フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006/10/31

国立国会図書館貴重書画像データベース

僕の「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」を見た教え子が、注にリンクした国立国会図書館貴重書画像データベースの「栗氏千蟲譜」の画像を見て、感激してメールをくれた。大変、嬉しく思った。ここで、かつてまず手に取ることはおろか、実物を見ることなど、到底できなかった稀覯本を細部までカラーで仔細に読めることを、それほど多くの人が知っているとは思われない。私も、かねてより話に聞いてはいた「千蟲譜」の原画の素晴らしさを、ここで堪能した。
今回の翻刻に際して用いた所蔵する恒和出版本は、1983年で¥6,300もした。モノクロで、絵の鮮明度も、望むべくもなく、何より、酔っ払いの自転車操業の、自堕落な独身の僕には、腸の断裂する程に高かったのに。
閑話休題。これを用いれば、今日からでも、あなたには容易に、僕がやっているような翻刻ができるのだ。僕もそのようにして「末法燈明記」を初めてWeb翻刻したのだった。他にも、いろいろなサイトから、こうしたあなたの「心嬉しき知」の素材が提供されているのだ。さあ、あなたも、やってみよう! 「知」の楽しみとは、何より、自身が心から楽しむことなのだから。

2006/10/30

村山槐多 繪馬堂を仰ぎて

村山槐多の「繪馬堂を仰ぎて」(彌生書房改訂版全集未収録作品)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

2006/10/29

栗本丹洲「千蟲譜」巻八より「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」

栗本丹洲「千蟲譜」巻八より「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」を原典からの復刻で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。大変な著作に手をつけたなと思う。まあいいさ、もう少し、生きられるか。

2006/10/28

芝蘭堂大槻玄澤(磐水) 仙臺 きんこの記

ナマコの一種であるキンコについて書かれた江戸時代の博物書、大槻玄澤(磐水)の「仙臺 きんこの記」を、原典からの翻刻で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。少し趣を変えて、3種類の電子テクストとした。朝3時半にとりかかって、12時間ぶっ通しで、判読から翻刻、何も食わずにやった。勿論、楽しくないことを、僕はやる気は、ないのだ。充分に楽しんだ。しかし、僕が何のためにこのテクストを打ち込むにこだわったのか、それは自ずと分かるように冒頭で記したつもりでは、ある。御蔭で冒頭の注が恐ろしく長くなったな。すまん。

C.P.E.Bach Solfeggio

夏の初め、バド・パウエルやオイゲン・キケロのインスパイアされた演奏を聴きながら、C.P.E.Bachの “Solfeggio”の正規のクラシック演奏が聴きたくなった。ところが、これが、ない。著名な練習曲ではあるからドイツ製のC.P.E.Bachの代表作選集10CDボックスを買ったものの、クラヴィーア曲の中に入ってない。邦文リストを検索すると、多楽器のトランスクリプションしかひっかからない(教則用CDにさえない)。新星堂で分厚い欧文リストを篩にかけてもらうこと20分、やっと一枚だけオランダのパイプオルガニストのバロック演奏集の中に発見される。

Klaas Jan Mulder “Schnitgerorgel michaëlskerk Zwolle”(Festivo 6951.872)

出島経由は時間がかかるのか、注文して待つこと3ヶ月。昨日、やっと手に入れた。

一聴愕然! ナンダ! このメクルメク演奏は! 誇張でなくパウエルやキケロの比ではない! グールドの旧録ゴルトベルグが回転数疑惑に沸いたのなら、この演奏はそれを凌駕する。タイヘンな速弾きだ! いや、それよか、曲そのものなのだ! すべてジャズの “Solfeggio”はインスパイアでさえなかったのだ! 原曲が、既にして強力にJAZZなのである! その絶望的に短い1分07秒をエンドレスで聴き続けると、まっこと「あやしうこそものぐるほしけれ」! 久々の感動の一曲である。

2006/10/26

ブログ・アクセス20000

昨日、5月20日にニフティにアクセス解析導入後の累計アクセスが20000を越えていた。一日の平均アクセス123。僕はHPのアクセス解析もカウントも行っていないのだけれど、ブログにして然れば、HPには更に多くの奇特な方が、訪れてくれているか。ちなみに、「検索ワード/フレーズ」の解析は、実は私の楽しみの一つである。そのうち、『解析の解析』をご披露しよう。とりあえず、既知未知に方々よ、ありがとう。而して、

『毒入り・危険・食ふたら死ぬで』

2006/10/25

村山槐多 魔童子傳

村山槐多の「魔童子傳」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。本作は彌生書房改訂版全集未収録作品で、底本は雑誌1999年6月号『ユリイカ』誌上に発表されたものを底本としたが、少し手こずった。底本では新字新仮名になっており、特に初出誌を見ずに新仮名を正仮名に直す作業が、思いのほか悩んだ。しかし、その苦労は、又しても紙芝居屋の幻想を皆さんが味わって頂けるなら、屁でもない。

カイタネルラ、これをプレゼントにして、暫らく、お別れだ。

2006/10/23

村山槐多 遺書ニ通

村山槐多の遺書とされるニ通を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

これで憂鬱は美事に完成する。しかし、乗りかかったカロンの渡し舟だ、これは全ての始まりである……

……最期の航海には、カイタネルラ、きっと一緒だよ……でもねえ、ごめんよ、カイタネルラ、また、どうしても好きになっちまったものがあるんだ、僕。今度は、古い江戸の時代の海鼠の仲間のキンコの本なんだ……許しておくれよ、カイタネルラ!……でも、僕を忘れないで! きっと、待っててね、カイタネルラ!

村山槐多 孔雀の涙

村山槐多の「孔雀の涙」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。全集では「童話」としてこの一篇だけを独立させてある。

村山槐多 魔猿傳

村山槐多の「魔猿傳」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これを読むと、幼稚園の時、家(僕の両親が、外交官の伯父の子供二人を、家ごと預かっていたため、練馬の大泉学園に居住していた)の隣の原っぱにやってきた紙芝居を狂おしい程に思い出す。僕には、見たはずのない、この「紙芝居の絵」が、何故か見えるのだ。

2006/10/22

村山槐多 惡魔の舌

村山槐多の「惡魔の舌」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。僕のカニバリズム嗜好はここから始まった。痺れるような本邦唯一無二の純粋幻想小説。

村山槐多 殺人行者

村山槐多の「殺人行者」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。既にネット上に新字正仮名版は幾つかあるが、恣意的な変換ではあるものの(以前に芥川龍之介のテクスト化でも述べたが、恣意的に変換した正字のテクストと、新字のテクストとでは、純粋に確率論的に見ても、元の原型に近いと考えている。それより何より、私は槐多の幻想小説には、正字がよく似合う、と思う。……特に今、作業中の「惡魔の舌」なんぞは、特に、ネエ……ふふふ♪

フトユビシャコ

ナマコの碩学、大島廣が昭和37(1962)年に書いた「ナマコとウニ」(内田老鶴圃刊)を再読している。二十数年前に読んだのだが、こうして沖繩八重山への思いが募るようになって、丸で違った書物のように精読している。ことにヤクジャーマ節以下の民謡に歌い込まれた生物を同定してゆく過程はすこぶる面白く、後半のナマコの古文献の渉猟・精査も楽しい。

その中のフトユビシャコの叙述に、僕はわくわくした。フトユビシャコはその強烈な打撃で、分厚い水族館のアクリル版をも一撃で粉砕することは僕も知っていた。今年の1月の修学旅行でも、イノーの中を、すばしっこく走る彼らを何匹も見た。

ここは、大島自身の体験に裏打ちされた引用であるのだが、こうしたものこそが生態やフィールドを大切にした博物学の、そうして本当の意味での感動を綴った文学の醍醐味だと、僕は思うのだ。

R. W. C. Shelfordという研究者の1916年の記載。ボルネオのサラワク地方の海の、サンゴ礁であった出会ったエピソードの大島の訳である。

 「死んだサンゴの岩を覆して、その下に隠れている動物を探しているうち、私はフト、岩に円筒形の孔があるのを見つけた。多分何か管棲蠕虫(かんせいぜんちゅう)の巣であろうと、私は不用意に指を突込んで見た。ア痛たッ! 指の先に鋭い痛撃を喰わされた。何だろう、不思議な孔だ。急いで指を引き抜いたあとへ杖の先を入れて見る。すると杖の先の金具にガリガリと猛烈な打撃を雨霰(あめあられ)の如くに浴びせかけるのが響いてくる。杖を引抜いたら、オリーブ色の長い形の、どうやら魚のようにも見える動物がこの孔からとび出し、電光のような速さで水溜りを横切り、大きな岩の下に逃げ込んだ。その岩を起し、下から動物を見付け出して捕らえることは訳もないことであった。

 この動物は口脚甲殻類に属する Gonodactylus chiragra というものであった。手で持っていると、鉗(はさみ)を劇しく動かして、逃げようとけんめいにもがくので、痛くて我慢ができない。とうとう私はアルコールの入った管瓶(くだびん)に入れて、まず安心と思った。と、ハーイッ(これは手品の掛け声)あの怖ろしい鉗(はさみ)の猛烈な一撃で、さしも丈夫な管瓶が苦もなく打ち割られ、シャコは水に落ち、命あっての物種(ものだね)と大急ぎで間近の岩蔭に逃げ込む。しかし結局は捕まって、今度こそは石造りの頑丈な甕(かめ)の中でアルコールに投じられ、最後の息を引き取るまでの暫らくの間、郵便屋が扉を叩くような音を立てて、コトコトと甕(かめ)の内壁を打っているのであった。」

僕は、この Shelford という先生を知らない。しかし、このシェルフォード先生とフトユビシャコを採取しに行きたくなった。

フトユビシャコ(リンクページの一番下の写真)

村山槐多 美少年サライノの首

村山槐多の「美少年サライノの首」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

村山槐多 居合拔き

村山槐多の「居合拔き」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

村山槐多 鐵の童子

村山槐多の「鐵の童子」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。作業しながら、これと同じわくわくするものを感じながら読んだ小説の記憶が蘇ってきた。クービンの「対極」だ。僕にとって最初に幻想小説の極北を踏んだ気がした。土と汚物の匂いの立ち込めたあの峨々たる峰々の彼方の反ユートピア、嘔吐するほど素敵に魅力的だったが、「対極」は1908年の作であるが、その無意識の日本版のリメイクこそが「鐵の童子」でもあったのだ。

2006/10/21

芥川龍之介 「槐多の歌へる」推賞文

芥川龍之介の『「槐多の歌へる」推賞文』を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。新しいプロジェクトは、村山槐多の全小説のテクスト化。未完の宿題を沢山自己に果たすこと以外に、より生き恥を晒さずにすむ生き方は、ないのだ。

村山槐多 癈色の少女

村山槐多の「癈色の少女」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。彼ほどに「夭折の」「呪われた」と言う語がしっくりくる邦人芸術家はいない気がする。彼の絵画作品や全体像を知るには「がらんす倶楽部」がよい。自画像ならば、一般に知られる鬼の線の浮き出たものよりも、不思議なあでやかさの戦慄たる「風船をかぶれる自画像」が好きで仕方がない。

LIST of ERIC DOLPHY'S RECORDS I DON'T HAVE

作成の主旨については、先のブログ“LIST of BUD POWELL'S SESSIONS I DON'T HAVE”をお読み頂きたい。コンセプトは同じであるが、こちらはアルバム別にした。ドルフィーの場合、僕がお世話になっているのは西ドイツのディスコグラファーによる以下のもの。

Uwe Reichardt “Like a human voice the Eric Dolphy discography” schmitten 1986 Norbert Ruecker

少々古いのだが、これは極めて詳細なディスコグラフィーで、製本後の追加資料も丁寧に折り込まれていたりするものである。勿論、それ以降の未発表曲も、それなりにアンテナを張って大体入手している。ただドルフィー・ファンなら、このリストを御覧になると一瞬にして分かると思うのだが、現在でも容易に入手可能なチャールズ・ミンガス(彼はチャーリーと呼ばれることに嫌悪した)・ワークショップのものが、並んでいる不思議がある。こんなものも持ってないの? と真正の蒐集家なら、せせら笑うであろう。言わせて貰うと、さすがに、決して聴かないと思われる演奏を買う気にはならないのである。ミンガスは好きだけれど、どうもあの一連のヨーロッパ・ツアーでの“Fables Of Faubus”を、これでもか! と聴き比べる根性は、今も昔も、ないのである。

パウエルの場合と同様に、このページではジャズ・ディスコグラフィー・プロジェクトのデスコグラフィーにリンクがさせてあるが、これは便宜上のものであって、当該サイトのリストに従って、僕のこのリストが作られているのではない点には、ご注意頂きたい。焼酎のボトルにまで書かれてしまった(しかし私もそれを手に入れたけれど)有名な、彼の“LAST DATE”の最後の肉声を引用・和訳して、彼を悼む(彼のこの台詞を表記する際には“...”など用いないのであるが、私にはそう聞えるのである)。

“When you hear music, after it's over, it's gone...in the air....
You can never...capture it again.”

「あなたが音楽を聴く、しかし、その演奏が終わった時、それは去ってゆく……虚空へと……。あなたはそれを二度と捉えることは……できない。」

唯一無二の誠実なる革命家――ERIC DOLPHY

LIST of BUD POWELL'S SESSIONS I DON'T HAVE

友人から何でパウエルとドルフィーはオミットなの? と聞かれた。二人のディスコグラフィは、出版されたちゃんとしたものを持っており、自分ではリストを作っていないから(実際にはパウエルについては25年前に一夏かかって英文タイプで打った不完全な自作があるが)、持っていないものが極めて限られているから、と答えるしかなかった。そう答えながら、言われてみれば、耽溺している演奏家なのに、ひどく淋しい気がした。

そこで、ちょっと汚い手を使わせてもらう。「僕の未入手のリスト」である。裏技であるが、これで僕の2000年までのジャズ・リストは一応整ったことになる(2000年というのは、“Yabtyan's Jazz Record List(1970-2000) omit Bud Powell & Eric Dolphy”が、そこまでの更新しかしていないから。但し、今回のPOWELL&DOLPHYは、2006年現在の未入手リストとして更新してある)。未収録曲が分散しているため、セッション別にして、アルバム・ナンバー等は省略した。取り消し線は入手済のものである。

さて、パウエルについては、長く収集を始めてからずっとお世話になっているのが、以下のフランス人のデイスコグラファーの作ったもの(私は初版とこの改訂版のみ所持)。

BUD POWELL a discography by Claude Schlouch Copyright November 1991 COPY゜092/480

僕の“LIST of BUD POWELL'S SESSIONS I DON'T HAVE”もこれを基本にしている。ページではジャズ・ディスコグラフィー・プロジェクトのデスコグラフィーにリンクがさせてあるが(このサイトが作られた時には涙がちょちょぎれたほど嬉しかった)、これは便宜上のものであって、当該サイトのリストに従って、僕のこのリストが作られているのではない点には、ご注意頂きたい。

パウエルの場合、勿論、EP版等は持っていない(僕は、そうした真正の蒐集家ではないということだ。パウエル愛好家には、凄い人が大勢いる。一枚のアルバムを、ずっと昔、御茶ノ水のディスク・ユニオンで見かけたことがあるが、値段を見て眼がつぶれた。今でも買わないだろうな)が、アルバムとしては、ほぼクリアーしており、フランシス・パウドラのプライベート録音のLPセットを買った途端、同CDが出て、そっちには“+”がある、あのおぞましいやり口に怒ったり、エアチェックの海賊版を手に入れて針を落としたところが、デイスクの穴が中心に空いておらず、カートリッジが左右に美事に動いて、スピーカーから流れるのはチンドン屋に他ならず、泣くに泣けない思いもした。

僕は、彼の存在によって、演奏家・芸術家を全的に愛することの重大な意味を実感したと言ってよい。僕の一番愛する演奏家――BUD POWELL

2006/10/19

松田優作ALIVE~アンビバレンス~公式海賊盤

危険が危なく世間は退屈優作イケてて僕満足

松田優作ALIVE~アンビバレンス~公式海賊盤

2006/10/18

アオミノウミウシと僕は愛し逢っていたのだ

腕を折ったあの日、結局、診察は翌日ということで、僕が真鶴の横浜国大の臨海実習所の生徒のもとに、戻ってからのことは前に少し書いた

腕首の粉砕した予感を払拭するために、僕は三角巾で腕を吊ったまま、アオミノウミウシについて、教授に聞いた。
「彼らはカツオノエボシの刺胞を捕食しながら、それをそのまま射出させずに自分の背中に移行させることができるのは何故でしょうか?」
教授は、笑いながら答えた。
「分からないね。研究している人いないから。」
その時は、合点して、僕も笑って、
「そうですね、金になりませんからね。」
と言ったのだが……。
 
ずっと気になっている。
アオミノウミウシは後鰓類の中でも、特異な生活環境を持っている。粘液の分泌によって、気泡を作り、洋上を漂い、強い刺胞毒をもつクラゲであるカツオノエボシやカツオノカンムリに食いつき、その体を齧って餌とする。いや、それだけではない。彼等は、その寄生主の、あの激烈な刺胞を自分の体内に射出させることなく、取り入れ、それを背中に蓑のように多量に背負っているのである。
アオミノウミウシはどうして刺胞を食いながら、口はもとより消化管の中においても、それを射出させないでいることができるのか? 更には、どのようにしてそれを、そのまま消化管から体内に取り込み、背部へ移行させることができるのか? そこでは、刺胞の極めて物理的な射出システムを、何らかの化学物質によって抑止しているとしか考えられない。
考えられるのは、刺胞がアオミノウミウシの総体を、異物として認識していない=群体(カツオノエボシは実は職能を分化した生物の集団なのである)の一部としてアオミノウミウシを誤認しているのではないかということである。カツオノエボシの栄養体は、僕にはアオミノウミウシに似ているようにも思える(これはただの僕の勝手なミミクリーかも知れないが)。
カツオノエボシは、その触手が何十メートルにも延びる固体があるが、激しい波浪の中では、彼らの自身の触手が、自身の他の部位にからまることは十分に考えられるが、その場合、単純に物理的に、自身に対して刺胞を射出するとは思えない。
だとすると、そこには何らかの高等生物の免疫システムのような、自己同一性を認識させる化学物質が存在していると考えるべきではないか。
そうした化学物質と類似の物質を、アオミノウミウシ自身が体内に持っているならば、僕の疑問は解決するように思われるのだが。
いや、想像は飛翔する。そのような化学成分を抽出精製し得たならば、それによって強烈な刺胞毒を持つクラゲ類に対する、非常に有効な保護薬剤となるのではないか。勿論、そうした薬物が析出できたとしても、実際には、最強のキロネックスやハブクラゲ、アンドンクラゲやイラモ等の刺胞毒性分は、十分に明らかにされているとは言えないし、それぞれにかなり異なったタンパク質であるから、万能であるとは言えない。しかし、決して「金にならない=役にたたない」わけでは、ないような気がしてくる。
いや、まてよ?
それは体表面の粘性という、物性であるかもしれない。そもそも機械的なメカニズムでしか作動しない棘胞にケミカルな解釈は不要ではないか? だとすれば、それは物性としてのアオミノウミウシの表皮にあるのではないか? この方が、ほとんど判断する神経系(大きな節も持っていない)を持っていない彼らにはしっくりくるのではないか?
……そんなことを考えながら、横浜駅へと下ってゆく国語教師を、だれも愛してはくれないことは、よく分かるさ。愚劣なお前に言われるまでもなく、な……。
Glaucus atlanticus Forster, 1777

2006/10/17

ナマコ・クイズ解答篇

 

今日までに10人がメールやブログで答えてくれたが、少し難題だったようだ。アクセス解析で既にクイズを見る人がいなくなったので、そろそろ潮時だ。平均正答率は6問中2.6問。解説を附す。なお、今日も僕は、お疲れだ。この正解は作問時に用意しておいたもので、もう少し補足したいけれど、もう、疲れた。おやすみ♡

読み終わるのが惜しい本というのが必ず一冊や二冊、その人の読書経験の中にはあるものである。かつての僕の同僚は、トーマス・マンの「死の山」を挙げた。僕なら、そうだなあ、高校時代に読んだ、ルイ・フェルディナン・セリーヌの「夜の果ての旅」と答えようか。

否。先週来、僕は一冊の本を読み終わるのが誠に惜しかったのだ。その本を読むのを、行き帰りの通勤途中だけに限ったのも、その実、読み終わりたくなかったからである。それほどに僕を魅了したのは、残念ながら、小説ではない。そうして、あなた方がこれを読んでも、決して僕のようなエクスタシーは味わえないことも保証するのだが。

2003年阪急コミュニケーション刊行の本川達雄他編の「ナマコガイドブック」である。国内で出版される海岸動物の著作物は、専門書も含めて相当に読んできたつもりが、この本を3年もの間、知らずにいた不明を恥じるものである。
本川氏はご存知の向きも多いと思うが、ベストセラー「ゾウの時間ネズミの時間」の作者であり、歌う生物学者としてメジャー(?)である。本書でも、二曲のナマコと棘皮動物の歌が、楽譜入りで披露されている(どうもベニクラゲ研究の京大白浜臨海実験場の久保田信氏といい、海洋動物学者には歌が似合う?)。
そう多くない既刊のナマコの関連書(を読んでいる僕も変だ)の中では、最もコンパクトでありながら、最も不得要領部分が少なく、且つ新知見に富んだ名著である(この手の専門家による叙述は、突然、意味不明な専門用語を用いたり、チャートの図示に意味不明の箇所があったり、一番困るのは最初に定義した原則を外れる例を平気で示したりと、馬鹿だから緻密に読む進めしかない素人は、困窮することが多々あるのである)。
しかし、何故に、僕はこの本を手にしなかったかが、今さらながら、分かったのである。それは、ダイバー向けの写真中心の図鑑であるTBSブリタニカの一連のガイドブック・シリーズ(ウミウシなんぞは「3」まで出ているが、ひたすら写真である)と、装丁も活字もそっくりである! 書店でも一緒に並んでいるが、騙されてはいけない! これは写真図鑑ではないのだ!(しかしその中の写真は今までの如何なるナマコの生態写真より美事であることも保証する)
今回の「帰ってき臨海博士 ナマコ・クイズ」はこれを読み終えて「しまった」惜しさの中、余韻がらみで作ったものである。従って、本書での新知見が多く含まれる。
……しかし、諸君の中には不気味に思う者もいるであろう。そうだ、僕の頭蓋骨の中では――泥酔したナマコが芥川龍之介を片手にジャズを聴きながら俳句をひねっているのだ……

(1)答え 4m50cm
現在までに報告されている世界最長のナマコは、奄美大島に固有とされるクレナイオオイカリナマコ Opeodesoma (?) sp.(イカリナマコ科)の観察個体で、本書の写真を担当されている楚山いさむ氏が見つけた。実に4m50cm、太さは10cmに達する。本書の写真で見る限り、さすがの私も、実際に遭遇したら、そのおぞましさに、てっきりUMAだと思ってビビること間違いない。なお、本種のイカリという名称は、その骨片(問三参照)に由来する。対表面直下に分布するこの小さな(約0.1mm)碇型骨片が、海底を蠕動する際に引っかかるようになっている。まさに「碇」なのだ!

・同属の Opeodesoma grisea の碇型骨片 Opheodesoma_grisea

 

 

クレナイオオイカリナマコの捕食行動の動画


(2)答え 5000g(=5㎏)
現在までに報告されている世界最重量のナマコは、沖縄、マダガスカル、オーストラリア、ニューカレドニア、グアム、中国に分布するアデヤカバイカナマコThelenata anax H.L.Clark(シカクナマコ科)の観察個体で、重量5㎏、長さ1mで、体内に寄生魚であるカクレウオ(体長20cm)が3匹入っていたとある。

アデヤカバイカナマコ


(3)答え 2 内骨格
棘皮動物の本来の呼び名は、刺状の石灰質の板状・片状の骨を持つ。ところがこれは、中胚葉由来であり、ウニやヒトデの棘が一見、体表面に見えても、薄い表皮を被っているので、これは立派に内骨格と呼ぶべきである(海岸動物の本やネット上の一部サイトでは広い意味で外骨格と呼ぶとする記載があるが、これは間違いである)。但し、多くのナマコの場合は、石灰質の「骨片」という顕微鏡大のものとなって、体壁の中に埋まっている。従って、ナマコの食材としてのカルシウム含有量は意外に高いのだ。

(4)答え 約60日後(マナマコの例)
僕はかつて、授業で2~3週間と言ったね。これは、ナマコの腸管の再生で、どうも内臓総体の完全な再生には、倍はかかるらしい。しかし、大阪府立水産試験場のページには売れない大きすぎるナマコから何度もコノワタ用の腸管を吐き出させるという(!)おぞましい記載には、「2週間」と記されているので、あながち誤りでもなかったかな。

(5)答え 3 チョウセンニンジン
この化学成分はサポニンと総称される、トリペルテノイドのオリゴ配糖体である。沖縄で見た、あのニセクロナマコの吐き出したキュヴィエ管にこのサポニン(ホロスリン)が多量に含まれている。キュヴィエ管は粘着という物理的な攻撃のみでなく、化学兵器としての役割をも担っているわけだ。なお、マナマコのホロトキシンは人体には無害である。ところが、このサポニンは、朝鮮人参の主要薬効成分としても知られるのである。これは、目から鱗なのである。何故なら、ナマコは中国では「海参」と呼ぶ。これはただ形態上のミミクリーからの命名では決してないであろう。恐らく、本草学者は、両者に共通した漢方の薬効成分を経験上、認知していたのである。ちなみに、それ以外の選択肢にも、全て有毒成分があること、知っているかな? ヒガンバナは当然ながら、アワビやシジミも、驚天動地の有毒成分を立派に持っていることをご存知かな? アワビは致命的ではないが、猫の耳ぐらいは落ちるのだ?! シジミの生体の保有するそれはマウスがコロと逝くんだよ! この話は、地獄の毒物博士マッド・ヤブとして、そのうち再登場した時に、ね!

(6)答え 1・5
1 塩分の極めて薄い汽水域で生活すること。×
ナマコは全て海産である。理由は、体の柔硬をつかさどるキャッチ結合組織とイオンの関連らしいが、不明。カイメンやクラゲは淡水にもいるのにね。

2 腸で呼吸すること。○
ナマコは肛門から吸い込んだ海水を呼吸樹という器官でガス交換している。その他、半分は体表や管足から吸収している。肛門の内側は総排泄腔と呼ぶが、これは腸が膨らんだものである。従って、腸で呼吸するという言い方は、必ずしも不適切とは言えず、正解である。魚類でもドジョウなどの腸呼吸が有名だね。

3 管足を筋肉によって収縮すること。○
それぞれの管足にはちゃんと収縮するための筋肉が付いている。ところが、だ。伸ばすための筋肉は、付いて、ない。じゃあ、どうやって伸ばすのかって? これが、棘皮動物独特の全身に張り巡らされた水管系システムなんだ。管足はその基部にびん嚢という風船状の部位があり、そこから水をポンプのように管足に送って(この時、水か送り込まれている水管系を逆流しないように灯油のポンプよろしくちゃんと弁が働くのだ!)伸ばすのである! 筋肉の消費エネルギーを最低まで抑えた省エネ構造なのだ。

4 口と肛門の前後の半分に切断されても再生できること。○
どちらからも再生可能。但し、口の方の半分だと再生に失敗する可能性が高いとある。これは呼吸樹や総排泄腔等の生命維持に必要な器官が、実は体の後半分にあるからであろうか。なお、ナマナコの場合で3箇月以上かかるとある。

5 左右縦方向の半分に切断されても再生できること。×
今回の新知見だが、これは本川先生、はっきりと「再生しない」と書いてある。まさに一刀両断で、解説がないのが、やや不満。

6 飼育下において何ヶ月も全く餌を与えないでも生きていること。○
一部の養殖ナマコを除いて、餌さえも良く分からないというのが本音のようだが、餌をやらなくても1年以上生きている、随分、ちっちゃくなっちゃったけどね、と本川先生。そりゃ、ないよ。

(6)答え 2→4→5→3→1
これは、口のある管足の多い口側面とその反対の反口側面の関係で見ると、極めて分かりやすい。
固着性で捕食行動が管足による懸濁物濾過食であった生きた化石であるウミユリから、その「花」が海底に落ち、ベントスとして、まさに足として管足を用いた最初がヒトデである。その腕をスリムにして運動性能を挙げたのがクモヒトデで、逆にそうしたヒトデの水管系に水が入って風船のように反り返りながら膨らんで、さらに太い腕が相互に癒着したもの――それがウニである。そのウニが反口側面の肛門を横倒しにし、キャッチ結合組織で、驚くべき柔軟な体を手に入れた時、ウニの針はなくなり、管足による横になった移動性能を進化させた(やや大雑把ではあるが、誤りではないと思う)。
これは分子生物学のリボソームRNAの塩基配列解析からも実証されている順番である。実を言うと、かつて僕は、漠然と、種が少なく、スマートで遠慮がちなクモヒトデをヒトデの原型と考えていた。どうも見た目は分からんもんだ。

 

2006/10/15

「袈裟と盛遠」他 草稿追加

今日はおぞましくもこれから仕事をせねばならぬ。とりあえず、芥川龍之介の「袈裟と盛遠」、「澄江堂雜記」〔僕が(2)と呼称したもの〕、「貝殻」の三篇に草稿を附して、今日の新味とは致そう。

特に、「袈裟と盛遠」の草稿は、断片ではありながら、極めて興味深いものである。母である衣川に袈裟の奪取を強要する盛遠の鬼気迫るシーンなのであるが、ここでは脚本風の対話形式が採用されている。それが、モノローグ構成という大幅な変形がなされたのは、とりも直さず、昨日僕が述べたような、芥川自身の私的内実の表明要求が存在したからに他ならないと僕は思うのである。

2006/10/14

帰ってきた臨海博士 ナマコ・クイズ

 

(1)現在までに報告されている世界最長のナマコは奄美大島に固有とされるクレナイオオイカリナマコの観察個体である。その長さは? 空欄に数字を入れよ。

 (   )m50cm

 

(2)現在までに報告されている世界最重量のナマコはアデヤカバイカナマコの観察個体である。その重量は? 空欄に数字を入れよ。

 (   )g

 

(3)人間は内骨格である。節足動物は外骨格である。それではナマコは棘皮動物(ヒトデ・ウニ類)であるが、その骨格系は? 正しいものを次より選び、番号で答えよ。

 1 骨はない  2 内骨格   3 外骨格

 

(4)ナマコは外敵に襲われると、種類によっては極めて粘着性の高いキュヴィエ管を吐き出して防御するが、もう一つの防御法として、自身の内臓を吐き出す。これを内臓吐出、吐臓現象等と言う。外敵が、その内臓を捕食するうちに逃げ延びるのである。では、その内臓は、どれくらいで完全再生するか? 空欄に数字を入れよ。(注:以前に僕の話を記憶している人は、あれは間違いであるので要注意。)

 約(   )日後

 

(5)すべての海鼠には有毒成分がある。例えば、沖縄で見たニセクロナマコはホロスリン、我々が食用にするマナマコはホロトキシンと言う成分を体内に持っている。これらは、魚類に強い毒性を持っている。では、これと同じグループに属する化学成分を持っているのは次のどれか? 正しいものを次より選び、番号で答えよ。

 1 アワビ  2 シジミ  3 チョウセンニンジン  4 ヒガンバナ

 

(6)次のうち、ナマコに出来ないことはどれか? 該当する番号を全て答えよ。

 1 塩分の極めて薄い汽水域で生活すること。

 2 腸で呼吸すること。

 3 管足を筋肉によって収縮すること。

 4 口と肛門の前後の半分に切断されても再生できること。

 5 左右縦方向の半分に切断されても再生できること。

 6 飼育下において何ヶ月も全く餌を与えないでも生きていること。

 

(7)次の棘皮動物門の5綱を、現在考えられている棘皮動物の進化史において、古い順に並べ替え、番号で答えよ。

 1 ナマコ  2 ウミユリ  3 ウニ  4 ヒトデ  5クモヒトデ  

芥川龍之介 袈裟と盛遠 附「源平盛衰記」原典

芥川龍之介の「袈裟と盛遠」を、「源平盛衰記」の原典資料を附して、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

僕ははっきり言おう。

この袈裟はかつて僕がブログ「月光の女」で言及した佐野花子である。渡は、その夫である海軍機関学校の同僚、佐野慶造、盛遠は芥川龍之介自身である。

これは、今回のテクスト化作業の中で、殆ど如何なる第三者の反論をも受け入れられない程の確信として、僕に落ちたのだ。

彼はこれを発表する二箇月前に文と結婚している。彼自身の現実的状況において、佐野花子への断ち難い恋愛感情を意識から排除せねばならなかった。

一方、彼はそれを断ち得ないことも知っていた。

しかし、彼には彼の秘中の秘である、そうしてストーリーテラーたる彼にしか操れない神話的変換システムが存在する。

彼は「芥川龍之介というパラレル・ワールド」の中では、この三人を、鮮やかにβ崩壊させることができると、考えていた――「袈裟と盛遠」の構造は、神話と同じである。そこでは、それぞれの登場人物の役割は神話という体系にとってのみ必要なコマでしかなく、その最期は予定調和としてア・プリオリに決定されている。この体系のなかでは、善悪や個としての倫理性を軽々と超越して、完結してしまっているのである。されば、その絶対的システムに組み込まれ、そのシステムが作動を始めた時、誰が「袈裟」であるか「盛遠」であるか「渡」であるかなどという、演出家の判断は無効となり、それぞれの主張する正当性や倫理的判断などという、甚だ人間臭く、同時に吝嗇くさいものは容易に無視され、「袈裟と盛遠」システムは精神のカタストロフへと順調に進む――はずであった……。

まずは、「渡」を考えてみよ。原典でも、本作でも、そこで描かれるそれは、まさに、妻佐野花子の語る、佐野慶造その人に相応しいのである。

そうして、この袈裟の独白を読むがいい。袈裟には、たった一人、そのステージで、まさに「月の光」を示す、シューティング・スポットを照らさない奴は、演出失格だ。彼女は何度も、言葉にするように、「月光の女」なのである。それが佐野花子でなくて、一体、誰であろう。彼の傍には、この時、秀しげ子も、野々口豊も、居はしないのだ……。

……テクスト化作業の中で、全く次元の違うことも、感じていた。これは先行する「藪の中」である。真砂の心理は、既にこの袈裟に内包している。「藪の中」の一つの新しい切り口は、この袈裟のかなり正直な(矛盾を孕んだ点に於いて、逆説的に正直で真摯な)供述のなかに見出しうるであろう。勿論、結果としての袈裟と真砂の行為のベクトルは全く逆ではある。しかし、それは恐らく、迂遠な放物線を描いて、再び回帰するのである……

……この小説を読む者は、必ずや、自身を盛遠になぞらえ、また、ある特定の女性を、この袈裟に重ね合わせないではおかないであろう。僕も、その例外ではない。しかし、そこで、僕は、このような女は「ファム・ファータル(宿命の女)」であるかどうか、という問題に否が応でも逢着せざるを得ないのだ。これだけで、一夜を要する議論となろう。結論だけ言う。袈裟は数少ない、稀有の、真正の「ファム・ファータル」である。だからこそ、袈裟は美しいのだ。亡ぶのは、袈裟ではない、亡ぶのは、行方も知れぬ渡であり、口の干ぬまに現実世界へと突出し、政治的行動主義に邁進、果てに佐渡に流されて骸を晒す盛遠=文覺上人である……

鎌倉に補陀落寺という観光ルートからは外れた寺がある。30年も前、管理されていない仏壇の隅に埃を被っていた文覺上人の木造が、僕にはひどく親しいものに感じられた。それはまるで、おぞましいこの世に唾する、天邪鬼のように僕には見えたのだった……

歌舞伎「俊寛」の思い出

僕は歌舞伎を好まない。僕にはあの、歌舞伎の持つあらかたの、「不完全な役者としての生身の人間」の全てを、人工光の「白日」の下に剥き出しにした、その虫唾が走る猥雑なる「オーバーアクト」に耐えられない。逆に「文楽」や「能」の方が、心底に達するドゥエンデを、僕は見出せるのである。

それでも、「俊寛」だけは、生で二度、見ている。殆ど同時期に、中村翫右衛門と市川猿之助の舞台である。

猿之助は、その終局、潮満ちる喜界ヶ島を登って転げ落ちるというアクロバティックな演出に、すっかり興ざめしてしてしまった。彼は、まだ俊寛を演じられない。魂に於いてその齢を経ていないという直観であった。

翫右衛門のそれは、1980年の12月、前進座が初めて歌舞伎座での公演を許された、そうして殆ど翫右衛門の畢生の演技(1982年死去)であった点、僕の記憶によく残っている。赦免の舟の見えた折の、登場人物皆が、海浜に等しく並んで、スクラムを組む前進座的解釈は、やはりやや面映い気がしたものだが、軽業師の猿之助に比すれば、いぶし銀の翫右衛門は、俊寛を演じるために生まれてきたかのように、自然体であった。そうして、眼目は(ご存知の方も多いであろうが)、潮満ちる喜界ヶ島の崖上のエンディングにある。一人残された俊寛が急速な黄昏の中、ぱきっと木の枝を折り取って、その陰に微笑むのである。僕が芥川龍之介の「俊寛」を打ち込みながら考えていたことは、とりもなおさず、この笑みであったのだと今、分かる。僕は、この笑みを十全に「解析」することはできない。教条主義的な劇評では「若者の未来に希望を託す俊寛」等というクソみたようなものもあり、原典に表われた凄愴にして慄然とするまでの諦観とも言われるであろう。しかし、僕はあの、「翫右衛門の俊寛の笑み」に今も心打たれ続けている。同じ解釈の息子の梅之助のものも映像で見たが、残念ながら、彼には遂にその域に達していない。やはり、あれは翫右衛門一世一代のドゥエンデなのだと、僕は思うのである。

芥川龍之介 俊寛 附「源平盛衰記」「平家物語」原典

一週間、無為に過ごしていたわけではない。芥川龍之介の「俊寛」を、「源平盛衰記」及び「平家物語」の原典資料を附して、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。 深夜と早朝の時間は殆ど(木曜日の「Dr.コトー診療所2006」の時間を除いて♡)これに費やした。ページの2/3が原典資料となってしまった。

……それは人間の現存在におけるザインとゾルレンの問題である。ゾルレン(当為)故に人は自身の「今」を計量せざるを得ない。しかしそれは、仮象でしかない。それは一種の神経症であるとさえ言える。我々のザイン(存在)は、ゾルレンに犯されることで、その本来の自身から絶望的に遠ざかってゆくのである。特に男は、救い難いまでに……。

……私は、何故か、原典や芥川の「俊寛」を打ち込みつつ、そんなことを考えていた……。

2006/10/11

村上昭夫忌 お母さん 村上昭夫

お母さん   村上昭夫

お母さん
海の音を聞かして下さい
海の貝殻の音を
母という名を聞かして下さい

私は思い出す
二億年ばかり前のこと
あなたが二億年変わらない海だった日を
ひろびろと広がるあなたのなかに
可憐な三葉虫の姿が
奇蹟のように生まれていた日のことを

私は思い出す
それからの火や泥の世界のことを
試みられていた愛のつぶつぶが
氷河よりも固く凍ってしまった
永い暗かった時間のことを

お母さん
その時あなたのなかに鳴り続けた
小さな貝殻の終わりのない音が
どんなにやさしくて強かったか
今日も波が寄せています
とても永かったあなたの疲労のように
貝殻がさやさや鳴っています

お母さん
あなたの音を聞かして下さい
あなたの白い貝殻の音を
静かに聞かして下さい

(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)

今日は、せめてこれを写して、出て行こう。

ご存知でない方のために、村上昭夫氏の実弟の方が、「村上昭夫資料室」というサイトを創っておられることを述べておこう。やはり同じ血をひかれるアーティストであられる。ご親族ならではの写真群、美事な朗読、村上昭夫本人の肉声(!)、そうして碑の序幕の日の「クロ」のエピソードは、「動物哀歌」の詩人の確かな不思議な「何か」を感じさせるではないか。

ただ、今後は、こうした引用も控えなければならないかな……。

――僕としては、この正統な著作権者の資料室に、村上昭夫という稀有の純粋な詩人のテクスト・データが、順次公開され、多くの方に彼を知ってもらうことを願ってやまない。何よりも、若い人々に彼を読んでもらいたいということ以外に僕の悲願はないのである――

2006/10/10

兎 村上昭夫

兎   村上昭夫

月には兎がいるのだと

私は小さい時思っていた

 

恐らく月はでこぼこの冷めたい山が広がるばかりで

平地には崩れた塵埃が

幾重にも重なっているだけだろう

 

海というものは名ばかりで

一滴の水もない暗さが

深く沈んでいるだけだろう

 

だが今でも私は

月には兎がいるのだと思っている

月は昔疲れた飢えた旅人のために

身をささげた兎だったと

この涯というもののない宇宙のなかには

死んだものはひとつもないのだと

おそらく数知れない天体のなかには

数知れない兎がすんでいて

数知れない疲れた旅人もいるのだと

今でも子供のように思っている

(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)

この詩が、限りない愛惜を僕に感じさせるのは、恐らく僕たちが「大人」になってしまったその間合いに、誰もが感じた現実への一抹の失望との合致であろうし、同時にそれを肯じえない頑なな「少年」を身の内にひしひしと感じた瞬間の恍惚でもあったからでもあろう。しかし、それはやはり、アポロ月面着陸の宇宙中継を夜っぴいて赤くなった目で脇目も振らず見つめていた、また、後に「銀河鉄道の夜」のさそりの逸話にこれは繋がるのだななどとしたり顔で感ずることとなる救い難くおめでたい僕という存在は、彼のこの詩の、「おそらく数知れない天体のなかには 数知れない兎がすんでいて 数知れない疲れた旅人もいる」という感性を遂に持ち得ることはないのだという哀しい真理――この世に於いて詩人の魂を持ちうることは必ずしも誰にもできることではないという冷たい真理を、美事につきつけてくるのであった。

明日、村上昭夫忌。

2006/10/09

芥川龍之介 澄江堂雜記拾遺四篇

最終的に作品集『梅・馬・鶯』に所収された「澄江堂雜記」の拾遺として、『「昔」』「袈裟と盛遠の情交」「放屁」「德川末期の文藝」の四篇を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

ここで、作品集『百艸』及び『梅・馬・鶯』に所収された「澄江堂雜記」を以下に示す。
当該作品集の組成で味わおうとする場合は、以下の順番で読むか、もしくはテクストに落としたものを並べ替えればよい(以下は岩波版旧全集第五巻後記の「澄江堂雜記」対照表等に依った)。
 
 

■『百艸』大正13(1924)年9月17日新潮社刊(各アフォリズム通し番号「一」~「二十六」)
1 「澄江堂雜記」(1)
2 「澄江堂雜記」(2)
「放屁」は同作品集に所収するも「澄江堂雜記」ではなく、「續野人生計事」に「一 放屁」として別掲されている]
 
 

■『梅・馬・鶯』大正15(1926)年12月25日新潮社刊(各アフォリズム通し番号「一」~「三十一」)
1 「澄江堂雜記」(1)
2 「澄江堂雜記」(2)の「とても」迄[「猫」及び「家」は削除]
3 「澄江堂雜記」(3)
4 「澄江堂雜記」(2)の「版數」
5 「放屁」
6 「袈裟と盛遠の情交」[題名は「袈裟と盛遠」に変更。同名の彼の小説と紛らわしいので注意。]
7 「後世」
8 『「昔」』
9 「德川末期の文藝」

芥川龍之介 澄江堂雜記 三篇

芥川龍之介の「侏儒の言葉」周辺のアフォリズムのテクスト化として、大きなものを落としていた。数年の期間内で、各種雑誌に分散して記され、後に作品集『梅・馬・鶯』で一部が削除されて再構成される「澄江堂雜記」である。まずは、比較的纏まっている「澄江堂雜記」と名打った三種を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。なお、さらにそれらから洩れている拾遺作品も、現在テクスト化中。今夜には……。

ねづみ 村上昭夫

ねずみ   村上昭夫

ねづみを苦しめてごらん
そのために世界の半分は苦しむ

ねづみに血を吐かしてごらん
そのために世界の半分は血を吐く

そのようにして一切のいきものをいじめてごらん
そのために
世界全体はふたつにさける

ふたつにさけう世界のために
私はせめて億年のちの人々に向って話そう
ねずみは苦しむものだと
ねづみは血を吐くものなのだと
一匹のねずみが愛されない限り
世界の半分は
愛されないのだと

(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)

もうじき、村上昭夫忌がやってくる。

1967年10月11日午前6時57分。

肺結核と肺性心の合併症と永年の闘病生活による全身衰弱のため、41歳で亡くなった。

2006/10/08

萩原朔太郎 本質的な文學者

萩原朔太郎の梶井基次郎へのオードたる「本質的な文學者」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

萩原朔太郎、それは真に『追悼の達人』である――併し、これを皮肉ととる貴方、それは、貴方自身が人を心から悼んだ事がない証拠である、と断言しておく――

萩原朔太郎 芥川龍之介追懐作品四篇

萩原朔太郎の芥川龍之介関連作品「芥川龍之介の追憶」「芥川君との交際について」「小説家の俳句――俳人としての芥川龍之介と室生犀星」「芥川龍之介の小斷想」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

特にその「芥川龍之介の小斷想」末尾を見よ。萩原朔太郎は「芥川龍之介」という『近代文学の不確定性定理』をも預言しているではないか。

2006/10/07

Schbert Impromptus Op.90/142

風邪をひいて脳の中でノートルダムの鐘が鳴る。中国の学生から貰った熊の胆の粉末を飲んで、回復を待つ。書斎から見る秋空の青と雲の白さ。そうして山並みの緑は、未明までの雨風にさらされて美しい。

こんな風景にはAlfred Brendel の Schbert “Impromptus”が良く似合う。

昨日アップ分の朔太郎のテクスト群に烈しく誤植を発見、早朝より「猫町」も含めて7作品の改訂を行った。すでに保存された方は、再度、保存し直されんことを。

2006/10/06

萩原朔太郎 對話詩・劇詩 六篇

昭和五十一(1976)年刊の筑摩書房版全集第五巻に於いて、「對話詩・劇詩」として総括された、「魚と人と幼兒」「櫻の花が咲くころ」「魔法使ひ」「ぬけ穴」「ウオーソン夫人の黒猫」「日清戰爭異聞(原田重吉の夢)」の六篇を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に一挙に公開した。「ウオーソン夫人の黒猫」「日清戰爭異聞」は優れた幻想小説であり(前者は「猫町」に結実する一実験として、後者はすこぶる映像的カリカチェールに富んだ構成が)、「ぬけ穴」は、完全なものが残っていれば、「猫町」に次ぐ清新な迷宮小説となっていたであろう。惜しまれる一篇である。平明な児童文学の体裁をとりながらも、「魔法使ひ」のオチは一読、慄っとする。

2006/10/04

萩原朔太郎 猫町

日本文学史上、稀有の純潔な幻想小説である(と僕が勝手に合点している)萩原朔太郎の「猫町」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開。

2006/10/02

オルガン教室 そして 生徒描けるそのカリカチェール そして 忘れ得ぬ人々 13

僕は小学校4年生から3年間、藤沢のヤマハのオルガン教室に通っていた。先生は、細身美麗の、いえもとあきこという先生であった。僕は、テッテ的に不器用な生徒で、おまけに泣き虫だった(今もそれは変わらない)。8人ほどの教室で、僕は毎回、叱られては、涙を滲ませた。

先生を囲んだ形の僕の斜めの位置に、同い年の、ぽっちゃりとした女の子がいた。

先生に叱られて僕が涙を浮かべていると、その彼女は、いつも優しくいたわる視線を僕に投げかけてくれた。が、それがまた、残るところ僅かな僕のプライドをテッテ的に傷つける仕儀となっていたことを彼女は理解していなかった。いつもその子が、僕にだけ「さよなら」を言って、宵闇の中を教室の前から左の大通りに別れて還ってゆく時、どこか複雑な思いで、「ウン」とすげない声ならぬ声を返すだけの僕であった。僕は、その少女と、一緒に帰ったことは、遂に一度としてなかった。

40年後の今、僕があの女の子の映像を鮮やかに蘇らせることができるということは、実は、あの子を僕が好いていたのだということに他ならないということを、49の僕は、確かに感じている。

しかし、同じ駅の方向へ帰るのに、何故、一緒に帰ることがなかったのか? それは、僕が教室の前の、右に折れた暗い路地の方から、いつも帰っていたからだ。僕だけは電車でなく、バスで通っていた。教室の子は、みんな、玄関から左に折れ、すぐに明るい表通りに出て、駅へ向かう道を帰った。

僕は、表通りを彼女と歩いても、少しばかりバス停への距離が長くなるだけだったのだ。だのに、何故だろう。その少女への素直な思いはきっとあったはずなのに……。

あきこ先生は、僕らがいっとう遅い教授生徒であった。必ず、僕らが終わって5分もすると、教室を出るのであった。彼女は、もちろん明るい表通りを歩く。僕は、ゆっくり反対から歩いてくるのだ。それも遠回りをして、道が表通りの道と合流する三叉路まで。そうして、そこで僕は、先生と必ず逢うのだった。いや、逢うようにわざわざのろのろと歩いたのだった。その信号待ちの一瞬だけ、僕はプライベートに先生と言葉を交わせ得たのだった。

その時必ず、先生は、まだ記憶に新しい叱責を、優しい笑みに変えて、「気をつけてお帰りなさい。」と声をかけ、暗い横断歩道を駅へと渡って行くのだった……オレンジ色のスカーフを、いつもしていた……。

……僕の、この、「忘れ得ぬ人」は、一体、誰だったのだろう……。

1982年。教えていたクラスで、この話をした記憶がある。その3年生のクラスには、絵のうまい、ちょいと個性的な女子生徒がいた。今も、彼女が作ってくれた紙粘土製の、ピンク色のジャミラとベンチに坐る僕の像は宝物だ。そうして、彼女がイラストで大活躍した卒業文集(そのうちにまたその中の彼女の描いた私の別なカリカチェールをご披露しよう)と共にプレゼントしてくれた絵が、これである。

但し、もう一度、繰返そう。あきこ先生は、決してジャミラではなかった。永遠に美しい、僕の記憶の中の、稀有の女性である……

Organ

「末法燈明記」やぶちゃん訳に対する読者からの要請によるやぶちゃんの語釈

世の中には奇特な人もいるのである。僕の「末法燈明記 やぶちゃん訳」を真摯に読んで、分からない語を尋ねてきてくれた読者がいた。まだ、若い女性である。いつかはやらねばならぬと思いながら、語釈は手付かずであったのだが、とりあえずこの方の疑問に答える部分はアップすることにした。『「末法燈明記」やぶちゃん訳に対する読者からの要請によるやぶちゃんの語釈』として現代語訳ページの上及び該当語句からもリンクした。この心優しき一人の方のために、僕はやった甲斐があったという満足感を感じている。

ちなみに言っておく。今日は、体育祭の代休で、家にいるのである。最近、私の職業の世界に対して、何かと難癖をつける一般ピープルや下劣な同業者が多く、こんなコメントまでつけなくてはならないのは、誠に情けない限りだ。生徒の方が、一人残らず、ずーっと心優しい。これは、確かなことだ。

2006/10/01

小耳で笑おう

Komimi 先の賢治のオードを描いてくれた同期には、素晴らしいもう一人の才媛がいる。

「小耳で笑おう」

これはカード形式になった一連のカリカチャア・イラストレーション。厚さ2cmに及ぶ。外せない。『くすくす』という笑い声をコンセプトに彼女のようでもあり、僕のようでもある猫の物語である。5年前、久し振りに再会した直後に、書き下ろしてくれた作品。イラスト如きと馬鹿にしなさんなよ、そこここに、彼女の絵は使われている。寝る暇もない(が酒を飲む暇はあるらしい)売れっ子のイラストレーターなのだ。

宮澤賢治「永訣の朝」へのオード

Eiketu 21年も前、現代詩の授業で、幾多の詩を紹介して、好きな詩を選んで鑑賞文を書いてくるように言った……

感想は、心から「打たれる」ことなしに在り得ない……ただ、それだけ詩は紹介したつもりだ……ある男子生徒が「絵でもいいですか」と言ってきた……僕は勿論、いいのだと言ったのだ……それに、僕は、最高点をつけたのだった……

さあ、ある生徒の『宮澤賢治「永訣の朝」へのオード』、詩と共に、ご覧あれ! ちなみに今、彼は堅実にして美事な作品を描く漫画家である(以下の引用は昭和四十八(1973)年刊筑摩書房版「校本宮澤賢治全集」第二巻によった)。

そうして、賢治関連の検索で来た方は、何を読んで頂かなくてもよいが、駄文なれど「宮澤トシについての忌々しき誤謬」だけは読んで去ってもらいたいのである……。

永訣の朝   宮澤賢治

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
    (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつさう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
    (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
    (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいつしよにそだってきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
    (うまれでくるたて
     こんどはこたにわりやのごとばかりで
     くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

國木田獨歩 武藏野 又は 鉄腕アトム 赤いネコ

國木田獨歩の「武藏野」の「やぶちゃん校訂版」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

僕は、中学1年の時に、この作品を全文を読み、ここに永遠に失われた日本の原風景を見たのであった。これは、僕自身の日本的なる、「自然」のバイブルである。その後、長い間、初版が欲しかった。高校1年の時の国語便覧で見た、表紙の絵にひどく惹かれたからに他ならない。就職してやっと復刻本を手に入れた(バブルがはじけて以降、復刻本の古本はすっかり値崩れしていた。数百円でこの本を手にした時、嬉しいと同時に、何かひどく淋しい気がしたのを覚えている)。獨歩の友人の画家、岡落葉の絵である。この牛車の後に乗っているのは、僕にとっては、僕自身である。……

……しかし実際には、この一節との出会いは、遥か小学校2年生に遡るのである。そうして、それこそが、僕の文学と最初の出会いではなかったか。……

……ご存知の方も多いであろう、それは手塚治虫先生の「鉄腕アトム」第5話の「赤いネコ」である。

《私が生涯の中で、他者を心から「先生」と自立的に呼んだのは、まさに手塚治虫が初めてであった。日常の会話の中で、母がこの人気の漫画家を呼び捨てにしたのを、即座に僕が咎めたのだそうだ。母は、今もそれを昔話のように楽しそうに話す。》

尤も、この作品の実際の発表は僕の生まれる4年前、昭和28(1953)年の「少年」5~11月号の連載である。

今日は、「武藏野」の公開にあわせて、実は、この作品を語りたいのである……。[やぶちゃん注:以下、原作のふきだしの台詞の呼吸を一部再現するために空欄を設けた。台詞の傍点は下線に代えた。]

追伸:以下を書き終えた所で、何とも胸が一杯になった。「武藏野」についても、この「赤いネコ」についても、僕は語りたいことが沢山あるとさっきまで思っていたのだけれども、今は、伝えるべきことは、これで伝わらなくては意味がないと、思うに至った。さすれば、下劣な感想は控えることとする。しかし、ここに既にガラスの地球を救えと晩年訴えた手塚先生の種子は、既にあった。(5:10)

*  *  *

それはまず、冒頭に殺伐とした未来都市東京を散策するヒゲオヤジによって朗読される。「武蔵野を 歩く人は 道をえらんでは いけない」「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」「その道はきみをみょうなところへみちびく……」「もし人に道をたずねたら……」「その人は大声で 教えてくれるだろう おこっては ならない」「その道は 谷のほうへ おりてゆく」「武蔵野には いたるところ……」「谷があり 山があり 林がある」「頭の上で鳥がないていたら きみは幸福である」……それと共に描かれるコマが皮肉な映像であることは言うまでもない……。 

彼は、「赤いネコ」とサインされた葉書を受けて、古びた洋館に呼び出された五人の少年達を保護する。彼等の父親たちは、皆、新東京開発の関係者であった……。

赤いネコを探索追跡するヒゲオヤジとアトムは、山中の洞窟で動物学者Y教授の白骨死体を発見する。Y教授の友人であった御茶ノ水博士は「いつも この武蔵野が どんどんきりはらわれて 都会になってゆくのを なげいていました」と語り、ネコは教授の可愛がっていた「チリ」であると言う……。[やぶちゃん注:少し残念なのは、この教授のネームがそっけないイニシャルであることか。いや、これは「やぶちゃん」の「Y」なのかもしれないな。【2013年7月25日追記:ウィキの「鉄腕アトム」によれば、講談社の手塚治虫漫画全集版以降「Y」という不自然な名前になっているこれは、もともとは「四足教授」であったものが、差別用語に抵触する虞れから、そのイニシャル一文字に変更されたものである、とある。なお、同日附の「2013年8月7日にアトムは僕らを救ってくれるか?」の僕の記事も参照されたい。この「赤いネコの巻」の時代設定は2013年8月7日前後であることを立証した(と自分では思っている)論考である。】]

その晩、チリがヒゲオヤジの寝所に現われ、「私の 主人は あの 美しい 野山が ビルディングの町になるのを くやしがって死んだのです」「お願いですから ビルの建築を やめさせて……」「きいてもらえなければ あなた はじめ みんなを のろい殺しますよ」と人語を操り、彼の銃撃をもかわして消え去る……。

日比谷の建設省のセンター開発公団を訪ねたヒゲオヤジは、公団の総裁[やぶちゃん注:ここで演ずるは、手塚のスターシステムの「ロック公」である。以下、彼をロック公と呼称する。]から、Y教授がこよなく愛していた武蔵野の一角「笹が谷」の開発工事が、一時はY教授の嘆願もあり、ロック公の判断でとり止められたにも拘らず、他の多数意見によって結局開始されてしまったことに恨みを持っていたという事実を聞かされる……。

学校。ガキ大将の四部垣以下は、ヒゲオヤジ先生にビルを建てられたら僕たちの遊び場がなくなる、反対! と詰め寄っている[やぶちゃん注:本当にあの頃は空き地がいっぱいあったし、そこは僕らのワンダーランドだった。]。放課後、四部垣は秘密の宝物を工事が入る空地に埋めていたのを思い出す。行って見たところが、野犬に襲われ、間一髪のところにアトムがやってくる。ネコの面を付けた男が現われ、誤って襲わせたことを詫びながら、姿を消す……。

怪しいとにらんだアトムはその空地に秘密の地下通路を見出し、四部垣と侵入するが、逆にネコ男に捕まって軟禁される。描かれるその地下基地は、多くの動物が収容され、まさにノアの箱舟の再現であった……。

抵抗するアトムの腕のジェット噴射で、男の面がはがれた。それは、死んだはずのY教授であった。地上に逃げ延びた二人が出たのは、少年達が呼び出されたあの洋館、Y教授の家であった……。

Y教授の生存が確認された今、田鷲警部は逮捕状の申請を主張するが、お茶ノ水博士はそれを抑え、自ら単身、洋館を訪れる……。

現われたY教授は、お茶の水博士の説得に対して、こう反論する。「大自然の 精が わしにかわって 人間たちに 復讐しているんだ これはずっと これからも つづくんだ」……そうして開発を中止しなければ8月7日に恐ろしいことがあると告げて去ってゆくのだった……。

ヒゲオヤジは、役人(先の「ロック公」)に、工事のとりあえずの中止を進言するが、彼は言い放つ。「都の命令がない以上むだんでやめられないのですよ」「私はやります」「東京の名誉のためにも」……。[やぶちゃん注:石原慎太郎よ、よかったな、ここにもお前のチルドレンはいるぞ。]

8月7日。

ありとあらゆる動物達が、突如として一糸乱れぬ反乱を起こし、東京はパニックに陥る。アトムは下級生の子供たちを救おうとして、ビルに激突、突き刺さったまま、機能を停止してしまう……。

捨て身の四部垣と駆けつけたお茶の水博士によって復活したアトムは[やぶちゃん注:ここで再生したアトムはまぶしく光っており、抱きつこうとした四部垣に博士が「いまアトムのからだは原爆とおなじようなもんじゃ」と制止する台詞は伏線以外にも意味深長である。]Y教授を探し出し、そこにあった動物を遠隔操作していた超短波催眠装置を破壊して、彼と対決する。……

アトムに飛びついた「チリ」は、触れて瞬時に死に、破れかぶれととなったY教授は、ダイナマイトを、誘拐した隣室の子供たち投げつけようとし、その瞬間、アトムの機転で自爆してしまう……。

その頃、建設省では意外な事実を、お茶の水博士が暴露している。公団総裁のロック公は、口ではY教授の嘆願を受け入れたようなことを言っていながら、その実、全くの私利私欲のために「笹が谷」開発の強制執行に踏み切った張本人なのであった。丁度その頃、窓外の動物の群れは、すでに鎮静を取り戻していた……。

回生病院。廊下。歩くお茶ノ水博士と医師。

お茶の水博士「Y教授はどうだね? 爆弾でやられたのだからそうとうひどかろう」

医師「とてももちませんな あと二日か三日生きればいいほうです」

病室。Y教授のベッド。

お茶の水博士「Yくん わしじゃ わかるか」

Y教授(うわ言で)「ムサシノを かえ…せ…」

お茶の水博士(書類を掲げて)「心配ない Yくん 建設省から約束の書類をとってきたよ 見えるかい……もうだれも あの森には 手をつけないんだよ」

Y教授(目を開け、黒こげとなったチリを抱いて横たわっているが)「あ……ありがたい チリや あれを ごらんよ…」

お茶の水博士「Yくん 元気になってくれな」

Y教授「お願いだ わしが死んだら あの森の中へ 埋めておくれ……たのむ」

Y教授(オフで。画面にはベッドの端にたたずむヒゲオヤジが後の窓を振り返っている。窓外には森を背景に、左を向いた淋しそうなアトムが立っている。)「わしは 武蔵野を 土に なって 守りたい」……。[やぶちゃん注:この作、お分かりのようにアトムは狂言回しの役どころでしかないように見える。しかし、そうではない。このコマのアトムこそが、人間とロボットという二律背反に引き裂かれてしまった、まさに「人としてのアトム」のディレンマの表現であったのだと思うのである。]

……並木道。散策するヒゲオヤジ。ヒゲオヤジは呟く。

「武蔵野を 歩く人は 道を えらんでは いけない」

「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」

「その道はきみを みょうな ところへ みちびく……」

森。佇むヒゲオヤジの前に苔むした墓がある。

「そこは森の 中の 古い墓場……」

「こけむした 石碑がさびしく うずもれている だろう」

墓。フルショット。その墓石に刻まれた「Y教授墓」の字。

「頭の上で 鳥がないて いたら きみの 幸福である」

見上げるヒゲオヤジ。森の上を、鳥がねぐらへと帰ってゆく……。

ヒゲオヤジ(以下の台詞は一見「武蔵野」の一節であるように描かれている)「武蔵野は滅びない どんなに文化が 進んでも……」「この大自然はいつまでも きみたちを 待っているだろう」

最終コマ。数枚の落葉のある、地面に置かれた「国木田独歩 著 武蔵野」の本。その上に、一枚の枯葉が散っている……。 

國木田獨歩 號外

國木田獨歩の「號外」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。芥川龍之介「追憶」の後半にある「日本海海戰」の中で、芥川によって想起される作品(但し、作品名を誤っている)である。そちらと併せてお読み頂きたい。「追憶」テクスト化終了時から、こちらのテクスト化作業を始め、既に出来上がっていた。

怒涛にして殺人的な一週間の仕事が終わった。魂が枯渇している。今日はゆっくりと深海の海鞘になろう。これより長年温めた獨歩のテクスト公開に踏み切る。

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »