ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “Histoires Naturelles”原文+やぶちゃん補注版) または 緑の2年C組のみんなへ
ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “Histoires Naturelles”原文+やぶちゃん補注版)を「心朽窩 新館」に公開した。
僕は、愛する「にんじん」の作者の、自然への、自然の生き物の一つとしての人間としての、その限りない優しさの視線を、心から愛する。
ルナールがこの「博物誌」を書くに当たって、ベストセラーであったビュフォンの「博物誌」を参考にしたことは、彼の蔵書から多量の書き込みのあるフィルマン=デッド版ビュフォン「博物誌」が発見されたことのによって明らかである。しかし、ルナールは同時に日記にこう記している。
「『博物誌』――ビュフォンは人間を喜ばせるために動物を描写した。私の方は、動物自身の気に入りたいと思う。もし、動物たちが私のささやかな『博物誌』読むことが出来るなら、微笑をもらすようであって欲しい。」(1895年9月19日日記臨川書店1998年刊全集12『日記Ⅱ』(佃裕文訳)
僕は今日、全く偶然読んでいた紀伊国屋書店1999年刊の西村三郎「文明の中の博物学(下)」に、ドイツの動物学者・唯物論者カール・フォークトがビュフォンを評した1851年の記述を見つけた。「中身のない華麗で荘重な言葉を用いて、ビュフォンは」「哺乳類や鳥類の習性や生活を、なんの秩序も内的関連もなく、ただ自分の文体を輝かせるために、より適切と思われる素材に応じて、あれやこれや記述した。今では彼はフランスの文筆家として文学史のなかに名をとどめているにすぎない。」と。ルナールの日記の決意は、まさにその『対偶』というべき、真である。
さらに西村は最後にこう書く。「かつてビュフォンは、アカデミー・フランセーズへの入会演説で文体の問題を取り上げ、次のように論じたことがあった。すなわち、文体とは人がその思考のなかに置く秩序と運動にほかならない。そして、事実に関する記述は新発見によって急速に古くなってしまうが、文体と思考法とは決して古くならず、永遠にその人のものとして輝くと。だが、じつは、古くなるのは事実だけではない。文体と思考法も、厳密にいえば、時代とともに古くなるのだ。確かな知識のレベルを越えて大理論の構築をめざす思考法、そしておおげさでもったいぶった旧式な文体。――ビュフォンは、身をもっておのれの主張を反証したのである。」[やぶちゃん注:下線部は引用底本では傍点「丶」。]この西村の叙述の『対偶』こそが、ルナールの「博物誌」ではないか!?
この新潮文庫で見られるボナールの挿絵が、僕は大のお気に入りだ。ロートレック版が古書界では高値を示すというが、僕には、「博物誌」はボナールで決まりだ! 文化庁の著作権のQ&Aによれば、保護期間の過ぎた絵画作品の複製(複製発行者・カメラマン共)は著作権が認められないのだ。最後の「あとがき」で岸田も言っている通り、「ボナールの挿絵もこの版では原本から引き写」したのである。僕は、これからブログのマイフォトに、大手を振って、ボナールの絵をアップするつもりだ(そのまま「博物誌」の本文に貼り付けるのがベストだけれど、原文を挿入してページの容量が重くなっているので、マイフォトのPierre Bonnard“Histoires Naturelles”にリンク形式で置く。いちいちアップをブログで告知はしない。思いついたらお訪ねあれ!)。いや、ルナールとボナールの稀有の結晶を讃える必要を僕は感じた(やっぱり絵と文は一体が一番!)。とりあえず本文冒頭の一枚! どんと載せたよ!(これからも好きな絵は本文に気まぐれで挿入するからね! 言ってるそばから今日〔3月27日〕もアップしちゃった!)
最後に。
僕はこのルナールの「博物誌」を、一昨年の緑の僕が担任だった、2年C組の、腕を折った僕を心から支えてくれた君たち、みんなに、捧げたい。ありがとう! 30日、楽しみにしているよ。