南方熊楠 安宅関の弁慶
南方熊楠「安宅関の弁慶」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
ちなみに、僕が中学・高校時代を過した富山県高岡市伏木こそ、ここに登場する「義経記」の如意の渡しであった。ついでに言えば、友人と道草をした町中の旧刹勝興寺は大伴家持の旧跡でもあり、すぐ近くに国府跡があった。高校のあった丘の下の浜辺まで来たと思われる芭蕉は「早稲の香や」の名句を詠んだ。卒業した県立伏木高等学校の校歌には「奈呉の浦」「有磯の海」「如意が丘」が詠み込まれていた。当時としては斬新な伏木中学校の校歌(実は校歌ではなく「伏木中学校の歌」である。校歌がそもそもないのである。僕は如何なる出身校にも勤務校にも愛着を持たないが、何故かこの「伏木中学校の歌」は忘れずに覚えていて、歌える)を作詞した堀田善衛は町の廻船問屋の息子で、初期の短編小説に登場する先の浜辺、国分浜の連れ込み旅館の蔭で、僕はしばしば煙草をくゆらせたものだった。丁度その頃、その浜から北朝鮮に拉致された人がいたこともつい先日知った。へたをすれば、間違いなく僕は拉致されていた。それほどあの浜が、僕は好きだったから。それにしても僕はこのような、文学的香気とは全く無縁に、あそこで6年を過したのだった。僕の青春は、日本海の、あの人を拒絶する濃い海の色と、荒れ荒(すさ)んだ沖合いの三角波に象徴されていた気がする。しかし、もう行くこともないであろう、あの北陸の沈んだ港町が、今の僕には妙に懐かしくもあるのである。