フトユビシャコ
ナマコの碩学、大島廣が昭和37(1962)年に書いた「ナマコとウニ」(内田老鶴圃刊)を再読している。二十数年前に読んだのだが、こうして沖繩八重山への思いが募るようになって、丸で違った書物のように精読している。ことにヤクジャーマ節以下の民謡に歌い込まれた生物を同定してゆく過程はすこぶる面白く、後半のナマコの古文献の渉猟・精査も楽しい。
その中のフトユビシャコの叙述に、僕はわくわくした。フトユビシャコはその強烈な打撃で、分厚い水族館のアクリル版をも一撃で粉砕することは僕も知っていた。今年の1月の修学旅行でも、イノーの中を、すばしっこく走る彼らを何匹も見た。
ここは、大島自身の体験に裏打ちされた引用であるのだが、こうしたものこそが生態やフィールドを大切にした博物学の、そうして本当の意味での感動を綴った文学の醍醐味だと、僕は思うのだ。
R. W. C. Shelfordという研究者の1916年の記載。ボルネオのサラワク地方の海の、サンゴ礁であった出会ったエピソードの大島の訳である。
「死んだサンゴの岩を覆して、その下に隠れている動物を探しているうち、私はフト、岩に円筒形の孔があるのを見つけた。多分何か管棲蠕虫(かんせいぜんちゅう)の巣であろうと、私は不用意に指を突込んで見た。ア痛たッ! 指の先に鋭い痛撃を喰わされた。何だろう、不思議な孔だ。急いで指を引き抜いたあとへ杖の先を入れて見る。すると杖の先の金具にガリガリと猛烈な打撃を雨霰(あめあられ)の如くに浴びせかけるのが響いてくる。杖を引抜いたら、オリーブ色の長い形の、どうやら魚のようにも見える動物がこの孔からとび出し、電光のような速さで水溜りを横切り、大きな岩の下に逃げ込んだ。その岩を起し、下から動物を見付け出して捕らえることは訳もないことであった。
この動物は口脚甲殻類に属する Gonodactylus chiragra というものであった。手で持っていると、鉗(はさみ)を劇しく動かして、逃げようとけんめいにもがくので、痛くて我慢ができない。とうとう私はアルコールの入った管瓶(くだびん)に入れて、まず安心と思った。と、ハーイッ(これは手品の掛け声)あの怖ろしい鉗(はさみ)の猛烈な一撃で、さしも丈夫な管瓶が苦もなく打ち割られ、シャコは水に落ち、命あっての物種(ものだね)と大急ぎで間近の岩蔭に逃げ込む。しかし結局は捕まって、今度こそは石造りの頑丈な甕(かめ)の中でアルコールに投じられ、最後の息を引き取るまでの暫らくの間、郵便屋が扉を叩くような音を立てて、コトコトと甕(かめ)の内壁を打っているのであった。」
僕は、この Shelford という先生を知らない。しかし、このシェルフォード先生とフトユビシャコを採取しに行きたくなった。
フトユビシャコ(リンクページの一番下の写真)