ない。(追記:この最後の否定については重大な訂正をした。2007/2/1のブログ「『芥川龍之介「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」のロケ地同定その他についての一考察』を参照されたい。)
……しかし、続く野々口豊の追跡はどのような真実を解き明かしてくれるのだろう、楽しみである。凡百の芥川評論を読まれるな。これが、面白い。
今夏、名古屋行きの夕刻の電車で読み始め、途中、義理の父と小泉の靖国参拝で大激論のハプニングを経て(義父は一昨年叙勲を受けている)、泥酔し、翌朝から一日ごろごろしつつ夕刻に読み終わるという、僕としては久し振りの実読8時間弱の速攻で、かつ、骨折以来、まさに骨折を忘れて能天気に夢中になって読んだ稀有の一冊が、これ。1980年初版発行。
マンリー・W・ウェルマン&ウェイド・ウェルマン作「「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」(東京創元社 創元SF文庫 深町眞理子訳)
あの「宇宙戦争」の真の立役者は、知る人ぞ知るあの人たち……だったのです……シャーロキアンでウェルズ・フリークだったら、僕の倍は楽しめる(残念なことに僕は後者であるが、前者ではない)。主人公は、ホームズと「失われた世界」のチャレンジャー教授、ワトスンは第三部の記載者としてやっと登場。モース・ハドスンからフェルプス卿、モラン大佐の息子まで出てくる。第一部の題名は「水晶の卵」!……そうだったんだ、あの買って行った怪しい人物って! ホームズ・シリーズの「外典」として読むに、決して引けはとらないと思う。ハドスン夫人の真実は……エンディングは……人類の未来をも推理し得る、ホームズの勝利だ!? お蔭で、少しだけ人類は生き伸びれた……でも、少しだけね……。
ネット・サーフィンをするうちに、僕の「雨月物語 青頭巾」のリンクを見つけたが……
「受験を超える本物学習が無料でできるEラーニングネットワーク:学習編」
うひゃー! すごいページだねぇ、合格祈願の神社リンクまであるで……そこの「国語」→「古文」→「江戸小説」→「雨月物語」とクリックすると……
……しかしまあ、電子テクストでは一目置いている「ピッツバーグ大学・バージニア大学日本語テキストイニシアティヴ」と肩を並べてるんだから、感謝しなくちゃいけないな。
南方熊楠の「牛王の名義と烏の俗信」を、三木清の「旅について」アップ以来気になっていた名称の変更を行った「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
将に感応自在天の如き熊楠の「知」神を味わいたい。彼のニューロンは、まさに、落雷点を探している稲妻である。もしくは、驚くべきスピードで変態する粘菌のような「知」の変容過程が活字化されていると言ってもいい。それは、傍目には脱線の如く見える部分も、南方曼荼羅たる彼の脳髄にあっては、それは語られるべきものであり、語らねばならないものなのである。そうして、その語り口は目の前のおとろしけない天狗の如き彼の肉声を伝える、味わいのある文体である。一度、彼の絶妙な語りの迷宮(ラビリンス)に入った者は、出口を見つけてしまうことを、密かに恐れるであろう。
彼は、うねるような考証と博覧の随所に、ある時は歓喜天ばりにセクシャルな、ある時はマンドラゴラの毒に満ちた、ある時は似非エコロジーに満ちた現代を遥かに超越した、淫靡にして致命的にして超現実的な「知」の光芒を見せる。そうして、プエル・エテルヌスの悪戯っぽい笑みも。
僕の私淑する文人の中で、実は彼は、唯一、とてつもない陽の気を感じさせる人物である(彼の息子の熊弥への心痛は例外)。彼が怪異や現実を語る時、他者にあり勝ちなむず痒くじめじめした陰気が、全く、ないのである。女中に殺虫剤を己が尿道に噴霧させた、豪快異形の巨漢は、ここに今も哄笑とともに生きている。
その語りの後半、「わが邦でも、初めは腐屍や害虫を除き朝起きを奨(はげま)しくれる等の諸点から神視した烏が、田圃開くるに及び嫌われだしたので、今日では欧米で烏鴉が跡を絶った地もある。本邦もご多分に洩れない始末となるだろうが、飛鳥尽きて良弓蔵まる気の毒の至りなり。」
という叙述に、僕達はいわく言いがたい、後味の悪い悔恨のような何かを感じはしないだろうか。少なくとも、僕は、ここで読む手をしばし置いたのである――。
旅に触発させられて、南方熊楠の電子テクスト・プロジェクトを始動させる。底本としては、僕は平凡社版の全集版を所持せず、選集版や河出文庫版南方熊楠コレクションに甘んずるしかない。これは新字新仮名であるが、小説や詩と違って、熊楠の「知」を自在縦横に渉ってゆく博物学的な評論については、僕自身は、何故か正字正仮名への拘りを余り感じていない。というより、彼の文章が正字正仮名だとかなり読みにくくなるであろうと思われる。今回のコンセプトとしては、新字新仮名でゆくこととする。
今朝から手始めに、八咫烏牛王宝印に因んで「牛王の名義と烏の俗信」にとりかかったのだが、これが中々に、手強いということに気づいた。多用される稀用漢字は、OCRが全くついてゆけない。加えて熊楠は、欧文文献の引用をこまめに文中に挿入するのだが、OCRの縦書き読み取りでは横書のこの部分はほとんど怪人熊楠並に文字化けを起してしまい、すべて手打ちで打ち直すはめになる。老眼の僕にはなかなかきつい仕儀だ。今日は、結局のところ、半分の校正しか出来なかった。明日にはアップしたい。
しかし、これでまた、少し生きられる。
グールドが、分厚い絨緞の上を、美的酩酊の攪乱の乱拍子で歩み来る雷帝の歩みとするならば……
シュタットフェルトは、涼やかなリノリウムの床を、滑るように軽やかに来たりくる新王を約束されたプリンスのオプティミスティックな足取りである。
それは、重力に反したグールドのイカルスの飛翔の跡を、太陽光の熱源を遠心的に慎重に計りながら、決して失墜することなく(それは青年として奈落への墜落を巧妙に避けようとする憎くなるような当然の計り方であるとも言える)、されど成層圏に躍り出る野心の臓物を孕ませた新しい音楽の子のフェザー・タッチの指技である。
ともかくも、私は静かな感動をもって彼のゴルトベルグを無条件に祝福する。