子らの想い
今日、山岳部の山行の丹沢で、青空の下、美しい紅葉のグラデーションを眺めながら、しかし……
……昨日受け取った、上海で働く、私の信頼する古き教え子の手紙の一節を思い出す……
「昨今の教育界を巡る様々な動き(自殺問題、基本法など)に、心ある人たちが異論を唱えないことに妙な違和感と失望を、そして不安を感じます。祭りが好きで大勢で一方向に動きがちで、内向きの眼ばかり発達した日本……」
……そう、その通りだな……しかし、君、落胆してはいけない……
11月22日発行の僕の今の職場の生徒が書いた学校新聞、最近、問題となった高等学校の履修漏れについての(但し、僕の職場は今回の履修漏れ問題に関しては抵触していない)、論説「学校教育の岐路 予備校化を防げ」と題した記事の末尾が心に浮かんだ……
(その最も嘆かれる問題点は)『教育を受験のための手段としてしかとらえられない生徒や教員、保護者の愚かな認識である。/教育における結果はすぐに目に見えるものではない。そして教育改革の成果も即座に表われるものではない。それだけに教育制度の議論に関しては慎重に慎重を重ねなければならない。そして、学校は責任ある教育機関として、教育の本質にかなった教育活動を行わなければならない。/果たして、○○はどうか。』。[やぶちゃん注:○○には僕の職場の名が入る。]
……また、同じ新聞の、別な、別の記者による教育基本法「改正」案に関する記事の末尾を思い出す……
『現行の教育基本法とも、そろそろ六十年の付き合いになる。今のままで最良とは言えないかもしれないが、今までのこの長い年月の間、この国で暮らす人々を守り支えてきてくれた法律だ。この法律に何らかの美点があることを、その長い年月こそが示している/今の与党には、確かに野党を押さえ改正案を強行採決するだけの力があるだろう。だが、本当に「日本人自らの手で書き上げ」た法律をつくるためにも、より多くの人々の意見を鑑みて、慎重に審議を重ねてほしい。』
……僕は、まだ、かつての君のような高校生が、今も、生きていることを、君に、伝えたい。僕は、こういう記事を自立的に書く子らを現に教えていることを、心から誇りに思うことを、君に伝えたい、と思ったのだ。
……しみじみ想った、紅葉もまた……常に、いつも、美しい……