「夜の果ての旅」風
だから...セリーヌのように...夜の果てまで来ちまったって思ってる奴と...話し合っちゃあ...いけないのさ!..あんたの...「健康」って奴の...ためには!.. じゃあ...ゆくゆくは...いつか...どこかで! ..あの世があればこそ、夢の話は...また後でできるというもんさ...うん?.. 「あの世」なんてあるのかって?.. それはあんた次第 ...それを人はエゴイズムと呼ぶのかも...しれないね...
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だから...セリーヌのように...夜の果てまで来ちまったって思ってる奴と...話し合っちゃあ...いけないのさ!..あんたの...「健康」って奴の...ためには!.. じゃあ...ゆくゆくは...いつか...どこかで! ..あの世があればこそ、夢の話は...また後でできるというもんさ...うん?.. 「あの世」なんてあるのかって?.. それはあんた次第 ...それを人はエゴイズムと呼ぶのかも...しれないね...
昨日、湯治の帰りに、小田原市街の旧街道を歩く。古い看板や町並みを再現保存したそれは、何か素敵に懐かしい。
昼食に立ち寄ったスペイン料理トマスは、一言、旨い。マラガで修業したシェフのこだわりと、その一聞くと十返って来る薀蓄も、本場スペイン並みの天井の高さや、本場のタイル画、風車に立ち向かうドンキホーテのタペストリーのあるここでは、何とも心地良いのだ。辛口のサングリアからして、絶品!
……窓際の、何気ない大理石に張り付いた金属製の鳥のオブジェに、惹かれた。シェフに聞くと、にんまりとして、「誰のものか分かりますか?」と聴かれた。ミロですかと答えると、スペインの有名な建築家(ここでシェフ、またにんまり)……ガウディ!!!???
サグラダファミリアが資金難で建築が滞ったことがあったのは知っていた。その時、日本に三本の作品が合法的に持ち込まれたというのも、聞いた記憶がある。その内の一本、が確かに、ここにあった!
シェフの好意で持たせてもらった。止まり木のたった細い一本の支えで台座の大理石に絶妙なバランスで立っている鳥――その背後にはごつごつとした大理石の原石が続いているのである。残念なことにその背後には、さらに巨大なあのサグラダファミリアの尖塔を髣髴とさせる大理石が、鳥の尻尾のようにそそり立っていたのだが、これはお客が不用意に触れた結果、折れてしまったという……
……懐かしい過去の町並み……ガウディとの再会……至福の一日……これを見るだけでも充分だ。騙されたと思って、お訪ねあれ。但し、サングリアのデキャンタだけで4500円、相応のお覚悟は必要。
追伸:教え子から「サグダラ」はないだろ、ときた。その通り! El Temple Expiatori de la Sagrada Família 聖家族贖罪教会。しかし、僕にとっては、まるで「サグダラ」……「マンダラ」だった。まあ、いいや、あのグエル公園の回廊の力学構成を考えれば、あれはマンダラならぬサグダラ、かも知れん(苦しい洒落だ!)。……さても、建築家の別の教え子が、トマスのガウディは、知る人ぞ知る有名所なのだと一報をくれた。今度、その彼とあそこで、飲みたいな。あの、ガウディを、テーブルに据えて。
「智」に遊ぶことが出来ない者は、真の智者ではない。「智」を入試や社会的地位の「手段」にする時、「智」は鮮やかに「痴」となる。今の高校も大学も、その教育にあって、鮮やかに智者を痴者にしている。僕は、せめても、そのような擬智でありたいとは思わないし、また、僕という救いがたい愚者が何かを教えられるとすれば、それはまさに、そうした「智」の真の実在への希求の行為のみだと思うのである。智に対して貪欲であり、同時に謙虚であれ、という僕の思いは、そういう信仰に近い僕の方法論なのである。僕は、今、教えている最高学府を目指すと口にする子供達の、如何にも哀しい、呆けたような、どこか淋しく孤独な顔が、とてつもなく耐えられないのである。一体どこで、教育は狂育となってしまったのか?
残るものが残るのだ 村上昭夫
地上の一切のものが燃え滅びる時
残るものが残るのだ
しまいに残された一本の矢のように
それは焦土の焼けあとからはなたれるだろう
まじり気のない純金の光沢となって
焼けない宇宙に向かって飛び出すだろう
偽りの神々が
その神殿と装束は最ものろわれた溶解物となってさらされるだろう
神々がひとかたまりの醜塊をさらしあう時
残るものが残るのだ
*
村上昭夫という詩人=シャーマンのこの呪詛は、今現在の世の至る、確かな哀しい事実の表象である。
病院に行くと早速鼻をふんふんならして飛びついてきた。元気にぴんぴんしている。ダイエットで少し顔がスマートになり、少女アリスになって戻ってきた。
実は一昨日の午後、アリスは不妊手術をした。今日の朝、退院する。せめて今日ぐらい、僕は彼女を迎えに行ってやりたい――
Left Alone Billy Holiday 附 やぶちゃん訳
Where's the love that's made to fill my heart
where's the one from whom I'll never part
first they hurt me, then desert me
I'm left alone, all alone
Where's the house I can call my own
there's no place from where I'll never roam
town or city, it's a pity
I'm left alone, all alone
Seek and find they always say
but up to now, it's not that way
Maybe fate has let him pass me by
or perhaps we'll meet before I die
hearts will open but until then
I'm left alone, all alone
*
わたしの心を満たしてくれる愛は、どこ?……
わたしが決して失うことのないあなたは……どこに、いるの?……
いつだって、誰もが、私を傷つけた……そうして、みんな、私を捨ててゆく……
私は独り、ただ遺される……たった、ひとり……
ここが私のほんとうの家だって呼べる、そんな家は、どこ?……
わたしが決してさまようことがない場所って……どこに、あるの?……
田舎も……街も……どこだって……なんて哀しい……
私は独り、ただ遺される……たった、ひとり……
求めなさい、そうすれば思いは叶う、って……あの人たちは言うけど……
でも……いつだって……うまくいったことなんか……ありゃしない……
きっと……私の運命だったの……だから、大事な彼は……わたしのそばを冷たく素通りしていったんだ……
いいえ、そうよ、きっと……うまくゆけば……死ぬ前には、きっと、逢えるんだわ……
でも……あなたの「こころ」が……わたしの「こころ」を……あなたが、こころの底からわたしを包んでくれる……そんな……そんな時まで――
そう、やっぱり……私は独り、ただ遺される……たった、ひとり……
*
どっぷり気にイッてるマル・ウォルドロン&アーチー・シェップのデュオをエンドレスで聴きながらの、拙訳。
君が行きたかったところに僕は一緒に行こう。たとえば、それは40年も前、土曜日の小学校の帰り、誘い合った数人で登ったあの山の、陽光の射す何でもない高圧鉄塔の下の草地だった。しかし、そこでそれぞれの貧しい弁当を広げた、あの時……確かに、確かに僕は幸せだった……そんな場所へ、君と、一緒に、行こう。
小学校のあの頃、僕は何にでもなれた気がしたものだ。毎日、いじめられて田圃に落とされ、肥溜めに落とされ……泥と糞だらけになりながら、それでも僕は学校に行きたくないと思ったことはなかった。何故だろう? それが世界と通じる唯一の方途だったからではなかったか? 僕はいじめられながら世界を認知したのだという気がする。そうして何にでもなれる気がしたのだ。あらゆる呪詛の中で、僕は「何にでもなってやろうじゃねえか!」という気になったのだ。そうだ、僕等は、おぞましい怨みのただ中にあって、何にでもなれるのだ。それが淋しいことかどうかなんて、糞食らえ、だ。
東京スカパラの「君と僕」をもう6時間以上、エンドレスで聴きながら丸一日、この画面に向かっている(それは仕事もあれば純粋な楽しみのためでもあったが)。いや……それが僕の憂鬱の完成だ。君と、僕だ。
「誰かのために」生きることは無意味だ。「誰かのために」という前提自体が欺瞞である。しかし、では僕等は「自身のために」生きているかといえば、そうではない。それどころか、「自身の架空の社会的存在のために」生きている愚劣さに誰もが気づくであろう。それは「君」でも「僕」でもない。そうして、それは責務のための責務としての生という幻想としての馬鹿げた存在だ。僕等は「ある」行為の「ために」生きているのではない。「生きている」という実感を自身が認知する「ために」行為するのだ。合目的的生は「生」では在り得ない。僕等は僕等を鮮やかに生き、そうして鮮やかに死ぬために、生きる以外には、ないのではないか?
僕等が他者を裁く(それは批評であっても同じである)時、自身が既に裁かれているか若しくは自身も同時に裁かれているという前提を忘れてはならない。そうして、裁くべき自身が既にして死刑に値するという結論に達しない者は、本質に於いて他者を裁くことは、できない。それが倫理と言うものである。而して倫理は、僕等の手の届かないところにある。その絶望的に覚悟された認識から始めない限り、バイオ・エシックスなど、ありはしない。
なぜこれほど世界はつまらないのだろう
誰が世界をつまらなくしているのだろう
分かっているのに誰も彼を名指さない
誰かが鈴を付けるのを待ちながら不平を言うのは
きっとその根源的な悪であると自分が思っている誰か以上に下劣な存在なのではないか
僕は僕に覚悟を求めねばならない
僕は僕を救助するために僕自身に覚悟を求めねばならない時にきている気がする
芥川龍之介「疑惑」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。僕はこの作品を20の時に読んだきりであるが、鮮明な記憶がある。それはこの作品を読んだ時、「ああ、これは、僕だ」という奇妙な既視感(デジャヴ)を持ったからである。夢の中で? そうかもしれない。そこで僕は中村玄道自身であった。僕にはモノクロームの映像の中に下敷きの小夜が見えた。火の粉だけがカラーだった……。
教え子の一人が昨日、芥川では「疑惑」が好きですと言って来たので、急遽テクスト化した。君に贈る。
先日、不平を洩らしたが、耐え難い左耳の耳鳴りの中で、それでもやりたいこと三つは、御覧の通り、やり遂げた。それも毎日、半日は仕事を片付けながら。明日は、一つ、芥川龍之介をアップしよう。それで、僕のGWなるものの憂鬱は、完成だ。
田中純の小説「二本のステッキ」(昭和31(1956)年2月「小説新潮」所載)は、冒頭に山田芳子と思われる山口靖子という人物から、彼女の母(=佐野花子)が綴った芥川龍之介についての手記(ノート)を託された田中自身の前書部分を経て、その手記を簡略化して記したという一人称告白体(小説の最後まで山口靖子の母であるSさんの妻の一人称)部分から構成されている。これはもう、芥川龍之介の実名を挙げた実録物の趣である。読む者は誰もが、ここに書かれたことを基本的には事実であると思うであろう。
僕が問題にしたい箇所は、実はその前書部分にある。そこで、手記を託した山口靖子の手紙の文意をまとめるという体で、例の芥川の「佐野さん」事件を暗示させながら(勿論、告白体後文で手記の中に採録)芥川龍之介の突然の絶交について書いた最後の下りである。
『……殊にあれほど芥川を信じ愛した母は、その理由が全く分からないだけに一層苦しんでいたようで、最近まで一人娘である彼女に、
「どうして芥川さんは私たちにあんなことをなすつたのだろうねえ。」
と言つて嘆いていた。この母は、昨年の春、老いのために廃人同様の身となつたし、父もまた数十年前に世を去っている。もちろん芥川も自ら生命を絶つた今日では、その理由を確かめるてだては全くなくなっているけれども、ただ一つ、母がその晩年に書き遺して置いたノートがあり、これは芥川と父母との交遊の様子を相當くわしく書いている。このノートを讀んでも、どうして芥川が父母に對してあんな仕打ちをしたのか、その理由が自分たちには判らないけれども、その頃の芥川と親しい交遊があり、且また文學者の心理にも通じている筈の貴下は、このノートによつて何かの解釋を得られるかもしれない。もし何かの結論を得られたら、母の最後の平和のためにも、それを知らせてほしい。そうした願いをこめて、右のノートや、その頃の父母の寫眞などを送るからよろしく頼む。
手紙の文意は大體右のようなもので、(以下略)』
ここで田中は山口の手紙の内容という形で「この母は、昨年の春、老いのために廃人同様の身となつた」としているのである。だめ押しに「晩年」とさえ言っている。これは、僕には驚天動地だ。何故なら、佐野花子は「芥川龍之介の思い出」の末尾で、こう記しているからである。「月光の女」の文壇の詮索が著名女性にばかり向けられて、佐野花子自身に全く向いてこないことに苛立ち、
『私は自分でもこういうことに気づきまして病人になりましてから、ノートに覚えていることを書きはじめました。小説の形にしてまず書き残してもみました。また、文壇で問題にしている『或阿呆の一生』の中の四人の女性を私であるとも仮定して断定的な口調で書いても見ました。または、手当たりしだいの紙片に覚え書きを記しました。娘の耳にも語り聞かせました。病いは既に治りそうもなく先も長いとは思えず、書いたものは、ちぐはぐであるようです。私の言いたいことは一貫して頭の中にあるのですが、死後それはどのように語り伝えられて行くのでしょう。
もっとも私は私の所持しているこの話題を田中純氏によって小説化されたことがございます。氏は「二本のステッキ」という題で、昭和三十一年二月『小説新潮』誌上に発表され、芥川の「知られざる一面」として興味を呼びました。』
そうして、その後には、同誌三月号の「二本のステッキ」評である十返肇氏の「芥川への疑惑」を恐らくほとんど引用しつつ、自分が何故この「芥川龍之介の思い出」を遺すこととしたかの思いを、再度訴えて、「芥川龍之介の思い出」の末尾は自作定型詩の前に「永の眠りも遠からぬことと思います。」で結ばれている。
佐野花子は昭和36(1961)年8月26日、66歳で亡くなっている。
佐野花子は何故「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的な言辞を受け入れているのか。そもそも。この叙述から佐野花子は「二本のステッキ」を少なくともしっかりした見当識のある中で読み、またその次号に載った評論も理解し、後に(同作品の発表から彼女の死去までは5年ある)それらを自作の「芥川龍之介の思い出」の末尾に自身の記述の素材として組み入れることも出来たということである。それは「廃人同様の身」では、できない。いや、自身が「月光の女」であることを自認し、それが世間に知られないことへの焦燥を隠さず、また「澄江堂遺珠」の女性暗示を自分自身に引き付けないではいられなかった彼女が、何故、「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的虚偽を問題にしないのか。
それが小説だから? そうではない。「二本のステッキ」の告白体部分は、客観的に見れば現行の佐野花子「芥川龍之介の思い出」の出来の悪い覗き見趣味の圧縮版である。
田中純自身は前書で「その追憶の甘さ、叙述のくだくだしさとははじめのうち多少私を退屈させた」とあるが、彼の小説の方が臨場感も山場もぶつ切りで退屈である。何より、この小説は、山口靖子の求めたような「どうして芥川が父母に對してあんな仕打ちをしたのか、その理由が自分たちには判らないけれども、その頃の芥川と親しい交遊があり、且また文學者の心理にも通じている筈の」田中純によって、「何かの解釋を」、少しも下されてはいないという点である。これは、告白体の直前で田中がいくら「從つてこの一篇の文章は全部作者たる私にあることを斷つて置く」と言っても、それはほとんど無効なのだ。これは佐野花子にとって『佐野花子の告白』なのである。
佐野花子は、先の引用に示したように、かつてこの「芥川龍之介の思い出」のプロトタイプである「芥川樣の思い出」(写真版で見る原ノートの題名)を『小説の形にしてまず書き残してもみ』たと述べている。田中の手に渡ったのは、そうした小説化されたもの、もしくはそれも含んだもろもろの覚書(そこには小説的虚構の覚書さえも含まれる)であったと思われる。それが、彼女の思い通りのストーリーで田中純によってさらに虚構化されたのである。ところが、それは前書を無視すれば、佐野花子の私小説そのものなのである。
結論を言おう。この「二本のステッキ」を佐野花子は『小説』として読んでいない。
佐野花子の原小説「芥川樣の思い出」→田中純「二本のステッキ」→抽出された「二本のステッキ」内の佐野花子『芥川樣の思い出』→佐野花子の体験錯誤→佐野花子によって実録として認識された佐野花子「芥川龍之介の思い出」
へと至り、それが強固に彼女の意識に定着してしまったのであると僕は思う。
そこに、彼女の晩年の病気なるものがどのように関与しているかについて、僕には病跡学的な興味はあるが、作家ではない一般人の彼女に対してこれ以上の詮索を行うことは失礼であろう。
序でながら、今回、そのような悪意(彼女にとって真実であることを真実でないと言う以上、悪意と言い得る)の目で見た時、「芥川龍之介の思い出」の中に現われる(勿論、これは「二本のステッキ」にも現われる)「谷崎潤一郎との論争」で「ヘトヘトに疲れちゃった」という芥川龍之介というのが気になる。谷崎との交流は大正6(1917)年7月に佐藤春夫らと谷崎邸を訪問して以降のことである。急激に親しくなったことは、10月に谷崎自身が芥川龍之介の田端邸を訪問していることからも分かるが、翌年2月には文と結婚しており、これを境として、芥川と佐野夫妻と関係はとっくに疎遠になっている。谷崎との『論争』といえば、有名な「文学的な、余りに文学的な」であるが、これは昭和2(1927)年のことである。
さて、この部分を記した「二本のステッキ」の書評十返肇氏の「芥川への疑惑」は、『「二本のステッキ」のなかに、谷崎と論争して、芥川がヘトヘトになったことが書いてある。そして『谷崎は偉い。僕をこんなにヘトヘトにするのだから』と芥川がいうところが、芥川の本音であろう。』(これは原文に当たっていない。佐野花子の「芥川龍之介の思い出」からの孫引きである)と記すのだが(厳密には「二本のステッキ」では『しかし谷崎というやつはえらい奴ですよ。僕をこんなに參らせるんですからね。』である)である。ところが、これに相当する、芥川龍之介の谷崎評は佐野花子の「芥川龍之介の思い出」には、ないのである。且つ、佐野花子がこの「谷崎潤一郎との論争」で「ヘトヘトに疲れちゃった」という芥川龍之介を回想するのは文との結婚話が表面化する以前に配されている(「二本のステッキ」も同様)。
何が言いたいかお分かり戴けると思う。十返の認識する論争とは「文学的な、余りに文学的な」を意味している。それは、おかしいのである。勿論、出逢った当初から粘着質の谷崎を実際には苦手とし、「論争」はあったに違いない。しかし、この佐野・田中・十返の言っているのは、どう考えても「文学的な、余りに文学的な」を中心とした文学「論争」ではないか。
僕の至った見解を纏めよう。
幻の芥川龍之介「佐野さん」は存在しない。それは佐野花子の創作中の産物であり、しかし佐野花子はそれを自身の体験した現実と『錯誤したのである』。そのモデル作品は既に考察したように「寒さ」である。
芥川龍之介が海軍機関学校からの抗議を受けたかもしれないこと、それへの謝罪のために訪れたかもしれないことは、保吉物の他作品から先の論考で見た通り、在り得ないことではない。
従って、「芥川龍之介の思い出」の「佐野さん」に纏わるシークエンス全体が妄想であるとは僕は思っていない。
最後に一言。僕はかつてブログで佐野花子の容貌について「芥川龍之介の思い出」の見開き写真について「彼女は、恐らく、芥川に関わった女性たちの中でも、超弩級の美形である(御覧になりたければ、著作権上の問題があるので、私的に添付ファイルでお示ししよう)。」とまで書いた。冒頭前書で、田中純は妻に山口靖子の手紙に同封された写真を見せる。
「綺麗な人じアないか。」
私はそばにいる妻に寫眞を示した。
「ほんと。」
と、妻も、もう少し黄色を帶びて來ている古い寫眞に見入つて、「とてもゆたかな感じの人じアないの。」
「クラシカルだけど利巧そうだし、好い感じだね。」
「これが芥川さんの戀人?」
「さア、ノートを讀んでみなければ判らないが……」
……僕は、今、現在でも、佐野花子が芥川龍之介にとって忘れ難き「月光の女」の大切な一人であると確信している。そうして、今も、私の中で、彼女は、美しい……
関連やぶちゃんブログ:
■月光の女
公開していた西尾正「骸骨」の底本は、双葉社昭和51(1976)年刊の鮎川哲也編「怪奇探偵小説集」正編を用いたものであったが、その後、より厳密な校訂と思われる論創社2007年刊の横井司解題「西尾正探偵小説選」を入手したので、そちらを新底本として再校訂を行った。実際に原底本と新底本では、ルビのあるなし・ルビの表記の違い・送り仮名等、極端に異なっている。最大の驚きは副題の存在である。正しくは「骸骨 AN EXTRAVAGANZA」でなくてはならなかったのだ。30年前の恋人に逢ったような新鮮さだった。注やスタイルにも一応、凝ってみた。僕のテクストの中では、かなりしっかりしたものとなったと秘かに自負している。未読の方にも、既読の方にもお薦めできる。但し、救いのない作品だけれど。本作中の未だ見ぬ謎の『シレエヌのヴェニコス像』の情報も、よろしく!