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2007/01/09

「宮澤賢治 トシ 日記 近親相姦 暗示」という検索

今日もこんな検索ワード/フレーズで訪ねてきた方がいる。「宮澤賢治 トシ 日記 近親相姦 暗示」。似たような検索ワード/フレーズで僕の所を訪ねてきた方は、この半年で20件を越える。僕は、その方々のためにだけにでも、「宮澤トシについての忌々しき誤謬」を書いた価値はあったと信じている(この単独ブログページはHPトップからのリンクを残している関係からも、私の単独ブログページアクセス数では特異点の一つである。今日までのこの単独ページへの訪問者数は150人を数える。勿論、トップページからの検索者も入れれば、誠に多くの方に読んで頂けたことを感謝している。ちなみに、僕のブログ全体の現在の一日平均アクセスは118回である)。私は賢治の心酔者でも、研究者でも、ない。ないが、なぜそのようなただの好事家に過ぎない僕が、このようなことを声高に言わねばならないのかということに、僕は現代文学研究者を称する者共の、「大いなるガサツさ」を、感ずるのである。自然科学者や社会科学者は、池内了が言うように、常に現実の社会への警告者であることを内包している、していなければ、科学者ではない。では、文学者はせめて、文芸という創造性の、その外延に自身の愛する作家への真の啓蒙者たらんとする覚悟を常に自覚するべきではないのか。単なる解釈のマスターベーションの墓穴にエクスタシーを感ずるしかないとすれば、文学者など、唾棄されるべき存在以外の何ものでもない、と私は思うのである。

追伸:文学に於ける宮澤賢治研究は、海洋生物学に於ける貝類学に似ている。貝類学は素人の研究家が頗る多く、貝類学以外の海洋生物学者は貝類に言及することを、事の外、恐れる。一家言ある、おそろしく限定された属に詳しい在野の好事家が無数にいて、ちょっとした同定ミスや主張に、鬼の首を捕ったように噛み付いてくるからである。Web上でも賢治のサイトは綺羅星の如くで、思うに、宮澤賢治の場合、彼を愛するということは、自身だけが愛する「私だけの賢治」であることを望んでいるのかも知れないという気がしてくる。そうした誘引物質を、賢治は、確かに放っていよう。されどまた、僕にとってはそれが、逆に警戒フェロモンとして作用しているのかも知れない。博物学者にして宗教家である宮澤賢治という文学的現象は、名実共に既にして示すことのできない「天才」であることは、確かである。

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