本間珠実 ゆき兎
:僕の教え子にして高校三年生の時の担任生徒
:やはり僕の教え子であった童話絵本作家相野谷由起の高校美術部時代の盟友にして嘱望された造形作家
……輪島塗りまで体得して……それでいて、飄々としていた少女……トンボ眼鏡とカートをずるずる引ぱって本郷台の駅の地下道で衆人環視の中、「や、ぶ、の、せんせー!」と手を振ってくれて、ちょっぴり恥ずかしかったのを何故か覚えてる……僕のたまちゃん……そうだった、僕はちびまるこの「たまちゃん」が何故ファンなのか合点した……あれは君だったんだな……たまちゃん……命を絶つ前に、もうちょっとだけ、このむくつけきおじさんと話してくれたら良かったのにな……待ってろよ、俺は漆器の光沢の見識には、うるさいんだゼ、へへ……
[やぶちゃん注:本作の遺品としての所有者は相野谷由起嬢である。が、僕の相野谷と本間の作品を自分のブログで並べたいという強引な望みで、今回、彼女から送られた画像をここに飾ることを許諾してくれた。夏の一日、江ノ島で開かれた同窓会の後、相野谷嬢から、「先生、あそこに本間さんは来ていました。私はそう感じました。」という言葉を聞いた時……僕は一人、泣いた。]
月には兎がいるのだと
私は小さい時思っていた
恐らく月はでこぼこの冷めたい山が広がるばかりで
平地には崩れた塵埃が
幾重にも重なっているだけだろう
海というものは名ばかりで
一滴の水もない暗さが
深く沈んでいるだけだろう
だが今でも私は
月には兎がいるのだと思っている
月は昔疲れた飢えた旅人のために
身をささげた兎だったと
この涯というもののない宇宙のなかには
死んだものはひとつもないのだと
おそらく数知れない天体のなかには
数知れない兎がすんでいて
数知れない疲れた旅人もいるのだと
今でも子供のように思っている
(1968年刊 思潮社「動物哀歌」 より)