太宰治 右大臣實朝(やぶちゃん恣意的原稿推定版) + 私の拙作歴史小説「雪炎」の事
やっと、やぶちゃん恣意的原稿推定版太宰治「右大臣實朝」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開出来た。昨日完成していたが、教え子の教員採用試験合格パーティで久しぶりに快く飲み、バタンキュー。今朝からとりかかったものの、フォントの編集が異様に手間取り、この時間になってしまった。
大学の時に僕が書いたクソ小説「雪炎」は、この太宰の「右大臣實朝」にインスパイアされたものである。僕は特に公暁と主人公の由比ガ浜でのロケーション・シーンがたまらなく好きだ(あえて言うと、実際に朗読されると分かるが、公暁の台詞に混じる敬語は旨く機能しているとは思われない。蟹をバリバリと食らう厭世的なヒットマン公暁のイメージをもっとストレートに出したい気がする)。僕の二人の漁師のシーンはそのオマージュである。
僕の小説は、単に実朝暗殺事件の真相として、永井路子の三浦黒幕説に対する反駁から書いたに過ぎず、小説的技巧も稚拙の極みである。ただ基本的に僕は今も北条義時黒幕説を支持している。永井の乳母の家系は育てた子を殺さないという論理は、少なくとも「北条義時」という個に限っては、敷衍できる論理だと思っていない。
さらに、僕には僕の小説中ではっきりとは示していない、多くの疑惑が、この事件にはあるのである。たとえば、「吾妻鏡」を一寸紐解けば、それらは容易に見つかるはずである。例えば、
現実主義者としての冷徹さでは右に出ない義時が何故、幕政逼迫の折も折に、政子や泰時の大反対を押し切り、私費を投じてまで大倉薬師堂(現覚園寺。十二神将戌神の消失の霊異譚としてこの事件では大きな役割を担っている)を建立したのか?
公暁の事件直前の異様な密行や奇行を記載していながら、公暁に対する危機管理が全くなされていないとしか思われないのは何故か?
拝賀の式退出の際の警護が、現実には如何にも在り得ない程、手薄であったのは何故か? なお、暗殺の実行犯は公暁を含めた複数である。
大江広元は何故、事件を未然に察知できたのか?
尼御代政子と大江広元が同居することを意識していたとしか思われない家財私物の移動は何を意味するか?
三浦は何故美事に首級を得て訪ねてきた公暁の処遇をわざわざ義時に訊ねたのか?(勿論、これは三浦黒幕説の論拠としても機能するが)
黒幕を探ることもせずに義時は何故、即座に公暁を撃つことを命じたのか?(同前)
事件後、捕縛されていた公暁の弟子が、無関係として放免されている記事が、いかにもあっさりとしているのは何故か?
そのほかにも、公暁に間接直接からむところの二人の「定暁」という僧の存在等々……この実朝暗殺事件は誠に藪の中なのである……