KURO アフリカの月
アフリカの月
原作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵
唄:Ann Sally
歌詞採録恣意的記号挿入レイアウト:やぶちゃん
古い港町流れる 夕暮れの口笛
海の匂いに恋した
あれは 遠い日の 少年
酒場じゃあ 海で片足 失くしたおいぼれ
安酒に 酔って
唄う 遠い想い出
……俺が旅した 若いころは
よく聞け! 若いの!
酒と女と ロマン求めて
七つの海を 旅したもんさ……
……母さんは 言うけど『船乗りはやさぐれ
海に抱かれて 年とり
あとは さみしく死ぬだけ……』……
……僕は夢見る 波の彼方の
黒い大陸
椰子の葉かげで 踊る 星くず
見上げる 空には アフリカの月……
古い港町流れる 夕暮れの口笛
海の匂いに恋した
あれは 遠い日の 少年
ララル……ラル……ウルル……
*
これは確信犯である。勿論、これは著作権存続。作曲者西岡恭蔵氏のホームページも存続する。一応、形式的には憚って聞き取り採録とした。そうして、そのレイアウトや記号には、勿論、僕の恣意的な解釈が満杯だ。
でも、本当にいいものは、みなに語られ、みなに唄われてこそのもの、読まれてなんぼ、唄われてなんぼ――いや、それこそ文芸の、あらゆるアートと呼ばわるところのものの本質とは所詮そんなものではなかったか?!
いや、そんな吝嗇臭いことは、どうでもいいんだ。
どうしたって言っておきたいのは、作詞者は作曲者西岡恭蔵氏の亡くなった愛妻であること、そうして……そうして西岡氏はその愛妻の三回忌に自死したことだけだ。
『だから、どうだって?』
だって? だったら、あんたとは、金輪際、語りたくない。
それだけのことだ。
僕は今日、遠い海鳴りじゃあない耳鳴りを振り捨てるように、これを大音響リピートで、聴いている。
……ちなみに、今日の診断で僕の「ふらふら」は明らかに内耳的な器質的疾患であることが明白となった。気の迷いではなく、確かな「眩暈」であるということだ。原因は分からない。航空性中耳炎からは、このような内耳疾患は発生しないという。こいつも、耳鳴りと一生もん、かい。「海鳴りと船酔い」、いや、今気づいたよ、この歌詞は、今の俺に、ぴったりじゃあねえか!
……さて! いいじゃねえか! この小憎らしい「あれは 遠い日の 少年」っていうフレーズは、よ! 「ケッ!」といつものように唾吐いて、俺は、明日からほんとに北の海の彼方へと、「あばよ、だ!」(おっと! 俺の「ジパング」の可愛い子ちゃん! おまえさんが「楽しみにしているよ」と言ってくれたルナールは、自動更新システムなんぞというゲロ吐きそうな文明開化のお蔭で、ちゃんとセットしといた、ぜ! ケッ![やぶちゃん注:唾の音。])