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2006/12/30

ヴェトナム 又は 精神の絨毯爆撃

ハノイ空港に降下する途中、左耳が完全に聴こえなくなった。
現地ガイドに頼んで、空港から病院に直行する。医者の指示で、妻が私の両耳を覗く。中は“Red”だった。風邪をひいて耳管閉塞を起した状態で気圧の変化を受け、航空性中耳炎に罹った(この様態と病名は昨日、帰国後に知ることととなる)。保険に入っていないので、診察費と抗生物質の点耳薬を貰う。金1万円強。
痛みはない。ないが、片耳の聞こえない状態は、精神を不安定にさせる。かつてソヴィエト映画の「炎628」で、主人公がドイツ軍の爆撃弾でそうなったのを、主人公の一人称イメージで(映像だけでなく音響も塞いだ状態)で、彼の呼吸音が妙に響く途轍もなく息苦しいシーンとして描き、好きな作品であったが、見ていて異様に耐え難かった印象が蘇った。
そうして、思い出す。ヴェトナム戦争の北爆に使われたB52爆撃機は、一編隊で324発の110kgの爆弾を1回に投下、幅1km、長さ3kmの地域を、土中の深さ15mまで完全に破壊する絨毯爆撃能力を持っていた。運よく直撃を免れても、近距離で炸裂した場合、鼓膜は破れるのだ。
翌朝には幾分復活したが、二日後にはダナンへの飛行で、元の木阿弥となり、1週間の旅行中、私の耳は、ヴェトナム戦争の爆撃の霊感を、確かに感じていたのかもしれない。

翌日、ハロン湾へと向かう途中、国営の工芸美術センターに立ち寄る。
沢山の若者が、刺繍をしている。僕の耳には、相変わらず左耳に響くジーンという不快な音が響いていたが、僕はそれを忘れて、作業場の一角に呆然と立ち竦んだ。
その若者のほとんどが車椅子や杖をつき、脊柱奇形や口蓋裂整形等の施術痕を持っている。ここで作業する90%の若者は、戦時中の米軍が撒布した枯葉剤のダイオキシンを被曝した両親や祖父母からの、遺伝的奇形や病態を抱えた二世、三世なのであった。
その瞬間、私はこのヴェトナムに来ることの意味を了解した気がしたのだった。
ハロン(下龍)湾――海の桂林、世界遺産、ディズニーの映画に出てくる海賊船のようなジャンクの群れ――
そこでも僕は考える、ジャンクの龍頭にもたれて、考える。
素晴らしい干潟ではないか。素晴らしい景観ではないか。
しかし、外国人観光客を誘致するために、その素晴らしい干潟は鮮やかに干拓されつつあり、海岸線には高級リゾート・ホテルの建築予定を告げる看板が林立する。一見、ファンタジックなジャンクも、船尾に回れば、客の食べ残しはおろか、煙草も水洗トイレの汚物も、そのまま水面へと捨てられている。住民の下水も、同じである。
私は、旅行中、三人のガイドに、そのことだけは言い続けた。
「ハロン湾は素晴らしい。しかし、閉鎖された停滞水域である上に、汚物を流して、干潟を潰して開発すれば、富栄養化して、今の生態系は破壊され、20年たたないうちに、死んだ海になってしまう。水質浄化のための法令と、干潟の保全が急務です。」と。
彼等は、頷きながら、しかし、仕方がないという笑い顔をするだけだった。
そうして、沿道で、旧ソヴィエトから日本へと技術が飛躍的に向上したという火力発電所を指差しながら、最初の30歳そこそこの男性ガイド(ギーさんといった。個人的には今回のツアーで最高に心優しい人であった)は自慢げに、「あともう少しすればベトナムでは原子力発電もできます」と言う。僕が「おやめなさい。危険です。」と言ったら、彼は如何にも不服そうな顔をした。高エネルギー廃棄物の危険性と原子力発電事業のリスクを理解してもらうには、彼の日本語は少し無理があったから、僕はそこで話を止めたけれども……
――このままでは、龍は天へ帰ってしまうよ。

三日目は陶器の名産地バチャン村。水牛の黒々とした優しい目、その水牛車を操る女性、最古の窯の主人の屈託のない表情、どれもがひどく懐かしく美しい。かつて、日本の農村のどこにでもあった笑顔――ああした、笑顔を僕たちは忘れて久しい。
最古の窯の主人は、遊びで、鳥の水笛を創っている。たっぷりと水につけて吹けば、これは絶品。その音色は、僕を遠い遠い無垢の幼少期へと連れ戻す。これは、多分ここでしか、手に入らない。子供騙しと侮るなかれ。
ハノイの市場で遂に念願の幻の食材を、見た。ゴカイだ。見事に日本種と全く同じと思われる形状のゴカイ(Hediste 属と外見の区別なし)がてんこ盛りに売られている。間違えてはいけない。釣り餌ではない。人の「食用」にだ。調理法を聞き逃した! 食いたかったなあ!

ダナンのリゾート・ホテルは、恐らく僕が体験した5星ホテルのバイキングでは、最も贅沢なものだった。勿論、客にベトナム人は、いないのだ。
しかし、朝になって、ガイドが語った話は素敵に慄っとした。昨夜、台湾で発生した地震のために、このダナンの街の沿岸住民には待避勧告がなされていたというのだ。ガイドが示した新聞記事には、実際に深夜の雨の中、待避する住民の写真が載っていた。しかし、ホテルの僕たちには、何の警告も連絡もなかったのだった。恐らく、イメージ・ダウンや外国人の避難先等を考え、さらに津波は大丈夫だとタカを括ったのであろう(事実、津波はこなかった)。
しかし、考えた。プーケットの悲劇を考えれば、これは大変なことだったのではないか。危機管理を疎かにすると、誰より命の惜しい贅沢な先進諸国の観光客は、あっと言う間に、来なくなるというのに。砂の上を、紙が飛ぶように移動する(それは走るというより、砂上数ミリ上を、飛ぶ、という感じがしっくりくる)ミナミスナガニ Ocypode cordimana と戯れ、右の耳で、すこし荒れた波音を聞きながら……。

ダナンの旧王朝跡を案内されながら、僕はガイドに興味を持った。38歳。ソヴィエト崩壊前後に5年間、ハリコフでロシア語教師の勉強をしたという(当然、国費留学生のエリートだったと考えてよい)。しかし、最早、社会主義と縁の遠くなったロシア語は、学校でも、社会でも必要としない。仕方がないから、日本語を学んで、通訳となったという。彼は、ガイドの解説もそこそこに、現在の社会主義体制を大っぴらに批判する。僕が教育基本法や憲法改悪の日本の話をすると、「最早断末魔の北朝鮮」との関係の中で、そうした「愛国心」や「軍事力の保持は日本に必要だ」と言うのである。彼はまさに「裏切られた世代」なのだった。それも、一つのヴェトナムの矛盾ではある。

クチのトンネルを60m這っただけで、僕は今、太ももの筋肉が痛いのである。僕は、ヴェトナム戦争で真っ先に死んでゆく非力な存在であったろう。あのソンミ村の虫けらののように撃ち殺された老人のねめつける視線を相手に残して。
実弾射撃場があった。27歳の可愛い女性ガイドが「撃ちますか?」と誘った(高校生みたように若い)。実は隠れ軍事オタクの僕の内心は惹かれないことはなかった。しかし、僕はここで銃を撃って爽快感に浸る自分を許すことは、到底、できない。
ホーチミン市に行ったら、必ず戦争博物館に行かねばならない。『行くのがよい』ではない。『行かねばならない』のだ。ヴェトナムへ来て、ここに来ない者は、ヴェトナムへ来るべきでは、ない。
ここで澤田敬一やロバート・キャパの写真は、鮮やかに僕たちの精神に無数の風穴を空ける。僕は、中学3年の時に澤田の有名な「自由への逃走」を含む写真集を買った(僕が自律的に自分の小遣いをはたいて、1000円以上の本を買ったのは人生であの時が初めてであったと今思い出す)のだが、「違う」のだ。僕が、家で見るのと、ここで見る澤田の写真は、「違う」のだ。ここでは「報道写真」という外装はがばりと引き剥がされて、生身の肉と血の腥い匂いとして、確かに僕らの眼を引き裂くのだ。妻は、博物館の一角を大きく占めるいわさきちひろの絵に感動していた。恐らく、眼を背けたくなる写真やダイオキシン奇形の連続の後、ちひろの絵はあってよいのであろう。しかし、僕個人にとっては、それが如何に平和への思いを込めた善意のメッセージであろうとも、場違いな気がした。圧倒的な血と肉のむごたらしい「事実」を我々は、正しく直視し続けることが大切なのだ。「事実」を藝術や思想で組み直してならない。いや、僕なら、双頭奇形児のホルマリンの実物標本の脇に、ちひろの絵を、置く。
僕は高校生の修学旅行は、沖縄に若くはないと思っている(広島・長崎であってもよい。しかし、広島長崎の語り部の人々は今、あり得べからざる言論弾圧の危機に晒されていることは皆さんもご存知だろう)。今もそれに変わりはない。それはあの壕の体験や「ひめゆり部隊」の生き証人の講話を聞くことが、何より圧倒的な平和「教育」の理想形だと感じるからである。それでも海外修学旅行をしたいというのであれば、ヴェトナムへ行こうではないか。虐殺のソンミ村で農業体験をするのはどうだ。蛭に食われながら田植え体験をし、弟を庇って死んでいった兄の二人の倒れた農道を歩け。クチのトンネルを這い、撃ちたい生徒には、存分に自動小銃も短銃も撃たせよ。そうして、奇形児のホルマリン標本を、襤褸切れのようになった兵士や人民の死体写真を見よ……
……そんなことを考えながら、最後のヴェトナムの夜の街を歩いていたら、左の奥歯の金属が外れた。耳と口とが不自由になって初めて、この矛盾した「人間の世界」なるものが味わえた……そんな気がした――。

2006/12/22

雲隠

斯くの如き身にして誹り多からん旅に暫雲隠せんとす生きをれば又逢はんとぞ思ふ

2006/12/20

体調絶不調

風邪昂じ鼻詰まり耳下腺パンパン痰激しくて口にて息する程なれど是が非でも「こゝろ」を終はらせんがために仕事は休む能はず故に多く来たれるメールにも返信致さぬも本意にあらずと思し召し頂き度無沙汰御免候

2006/12/18

語ることを考えよ

語ることの意味を考えよ。我々にモノローグはない。必ずや、それは誰かに答えと解釈を強いる。

語ることの意味を考えよ。語っている私は、私ではない。私を語ろうとすることは、確かに写像である。しかし、僕らは、実はそうした写像を「説明している」のであって、写像が僕らを説明しているのではない。

語ることの意味を考えよ。それは、語ることによって鮮やかに失われてゆく、自身であるという逆説を。

語ることを考えよ。語りえぬものについて、僕たちは、沈黙せねばならない、というヴィトゲンシュタインの言葉は、常に真である。

語ることを考えよ。そうして、語ることの不毛を感じよ。

2006/12/17

栗本丹洲「栗氏千蟲譜」巻九 全

栗本丹洲「千蟲譜」巻九を、原典からの復刻で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これが、ささやかな今年の僕の、心ある人へのクリスマス・プレゼントである。国立国会図書館の原図を見ながら、旨い酒でも傾けて読む時、それは僕なら至福の一瞬であるし、そのような誰かと楽しむために、僕は作った。

中文テクストの読みの振れや、種の同定では幾つか課題を残した。特に、ウミタケの異例の学名の不思議を理解できなかったことや、最後のヤドカリの図の不可解さは、何かご存知の方に、是非ともご教授願いたいと思っている。

しかし、だいたいに於いて、今年の僕の最後の仕事としては、満足できるものとなった。

2006/12/14

「職員朝礼は何を言うべきか」だって?

アクセス解析とは時々面白いものを見せてくれる。本日の206アクセスの中に、「職員朝礼は何を言うべきか」という検索キーワードで僕のブログを訪ねてきた噴飯愚劣ゲログロテスクな輩を見つけた。よりによって、僕のブログに当たるとは(連続文検索の単語分解の部分だから、こりゃ相当検索ツリーを深く見たネエ! それだけ「職員朝礼」のネタに深刻に枯渇したかい? ふふふ♪)! お美事! 而して言ってやる。「おめえ、何、考えてんダ?」(黒澤明「七人の侍」の菊千代の台詞調で!)

愚劣生物学

法制度によって魂が支配できると思う輩は心底最下劣な救い難い生き物である。しかしそのような者さえ阿弥陀が往生させると説くのも誠に真理である。救い難い者ほど救われねばならないというのは確かな「魂」の神髄である。されば宗教概念を持った人類そのものが救い難い宇宙=統合体としての世界そのもの破壊者であることを示している。世界を破壊できるのは神しかいない。人類という存在そのものが今、神であることを痛感する。されば神とは救い難い煩悩=幻想の産物であったのだ。私たちは無に帰すること以外には、私から解放されることはないのであるということが、実に鮮やかに分かった。おぞましき肉体を捨てよと教育基本法に盛り込もうではないか。我々は教育の中で、ヒモムシやダニやゴキブリのため、あらゆる生を享けたガイアの生物総体のために、速やかにその存在を消すに若くは、ないと、呼びかけよう。

2006/12/12

いらっしゃい

今日の訪問者72(アクセス135)の中で、昨日、僕の言った「鬼火 やぶちゃん」から来られた方、吃驚しましたか? これが、あの教壇で偉そうに語っている、僕の真実の姿なのですよ。

忘年会の後で

酔って帰って、財布をなくした。アリスと一緒に蒲団で寝たが、気がつくと彼女は母に拉致されていた。

2006/12/09

今日一日パソコンご苦労樣

8年かけて収集した30GBの僕のマニアックなデータベースを一日かけて、パソコン本体にコピーした(独立したハードディスク+職場のパソコンへの複写を毎日してきた馬鹿さ加減)。これで、どれかがぶっ壊れても、マンズ平気だぜ! 何にも怖いものは、ないわさ!

栗本丹洲「千蟲譜」第九巻テクスト化続行中!

さぼってないぞ! 栗本丹洲の「千蟲譜」の第九巻、やってる! 同定にはまった! 楽しみにしてて、ね! かの大著、荒俣宏の「世界大博物図鑑」の誤りまで見つけてしまって、僕は何だか、すっかり嬉しい楽しい胸苦しいばかり♡

2006/12/07

父からの初メール

父のことは以前に、「僕が教師を辞めたい理由」やら「父のこと」等、何度か書いた。今、隣に住んでいる。顔を合わすと、僕が父の言うことすべてに悉く文句と反論を語り、それをまた父は平気の平左で、僕を対等な馬鹿者としてからかう。そんな爛れたお洒落な変態的関係である。

彼から昨日、メールが来た。初めてである。遺書風なところが小気味よいが、お騒がせなメールである(お蔭で昨夜、「人間ドックで癌でも見つかったのか」と平然とした顔をして隣に訪ね、検査詳細データを見たら、僕より遥かにすべての数値が健康であった。許し難い事実である)。

そのメールの一部に手を加えて、転載する。これが、僕の、1929(昭和4)年生まれの、たかが/されど、父である。

鬼火の藪ちゃんへ       製造元・香魚迷より、

☆シュールレアリスト「志賀丈二追悼」の文書中、「東京中央郵便局の窓口」とあるは誤りです。
正確には「丸の内・仲4号館の仲通り郵便局。当時は赤レンガ作りの間口2間ほどのオンボロ小郵便局の薄暗い切手売り場窓口にいつも座っていた。志賀君は無愛想で客の評判は当然、悪かった。

私が勤めていた「協和特許事務所」仲4号館4号(焼け残りで階段や廊下は板張り)から筋向い、歩いて1分もかからない所にいた。1952年のことである。
すぐ裏には米軍が接収していた東京會舘・筋向いにはソビエト代表部があった。
歩いて5分のところに、GHQ・丸の内警察があった。そうして、……朝鮮戦争……血のメーデー……ベトナム戦争……

☆言い残す言の葉=葬儀無用・戒名無用(自家製戒名=香魚迷)とす。但し、『バイカル湖のほとり」にて』を流しつつ、鮎の毛鉤釣り友達での歓送会を。呑み放題でお願い致します。

2006年11月・藪さん通信。

さすがに、我にして、この父あり。

メンテナンス中の鬱憤

忙しくて疲弊してブログも書く気が沮喪していたにも関わらず、人間はおかしなもの。ニフティがメンテナンスで書き込めないと思うと、俄然、書きたくなった。それも下らないことばかり。この間、ミクシィのトップのプロフィルに書きなぐった落書きを公開しておく。

★☆★Yablogue(blogに/が書けない時の夢酔獨言★
(メンテナンスで書けないと思うとムショーに書きたくなるこのヤブノーマルさ!)

『人生辞めたいときにエンドレスで永遠に聴ける曲って、何だろ? 僕にとっては……そうだな、誰も選びそうもないんだが、Bud Powellの‘THE AMEZING BUD POWELL VOL.3’の“Don't Blame Me”だ。Curtis Fuller のトロンボーンの郷愁が、nostos+algos の病んだ魂魄の芯の髄まで、ジンジン、くるぜ!』(12/05 10:22)

『恋の告白♡僕は「サザエさん」の花沢さんと、「ちびまる子ちゃん」のたまちゃんに恋してることを自覚している』(12/05 10:33)

『僕ら人類は「概念」の他動的痙攣と「倫理」の無目的増殖という悪性新生物に冒された、滅び行く誠に哀れな、しかし確かに、滅ぶべくして滅ぶ哺乳類の一種に過ぎない』(2006/12/05 10:55)

『さても 君は若い 故に恋を疑っているのだ 恋を「恋」という普通名詞に置き換えた時 美事に哀れな大人の「恋」人になってしまうことを忘れてはいけない』(2006/12/05 11:11)

『あの時君が望んだら僕は祇園山のあの八雲神社の裏の二人して坐った崖から江戸時代の秘伝の「かやら草」で折った蜻蛉の折り紙を沢山作って君のために確かに放った』(2006/1205 11:44)

『……いや、確かに世間は取るに足らない歯応えのない奴が多すぎる! 食ったことはないワケノシンノスのような奴が、いるかしら♡』(2006/12/06 00:00)

『舞踏って、何だろう? 僕は舞踏する誰をも羨ましく思う。だって僕に出来ないんだもん……しかし、やっぱりギリヤーク尼ヶ崎! カワラコジキに戻る覚悟で、「ギリヤークする」のは、もっともっともっと至難である。』(2006/12/6 9:09)

『チェレンコフ光だ! おまえらが 誰かを/誰かに 愛そう/愛されよう とするうちに。俺は たかが/されど のそのチェレンコフ光のことしか、今日一日、考えてはいなかったのだ。』(2006/12/05 9:22)

2006/12/03

海鼠 附録 雨虎(海鹿) 栗本丹洲 Renewal 

栗本丹洲の「千蟲譜」の「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」 の補注を大幅に校訂追加し、洩れていた図譜のナマコとアメフラシの同定を行った。

現在、同「千蟲譜」の第九巻全巻の翻刻作業に入っているが、恐らく、本年中の完成は難しい。 

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