ノース2号はダンカンの夢を見るか?――ノース2号試論のための初期化注釈
ノース2号はダンカンの夢を見るか? 答えは鮮やかにYESである。
1 神は人間の自然への畏敬が創り上げたものである
1.1 ロボットの人工知能は人間の傲慢が創り上げたものである
1.1.2 畏敬も傲慢も人知の栄誉であり限界である
1.2 神とロボットは相同した人工物である
2 神は全知であると人は既定する
3 従ってロボットは人の夢を共有し得る
4 人間の神経単位の伝達はパルスである
4.1 感情とはパルスの偏差である
5 人工知能としてのロボットの伝達系はパルスである
6 従って人間の感情はロボットに共有される
ノース2号に感情共有禁止命令が書き込まれない限りにおいて、ノース2号はダンカンを愛する。但し、私の謂いは、アシモフのロボット三原則を否定した上に成り立つ。アシモフの以下の三原則はそれ自体が、ロボットを差別化し限定する矛盾に満ちた政治的社会的糞倫理に過ぎないからである。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。但し、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条及び第二条に反する虞れのない限りに於いて、自己を守らなければならない。
以下、本則への私の各条反論を示す。
第一条の「危害」の示すものは、法用語上、肉体的な危害に留まらず、当然、精神的危害(パワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメント)を含む。しかし我々は他者を理解し愛する上に於いて、それ自体が「危害」となり、または「危害である」と他者によってみなされるような行為や事態を惹起することを避けられないものである。また、ここで言う「不作為犯」の認知範囲はロボットの認知限界を超えて適応される可能性が高く(人はそのような危急時にロボットは万能だと思いたがるが故に)、それだけでも条文整理が出来ているとは思われない。従って、この条文は法的に不全である。
第二条の極めて厳格化された「服従」からは、我々の大多数が是とする自然な愛情表現はすべて拒絶されるものである。そもそも、第一条に反する場合との反則的細目を、アシモフは、実は想定していないと私は思う(少なくともそのような判例が提示されたものを見たことが全くない)。従って、この条文は法的に極めて不全である。
第三条のこのような前ニ項による限定拘束は、ここで言うロボットの「自己」という言辞の示す内容を最早、無化させるもの、即ち、ロボットに自己はないことを示唆するため、この条文内論理矛盾を引き起こす。従って、この条文は論理的に(従って法的に)全く無効である。
ノース2号は、あなたの知らないダンカンの論理データに加えて、ダンカンを「愛する」感情を持つのである(それはロボットとしてロボットを殺戮した苦しみのすべてを一つ残らず完全に相同に比喩ではなくダイレクトにダンカンの人間としての苦悩に投射するからである。こんなに鮮やかに「投射」という心理学用語を使えるのは、逆にロボット故であると皮肉にも言える)。確実に、ノース2号は、あなたより、ダンカンの心の痛みを、知っている。ノース2号はダンカンの母に次いで、いや、ダンカンの母以上に、ダンカンを愛していると言ってよい。ダンカンはだから、その最終コマに於いて、ノース2号をダンカン自身の子と見なすのである、と私は読むのである。
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……ノース2号論を書く約束を、2年も前に教え子とした。それを書こうと、今、久し振りに再読した。最後に僕が泣いたのは、いつだっただろう……そうして、今、涙が、止まらない……
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