芥川龍之介 僕の好きな女/佐野花子「芥川龍之介の思い出」の芥川龍之介「僕の最も好きな女性」
芥川龍之介「僕の好きな女」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
佐野花子「芥川龍之介の思い出」の、「佐野さん」の一件を記述したその直後に、彼女は次のように記している。
『その後、大正八、九年の何月号でございましたか、淑女画報に左のような文が載りました。
僕の最も好きな女性 田端居士
僕は、しんみりとして天真爛漫な女性が好きだ。どちらかと言へば言葉すくなで内に豊かな情趣を湛へ、しかも理智のひらめきがなくてはいけません。二に二を足すと四といふやうな女性は余り好ましく思へないのです。
かつて或る海岸の小さな町に住んでいたことがありました。そう教育が高いといふのでもなく又さう美人といふのでもない一婦人と知り合ひになったことがありました。この婦人に対して坐ってゐると恰も滾々として尽きない愛の泉に浸ってゐる様な気がして恍惚となって来ます。僕はいつか全身に魅力を感じて忘れやうとしても今尚忘れられません。かういふ女性が多ければ多いほど、世界は明るく進歩して男子の天分はいやが上にも増してゆくことでせう。[やぶちゃん注:一部歴史的仮名遣いに誤りがあるが、表記はすべてママ。]
右の文において私はふっと自分の胸に思い当たるものを感じます。名前も出さず、或る婦人とか、或る海岸の小さな町とか、ぼかして述べてありますけれど、私には思い当たる節があるのでございます。ははあ私のことだとわかるのでございます。これが文学的な方法でございましょう。これに比べて「佐野さん」という文は何とムキ出しに夫を刺したものだったかと、今更のごとく比べて思いました。』(以下略)
……「僕の最も好きな女性」という題名の作品は岩波版旧全集には所収しない(新全集は未見)。「大正八、九年」という佐野花子の言う期間の中で、該当する作品は、掲載雑誌名も異なるが、本テクスト「僕の好きな女」である。その内容は、僕のテクストでお読み頂きたい。そうして、この佐野花子の示す「僕の最も好きな女性」と比べて頂きたい。……この数日の間の、一連の考察によって、僕は、ある一つの可能性に達しているのだが、それはしかし、今は、まだ差し挟まずにおくこととしたい。……
では、僕はこれより、伊豆に湯治に出かけることとする。随分、ごきげんよう……
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