明治6年横浜弁天橋の人柱
明治6(1873)年の8月の或る早朝、西戸部監獄から、一艘の舟が、静かに大岡川を下っていった。その舟には、当時の異人相手のラシャメンが産み落とし、不良となって逮捕され、収監されていた混血児の少年ばかり4人が縛られたまま、乗せられていた。行く先は、竣工間近の弁天橋の工事現場であった。彼らは、何も分からぬ内に、そこに掘られた穴に突き落とされ、そのまま生きながらにして、人柱と、された……
……忘れちゃあいけない、明治6年の話だ、江戸の話じゃあ、ないんだ……そうして、弁天橋とは、ほら、学校の行き帰りにも見える、あの桜木町の駅からすぐの、そうだ、君も渡ったことのある、あの橋さ……そうして、あの、君の踏んだ足の下に……今もその少年たちは……「いる」のだよ……人柱として……