山田麻李安「羅漢」
白川幸司監督『SPICA』・井川広太郎監督『東京失格』・福島拓哉監督『days of』等の映画作品にプロデュース・スタッフやスチールカメラマンとして参加する経歴を持つ、自在彷徨変幻不審のアーティスト山田麻李安の撮った羅漢の写真。
僕は石仏写真には大学生の時から凝っていたから、一家言あるつもりでいた……が、この大人になることを何処かで拒否しているような少女の写真に、しかし、美事に負けた。やっぱり僕等は僕等の天性の才能の有無をわきまえねばならぬ。この石の質感と、ピントの絶妙、表情を捉える微妙な角度やフレーミングは、分かる奴にしか、分からないんだ。
……時に、僕はこの写真を見た時に、この羅漢は「女」だと直感」した。そうして切に願って、囁きたいのだ……『女羅漢さん、今度の「創世記」では、あなたの「その肋骨」、決して神さまにお渡しになさるな、ヒトの生物学的奇形の「♂」は世を乱す、基ですぞ』……
さて、麻李安の話。ものの記述によれば「意思をもつもの」をテーマに活動中と、ある。不相変、ヒトを食ったことをしておるわい……
……そう、蛇足ついでに僕の教え子なのだ……さらに百足ついでに僕が書いたミクシイの彼女についての紹介文は
「緑なす丘に佇むダリ風のグラディーヴァ または
恋愛感情を示す机上の二つのフランスパンを颯爽とした消防士の姿で火炎放射器によって荼毘に付す女神 または
(1)見返り美人、(2)アドレナリン が与えられたとせよ または
『第三の男』のアリダ・ヴァリの如くラストシーンで向うからこちらにフレームアウトする遂に見失う永遠の恋人……」
というくだくだしい、言うも無残退屈似非衒学アート言語で記載したものだったが[やぶちゃん注:この紹介文の各単語をすべて注釈すると現代芸術の安っぽ総観図が出来るようになっている。]、それに対する彼女の返歌としての僕を紹介した文章は――教師である僕にとって、シビレビレビレ慄っとするほど(!)素敵な――あの一緒に修学旅行で行った沖繩の言葉で言えば――僕の、命どぅ宝(ぬちどぅたから)!
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関係:人格形成に関わった最愛の師
白々しいまでに明るいわたくしの高校生活に、鋭く甘い闇をもたらした愛すべき偏屈教師。
あの教室で私達がしていたこと
それは、教育と言う名の交接であった。