大渡橋 萩原朔太郎
大渡橋 萩原朔太郞
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緖の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故鄕にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干にすがりて齒を嚙めども
せんかたなしや 淚のごときもの溢れ出で
頰につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
(「純情小曲集」より)
注:筑摩書房版全集を用いたが、ルビを排除した。以下に、底本にあるルビを掲げる。
「直(ちよく)・「欄干(らんかん)」・「頰(ほ)」「往(ゆ)」
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僕に扮した朔太郎の記念に。寝床で「郷土望景詩」を読み、感動して寝巻のまま朔太郎の家に走りこんだ芥川龍之介は、特にどの詩に惹かれたのだろう、ということが私には気にかかっている。