円空 熊楠 駒形どぜう
国立博物館特別展「仏像」の、一木から円空が「彫り出した」岐阜高賀神社十一面観音菩薩・善財童子・善女竜王三体に、激心した。楽しみにしていたその後の木喰上人の作品群は、その前の円空の作品群、いや、このこの三体仏一つで、完全に霞みの彼方へと去った。単独で木喰の作品を見たら、きっと大いに「素直に」感動したはずである。自然木の洞に彫りこんだ愛媛光明寺子安観音菩薩の前に、僕は必ずや「素直に」立ち竦んだはず、だった。しかし、円空の後に展示されたのは致命的にいけなかった。そこにいるのは「信仰の喜び」を顕在化させた「鼻持ちならぬ芸術家」でしかなかった。円空の前に円空なく円空の後に円空なし!
円空が北の原野に小さくなってゆく……山から熊が下りてくる……。妻は夏の紀州以来、南方熊楠のことを気安く「熊ちゃん」と呼ぶ。その「熊ちゃん」の科学博物館の特別展を見る。円空の生涯10万体(実作12万体)結願の出発ちは、ただの契機に過ぎない。そこに円空なる稀有の天性の「無意識の芸術家」が在ればこそ、円空仏は「在る」。僕には洋行に旅立つ熊楠が、自身の肖像写真の裏に記した
洋行すました其後は
ふるあめりかを跡に見て
晴る日の本立帰り
一大事業をなした後
天下の男といはれたい
がその、同じ契機を象徴するものとして映る。篠原鳳作まがいに言うなら、銃一丁と僕の秋よろしくアメリカを横断し、曲馬団に入ってラブレターの代筆をしてキューバを巡り、ロンドンの自然史博物館で差別主義者のイギリス人に鉄拳を「ブチノメス」(今回、その日の日記を実見! 思わず快哉を叫ぶ。漱石も「ブチノメ」しておれば、統合失調症にならずに済んだものをと、しみじみ想うた)、孫文や土宜法竜(今回、遂に「南方マンダラ」の直筆図を見る! その横には、2004年発見の法竜宛書簡、そこには明確にプレ「南方マンダラ」たるユダヤのカバラを基底にした熊楠直筆のチャートを記した書簡が!)との精神の交感を経て、帰国後の那智山入り、菌類・粘菌類(今回、念願のG・リスターのミナカテラ・ロンギフィラの原図を見る! こりゃ昔、バルタン星人の解剖図を少年雑誌の図解で見て以来の感激だ!)・「南方民俗学」(複製ながら展示された「十二支考」の「虎」の「腹稿」――構想原図を熊楠がそう呼称した――にはもう手が震えた!)の深奥へと向かう姿は、僕には円空の後姿と見事にダブってゆく……。
至福の仕上げは駒形のどぜうを喰ふに若くはなし♡
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