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2007/07/29

僕の絵 ロバ君 1962年8月29日

Roba ロバ君

小学校1年(昭和37=1962年)の夏休みの絵の宿題であろうと思われる(厭なことは早く終わらせるが今の僕のモットーなのだが――それは「僕の人生」そのものさえ例外ではない――そんな僕でもやっぱり普通に尻に火がついてから宿題をこなすことがあったのだなあ)。

それにしても僕「的」には結構気に入っている。右上のレンブラントみたようなサイン(?)がイカしてる、じゃないか。では、ダメ押しだ、随分、ごきげんよう。

八ヶ岳へ

地上の喧騒と慄とする「飴のように伸びた蒼ざめた時間」を離れるのも精神の健康には極めてよい。しっかり還ってこよう(僕が生きて還らないということは子供たちの身が危険と言うことにつながり、それはあってはならないから)。では、また。1日まで、随分、ごきげんよう。

2007/07/27

ブログ「60000アクセス」にリンク追加

7月21日のブログ「60000アクセス」のブログ・ページ・ランキングが如何にも不親切だったので、リンクをそれぞれに附け、一部付記を追加した。保護者面談が終了、明後日未明に八ヶ岳へ旅立つ。

2007/07/26

1964年7月26日の僕の絵日記 43年前の今日 または 忘れ得ぬ人々17 エル

Turi 七月二十六日

ぼくは、おとうさんとさかなつりにいった。はじめは、おとうさんが、いつっぱいつれていたが、ぼくの方もつれてきた。春は、くちぼそがたくさんいたが、いまは水がきたなくてあまりいませんでした。エルもいけにつれてい〔っ〕たので、おちや、しないかとしんぱいしました。

この池は裏山の農業用水の溜池で、そこから西へずっと藤が丘の方まで谷間に田圃が続いていた。その池には、ウシガエル(春には子供の拳程もあるオタマジャクシが何十匹も黒々とした巨大なオタマジャクシの形の塊になって泳いでいたものだった)やアメリカザリガニ(大きなものを僕らはマッカチとかマッカチンと呼んでいた)、タニシにカワニナ、カワエビ、そうして日記にあるモッゴ(クチボソ)やメダカが沢山いた。春は母と池の端でノビルやセリを摘んだ。時には、刺青をした玄人ぽい人が不思議な真直ぐの釣竿で、天然のウナギを池から流れ出ている小川で探っていた。――

もう一つ、この日記には、懐かしい僕の古い家族が出てくる(心から残念なことに僕はそれをこの絵の中には描いていないのだが)。柴犬の雑種のエルである――前年の秋に、近所のお姉さんから貰った。当時はうるうさくなかったので、夜になると、鎖を外して放し飼いにしていたのだが、新聞屋さんの話によると、3キロも離れた大船の市街にまで遠征して、野良犬どもを総括する大将になって、北鎌倉の野良犬連を撃ち滅ぼす大変な勢いだったらしい。耳のピンと立った凛々しいスマートなエル――エルという名は、一年生の時の国語の教科書のエッセイに登場する(それは白いスピッツの挿絵だったが)犬の名をとったのだった。……そのエルも、この翌年の梅雨時、車にはねられて数日後の雨の降る朝、小屋の外で、毅然と(それは「毅然と」という言葉が本当に相応しいものだった)冷たくなっていた。母と父がその裏山の池の近くの、雑木林の中に埋葬した。僕は、泣いて学校を休んだのを覚えている……

……その池も田圃も雑木林も、今は、もうすべて広大な住宅地の下に消えた。……僕は、時々、そのエルを埋葬した辺りにアリスを散歩させる。そうして、「エル……」と名を呼んでみる……すると耳がすっかり垂れているアリスは怪訝な顔する……すると、その向うを、颯爽と走ってゆく、一匹の柴犬の幻影を僕は、決まって見るのである……

Eru_4

Watauti_2

2007/07/25

1964年7月29日の僕の絵日記

Edamame 7月29日

 

 

ぼくは、本を、よんでいたら、おかあさんが、「まめちぎりをしてちょうだい」といったので、本をかたずけて、まめちぎりをはじめました。とちゅうまめのけがついて足が、チカチカしました。ぼくが、「まめちぎりは、らくじゃないな」といいますと、「しごとは、なんでもたいへんなのよ」とおかあさんが、いいました。おわり。

僕は今でも、自身の自立的な欲求に反して仕事をし、疲れた時、この小学2年生の時の、足の辺りの「チカチカ」した感じが、鮮やかにフラッシュバックする……そうして、成程、母の言葉は、真実であったと思うのである……それにしても、あの頃の枝豆は、針のように豆の皮の繊毛が痛かった……今は、俎でこそぐまでもなく脆弱だ……それだけしっかりした豆の噛んだ硬さも、今は、失われた気がするのである……失われたのは、枝豆の毛の鋭さだけでは、ない……

追伸:あの頃も今も、僕は絵が下手である。そうして、何より、人の眼を描くのが、いやだった。眼は描きたくない、いや、見たくないのだ……

2007/07/23

ART OF FINS

070720_15500001070720_15500003_1 君の鰭に乾杯!

(ある教え子の女性の「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚 河豚」電子テクスト化への御祝の写真より)

2007/07/22

松江連句 注 強力追加

先の「松江一中20期WEB同窓会・別館」を運営されている知人の重要な情報提供によって「松江連句」に注を大幅に追加した。朧であった「松江連句」が俄然、現実的な風景を伴って見えてきた。――そうしてそこに確かに、心から許しあったプエル・エテルヌスとしての芥川と井川の二人の姿が見えてくる。

1964年8月15日の僕の絵日記 または 忘れ得ぬ人々16 白雲庵の老妻

Haka 前の花火は、余りに母の姿がひどい。僕の母は、あのようではない……かつて母が大船に買い物に行き、笠智衆とすれ違った。映画好きの母は、じっと見るのも気が引け、時々、ちょと彼の方に目を向けたそうだ。笠さんはあの、映画そのままに、何故か母の顔を、さも吃驚したように凝っと(ずっと凝っと、である)眺めながら、すれ違ったそうだ。そうして母が振り返ってみると、笠さんも立ち止まって母の方を見、母がお辞儀をすると、笠さんも深々とお辞儀をしたという……何故、笠さんは、吃驚した表情で見ていたか、見ず知らずの母に深々とお辞儀をしたか……僕には分かる。子馬鹿と言われてもよいが、若い時の母は、確かに原節子に似ていた……

8月15日 てんき はれ

 おはかまいり

ぼくはおじいちゃんの、おはかまいえ〔衍字〕りにいきました。そのときは、まえ、おかしをくれたおてらのおばあちゃんがしんだので、おそうしきをやっているところでした。ぼくとおかあさんは、おはかをあらって、おりがみのかめやうさぎを、そなえ、おはなや、おせんこうもそなえました。

私の父方の墓は円覚寺の塔頭(たっちゅう)白雲庵にある。この時は、まだ祖父だけが墓に入っていた(祖父は父が幼少の時に結核で知多半島の河和で亡くなっている。火力発電所のタービンを設計した花形の技師であった)。

……文中に現われる「おばあちゃん」は当時の住職の奥さんである。この子のない住職の老夫婦は、よく僕を可愛がってくれた。この前の年の冬か、早春であったと思うが、やはり墓参りに訪れた際、母が住職と話をしているうちに、その老妻が僕に飛び切り大きなどら焼きを持ってきてくれたのだった。どこのものかは流石に覚えていないが、暗い部屋の閉めた障子に風に揺れる竹の影を見ながら(だから前年の夏ではないと思う)、それを頬ばった至福の時が蘇るのだ――それ以来、和菓子の苦手な僕は、唯一、どら焼きにだけは目がないのである――

……僕は、あのハレーションを起こすような暑い夏の白雲庵の葬儀の様子も、不思議に忘れることが出来ない。それは僕の記憶の中にある、初めての見知った人の葬儀であったからでもあり、その糞暑い中に慄っとする真っ黒な服に身を包んだ見知らぬ人々の群れに恐怖したからでもあるかも知れない。ただ確かに言えることは、何より僕が、永遠にあの笑顔の素敵なおばあちゃんから、あの、大きなどら焼きを貰うことがないのだ、という当り前の事実を知って、打算的ながら奇妙な哀しみを覚えたからであったに違いないということである……

ちなみに当時(小学校2年生)の担任の東塚徹先生の最後のコメント「きっとおばあちゃんは、よろこんでいらっしゃるでしょう。」は、墓の主を取り違えていると思われる。しかし、考えてみれば、僕はその「おばあちゃん」に、その場で「打算的ながら奇妙な哀しみを覚え」ていたとすれば……無数の黒服の人々よりは、幾分か、亡きその「おばあちゃん」への供養となったのだとも思えるのである……

2007/07/21

60000アクセス

本日PM6:30頃、本ブログへのアクセス数が60000(但し、2006年5月18日解析開始以降)を越えた。骨折2周忌の今日、新たな石灰沈着性腱板炎という新しい仲間も加わり、実に心身ともにバラエティーに富んでぼろぼろですが、さても文字通り粉骨砕身、何より自分のエクスタシーのために、頑張ろう!

累計アクセス数: 60079   1日当たりの平均: 139.72

たまには皆さん人気のランキングも公開しよう(但し、面倒なので対象は自動検出している過去4ヶ月分) 。

☆ページアクセス・ランキング(ブログ全体・マイフォト全体・各カテゴリを除く)

1 Blog鬼火~日々の迷走: 末法燈明記 訓読開始

※これは始めた時のつまんない短信であり(分かってると思うけど、ちゃんと完成してるからね!)、是非ともリキが入った『「末法燈明記」は偽書にあらず』の方を読んでもらいたい。

2 Blog鬼火~日々の迷走: 芥川龍之介の出生の秘密

※この内容については後日、自身、最近軌道修正を施している。

3 Blog鬼火~日々の迷走: 寺島良安「和漢三才圖會 巻第四十七 介貝部」

※これも完成してるんだよ!

4 Blog鬼火~日々の迷走: 梶井基次郎「檸檬」授業ノート

梶井基次郎「檸檬」授業ノートはこちら。

5 Pierre Bonnard Histoires Naturelles: 蛇   Le Sepent 又は やまかがし   La Couleuvre

※なんでか、これがずっと僕のページのボナールのロングセラー。

6 Blog鬼火~日々の迷走: 尾崎放哉句鑑賞

※これは実は、僕の卒論の句鑑賞の抜粋。

7 Blog鬼火~日々の迷走: 宮澤トシについての忌々しき誤謬

※何より読んで頂きたい小文。

8 Blog鬼火~日々の迷走: ロストロポーヴィッチ追悼

※カザルスの遺髪を唯一継いだ「バッハの」セロ弾き。

9 Blog鬼火~日々の迷走: 僕の兄は静岡空港建設反対に殉じた

※今年の、いや、生涯の衝撃。

10 Blog鬼火~日々の迷走: 芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章

※この最後には、お読み頂きたい僕の芥川龍之介「佐野さん」関連のブログリンクがある。

★検索ワード/フレーズ・ランキング

1 鬼火 日々の迷走
2 やまかがし
3 鬼火 やぶちゃん
4 イルカンジ
5 井上英作
6 富永太郎
7 やぶちゃん 鬼火
8 アフリカの月
9 鈴木しづ子
9 キロネックス
9 やぶちゃん 芥川

4のイルカンジと9のキロネックスはこのところの特異点だが、TV「アンビリバボ-」で放映されたからだ。でも、僕の去年の叙述は、間違ってないだろ? 僕のカテゴリ「海岸動物」でまとめてご覧あれ!

智の増殖!

「松江一中20期WEB同窓会・別館」様から、「松江連句」(「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」所収)についてのご指摘を頂いた。特に後者には手が震えた(痛みのせいではない)。早速に、肩の痛みも忘れて改訂した。

〔丶〕 馬頭初めて見るや馬潟(まがた)の芥子の花  阿

[やぶちゃん注:「馬潟」の読みについて「松江一中20期WEB同窓会・別館」を運営されている知人から、「まかた」と読むのが現地では一般的と伺った。このルビは芥川が附けたものと思われ、濁音よりも清音が本来である日本語から言っても正しくは、「まかた」であると注記しておきたい。]

        直山

〔○〕 蕨など燒く直山の煙火かな          井

[やぶちゃん注:当初私は無批判に、この「直山」は、石見銀山の産地であった御直山(おじきやま)と呼ばれた代官所直営の操業地のことを言うか、等と言う好い加減な注を附していた(石見銀山では場所が合わない!)。その後、この「直山」について、極めて大切な情報を入手した。「松江一中20期WEB同窓会・別館」を運営されている知人からの指摘である。以下にそのメールの一部を引用する。

これは「眞山」のことではないでしょうか? 少し後に、「再 眞山」、さらに「三度 眞山」とありますが、それ以前には「眞山」がなく、この「直山」しかないようです。眞山は松江の市街地の北側にあって、市民に親しまれている山です(私は登ったことがないのですが……)。井川と芥川も登っています(『翡翠記』57ページ)。また、「定福寺」と「三度 眞山」に出てくる定福寺やそこの梵妻の話も『翡翠記』の同じ場所に出てきます。

気がつかなかった! 一応、私のタイプミスかもしれないと思い確認してみたが、岩波版新全集は確かに「直山」としており、他はすべて「真山」である(私のポリシーで旧字に変換してあるが)。これは間違いなく芥川か井川の「真山」の誤記もしくは新全集編集上の誤植である。井川が出身地の地名を誤記することは考えにくいから、誤記(または誤転写)したのは芥川龍之介である可能性が高い。更に言えば、本作が山梨県立文学館所蔵の原稿から起こされたものである以上、旧字の「眞」と「直」の類似性からも新全集編者の判読ミスも充分ありうると思われる。言わば、最新の岩波版新全集の校訂を、この知人と私はやったことになる。快哉!]

最後の一文で僕の感謝と喜びを分かって頂けると思う。僕のこの地味で非力な作業でも、誰かが、きっとふと立ち止まって、見てくれるんだな……そうしてそこから、智は、鮮やかに僕らを越えてやすやすと増殖してゆくのだ!

ちなみに、最初の芥川の句の「馬頭」は「めづ」と読ませている。馬頭観音と思われる。また、後の井川の句の「眞山」は「新山」とも書き、「しんやま」と読むようだ。

なお、「松江一中20期WEB同窓会・別館」様はそのリンク集「あっ、みっけ~~」にも、僕の「鬼火」をリンクして下さった。このサイト、松江に関心のある方なら、きっと面白いと思う。セピア色の写真を見るだけでも、僕なんか、うるうるきてしまうのだ。

厄日 石灰沈着性腱板炎

この三日間で、右肩の飛び出した部分が激しく痛むようになった。ついさっき整形外科を受診した。レントゲンを撮ると、肩甲骨と鎖骨の間に粒状の白い塊があった。カルシウムの塊だという。それを溶解する注射(恐らく肩峰下滑液包内注射と呼ばれるステロイド剤か)を打った。医師は病名を言わなかったが、デュプレー病または石灰沈着性腱板炎というやつだ(こんな病名じゃ言うと普通の人は余程の難病と思うだろうな。病名の付け方もセンスがいるな)。

「石灰沈着性腱板炎とは腱板の周辺に石灰物が沈着し、腱板や滑液包が炎症を起こして肩関節に痛みと運動制限を引き起こす疾患です。腱板は大結節に付着している棘上筋・棘下筋・小円筋と、小結節に付着している肩甲下筋の四つの筋腱より構成されています。

石灰沈着性腱板炎は外来で頻繁に見られる疾患です。40~50歳代の女性に多く、突然、誘因なく、激しい肩の痛みを訴えて受診されます。患者さんは痛みのために肩と腕を全く動かそうとはいたしません。腕を胸に固定した状態で苦悶顔で来られます。そのため一見して石灰沈着性腱板炎と予測診断されます。確定診断はレントゲン検査にて腱板周辺に石灰物が確認できれば容易です。」(整形外科のサイトより)

要するに50肩の一症例ということらしい(原因は何だかんだ書いてあるが不明というところ。加齢による老化現象だ)。

それにしても、右橈骨遠位端骨折から丁度2年目の今日、またしても……医者も痛い注射を打ちながら「厄日ですね」と笑いながら言った……痛! 何でもいいが、一週間後の八ヶ岳山行は「大丈夫でしょう」と言ってくれたので、ほっとした。子供たちの楽しみは奪うのだけは避けたかったから。

2007/07/20

松江一中20期WEB同窓会・別館

「僕との因縁のサイト」に「やぶちゃん版芥川龍之介句集」をリンク(旧制松江高校のドイツ語講師であったフリッツ・カルシュ博士の物語のページに、井川恭との縁で松江を訪れた芥川龍之介の句のリンクとして)して下さった「松江一中20期WEB同窓会・別館」を追加した。

今までこのようにリンクしたことを正式に通知してくれたのは、こちらが初めて。そもそも私はよくある「リンクフリー」とか「リンクはトップページのみ」とか「リンクしたことを必ずご連絡下さい」とか言うのは、不遜なことだと思っている。不特定多数に読まれることを前提としたネット世界にあってリンク制限など笑止千万――しかし、こうしてちゃんと通知をもらうのは、やはり嬉しいものだ。そうして、そこから「智」の連携は確実に拡大する。思わぬ出会いもあろう。嬉しい限りだ。

じゃあ、な《正答》

二人ほど挑戦したが、無理だったな。松本清張の「砂の器」だ。

2007/07/19

じゃあ、な

お前はこの道を真直ぐ行けよ、俺は、ちょいと曲って寄り道して、トリスバーで、ハイボールを飲んでいく……後は無慙な轢死体になるか知れん……でも、それが、俺の、選んだ道なんだ。あばよ!

(注:トリスバー……ハイボール……轢死体……の連想を見破ったあなたには、僕から何かプレゼントをしよう。さて、誰の何と言う作品か、な? よっぽどの「彼」のフリークでないとこれは見破れまい。調べるのは、ナシだぜ……ふふふ♪ 締め切りは本日の24時だ、いや、やばいな、結構、当たりそうなヒントを出しすぎた、ぜ――だからじゃないけど、ハイボールが何かも知らない奴とは、語らないぜ!)

Charles Mingus Sextet with Eric Dolphy

“Charles Mingus Sextet with Eric Dolphy CORNELL 1964”(TOCJ-66385-86)

大変なものが出たなって感じだぜ! ディスコグラフィにない(!)、しかも、この音質の良さ! ドルフィーのバスクラの冴! 何より、ミンガス・ワークショップの演奏にしては、とんでもなくスウィングしてるんだ! 苦手な「フェイバース知事の寓話」を音楽的退屈なしに聴けるのは、このアルバムだけ! だって、悪いけど絶妙に演奏会全体が「スウィング」してるんだもん(拍手の絶妙を聴け! コール。アンド・レスポンスのないジャズは、邪図――よこしまな思いの中で何かを図ろうとしている愚劣な輩さ)! ジャッキーのピアノを聴くがいい! これは彼のノリの、稀有な絶好調! それはホンキトンク風に、知らず知らずのうちに僕らを、メロディアの世界にいざなうぞ! だからドルフィーも、激ノリノリ!――ドルフィーは、心がないパフォーマンスはだめなんだ! 心より哲学が勝ったり心より闘争が勝ったり心より理論が勝ったり……幾らでも挙げられる。それはきっとミンガスへと還って行く批判なのだが…… ドルフィーは「謳うこと」が好きだった! 演奏家とは音楽家とは……全て「謳う」ことなしに、何もない……エリック! 万歳! これはもう、エリックを好きなら――買いだ! 何より買いだ! 命令だ! そうしないと……損、するぜ! ふふふ♪

2007/07/16

1964年7月31日の僕の絵日記

Hanabi 昨日、アリスを散歩させながら遠い昔、そこで母と父と三人で花火をしたのを思い出した。今は工場の駐車場になっているが、その頃、遥か丹沢を見晴るかす場所だった……43年も前の……

7月31日

ぼくは、よるになってパパとママとで、わたうちのほうにいって、はなびをしました。はじめはパパがちかくにあったいしのうえでおおきいのをやりました。そのときは、ぼくはとうくでみていると、パパがあげたはなびがひかりました。はなびのなかで、かみの□きつような、サーチライトとゆう花火が一番おもしろく、ぴかぴかひかっていました。かえりに、きりどうしのところでおばけごっこをしました。

[やぶちゃん注:一部に判読不能な部分があり、それは□で示した。自分の字なのに読めないなんて……トホホ。]

[やぶちゃん後日注:教え子が判読してメールをくれた。「かみをきつ〔た〕ような」だ。確かに私も「の」にかぶさるのが「を」に見えたのだが、同じ日記の「を」の字がこれとは違った字体なので躊躇していた。しかし「紙を細く切ったような」という意味でしっくりくる。意味上の確実度は高いな。彼女は往年の「サーチライト」という花火を検索したのだ。まさかそこまで思いつかなかった。ありがとう。名前や花火の図柄……梶井基次郎の「檸檬」を思い出したよ。]

とんでもないひどい絵だ。特に母はまるでお化けだな……この時、父は35歳、母は33歳……これは小学校2年生の夏休みの絵日記である(最後の赤字は当時の担任だった東塚先生のものだ)……でも、僕等の家族にとって一番、幸せだと思えたその一瞬であったのだとも思う……。僕の手元には、幼稚園時代から中学までの多量の絵や詩や作文が残っている(画家志望の父が唯一の今の僕にとって意義あることをしていてくれたと感謝する稀有の事例である)。誰のためでもないが、少しずつそれを公開するのも……やぶちゃん版「三丁目の夕日」染みていて、悪くないな……

鮫 注完成

種同定、同定不能も多いが、それでも超強引力技ハッタリ崩しで形だけは仕上げた。いろいろな方からの助言・疑問、是非、期待している。

鮫 注追加

櫛の歯が抜けているような注は厭なので、とりあえず途中の部分は埋めた。残すは、最後の12種の同定のみ。

太田省吾悼

2メートルを5分で歩くように あなたは冥界へと向かう ブラックホールの前で あなたは誰よりも美事に あなたは誰よりも大胆に その一瞬の時間の引き延ばされた蒼ざめた時間の中を 永遠の中を歩き続ける 僕の生涯の中で感動した数少ない芝居を 「水の駅」を ありがとう

2007/07/15

エデンの東 Julie Harris

Jh アリスを可愛がりに行って母が見ていた「エデンの東」を、結局、最後まで見てしまった。僕は何度、あの作品を見ただろう。20回は下らないんだ。レッドパージの密告者として、理屈では好きになれない監督でも、いいものは、いい。

見始めたのが、またあの観覧車の印象的なシーンから。とんでもない演技をするキャル役のディーンは勿論のこと、実は、僕はアブラ役のジュリー・ハリスが、痺れるくらい大好き! でも、何故だろう? 今日それが判ったよ。小学校5年生の時に好きだった同級生の「洋子」に似ているからだ。50歳の僕が、今更ながら、そんなことに気づいて感銘しているのだった。その「洋子」さんが今、どうしているかも、気にはなるのだけれど、もっと気になるジュリーは? ネットで判る! 87歳になるが、まだ存命であるようだ。

だから、Julie Harris! 「君の瞳に乾杯!」  僕の永遠の恋人へ!

そうして、更に思い出す。僕は大学3年の時に付き合っていた女性から、彼女の妹が「エデンの東」見たいと言うので連れってくれと頼まれた不思議な経験がある(この付き合っていた女性は僕が生まれて初めて結婚しようと思った女性であるのだが)。今以て不思議では、ある。何故、彼女は妹と僕を送り出したのか? ともかく渋谷の小さな映画館に僕はその「彼女の妹」を連れて行った。満員に近かった。彼女をかろうじて空いていた通路脇の椅子に座らせ、僕は、その横の階段に座って見た……

何を言いたいか判るかい? 僕はその瞬間に、少しだけキャルになった気がしたんだよ……

……そうしてその「彼女の妹」と終映後に喫茶店で映画の話や彼女の話やら、一杯話したな(確か彼女と僕の門限の10時位まで)。それは不思議に覚えている。そうしてその中の彼女の言葉も忘れない、『あなたは私のライバルですから』……この言葉はフラッシュバックする。僕の親友(僕の親友少ない。50年間でたった5人を数えるだけである)の妻が、同じ頃ちょっと前に、僕に全く同じ『あなたはライバルです』と手紙を送ってきていたから……

……僕は、どうすれば、よかったのかな? そうして、彼らの謎めいた『ライバル』の意味……誰か、判ったら教えて下さい……

Juliejames  冒頭の写真はこの写真のトリミングだね。これはイメージ・スチールだ。一番、ジュリーが綺麗♡ 「刑事コロンボ」の「別れのワイン」で主人公(ドナルド・プリーゼンス)が殺人の証拠をネタに脅迫され結婚を強要されるオールド・ミスの秘書をやってたのを見た時は、泣いたぜ! 何で、こんな役? 何で、よりによって海坊主プリーゼンス?

*やぶちゃん後注:Donald Pleasenceは個人的には大好き怪優! 「アウターリミッツ」の「人間電池」(これには心理学者役であの「ある愛の詩」の父親役John Marleyまで出てる!)や「ミクロの決死圏」――白血球に溶かされる閉所恐怖症のトラウマ科学者というのははまり過ぎ!――「恐怖の植物人間」……異常者役をやらせれば右に出る者はないね(クリストファー・リー、ピーター・カッシング何するものぞ!)でも、この「別れのワイン」、ドナルドのフィルモグラフィの銘記すべき名作でもあると思う。いいね! あのまさに「味わいのある」エンディング!

「刑事コロンボ 別れのワイン」(原題“Any Old Port in a Storm”)Any_old_port_in_a_storm より

2007/07/13

ノース2号論ノート 練習曲(重大修正)

私はある教え子の指摘から大変な錯誤に気づいた。

Act4-21の137コマ目でノースは「正確ではありませんが、このような…………」と言って『ダンカンの夢の曲』を弾き始めるのだった。それが彼の練習曲なのだ!

これはやはり、あのオリジナルのダンカンの『母の曲』なのだ! 如何なる既成曲でも、あってはならないのだった!

2007/07/10

僕が語りたかったこと 後注

ここに現われた三つの遠い過去の情景の中の女性(その相手はすべて僕の恋する人であった)は、すべて違う女性である。そうして、そんな情景の中に居たことを、最早、あなたは思い出しもできなければ、思い出したくも、多分、ないであろう……これをあなたがたが読むことさえも、僕は想定していないのだから……巣箱……「誓いの休暇」……井の頭公園……僕はしかし、素直にそうしたかった、だけだったのだ……

1975年10月31日 日本記者クラブ主催 昭和天皇公式記者会見

「えー、原子爆弾が、えー、投下されたことに対しては、えー、えー、遺憾には思ってますが、えー、こういう戦争中であることですから、どうも、えー、広島市、市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことであると私は思ってます。」

ノース2号論ノート 教え子の疑問に答える

注:本篇は僕の教え子――それはあの素晴らしい「プルートゥ」を是非読んで見て下さいと言った彼、彼がその一言を言い貸してくれなければ僕は多分「プルートゥ」を読まなかった。そうしてそれは僕の人生にとって悲しいこととなったに違いない――その彼の「ノース2号の巻」へのミクシイでの日記(それは明白に僕への挑戦状であると認識した)に答えた全文である。それにしても、今日の夕刊……さても第1次中央アジア紛争は既に始まったな……

○紹介業者から新しい執事は軍隊出身だとわかっててなぜOKしたかということ

Act4-3でダンカンは「ふん、またどうせろくでもないのをよこしたんだろう。」と言う。彼は恐らく、紹介業者からの執事ロボット(その強い他者不信から人間の執事をダンカンは使わないと確信する)をことごとく解雇してきたことが伺える。所謂、通常の家事ロボット(失礼ながらロビーの奥方のようなタイプの)では最早無理と考えた紹介業者が、渡りに舟のノースをあてがったと考えてよいであろう。経歴から見ても、ノースの求職は極めて異例のものであろうから、紹介業者としてはどこにどうするかを却って困惑していたかもしれない。従って、往年の映画音楽作曲家のプライドを満足させられる、「輝かしい経歴」のロボットを示せば、ダンカンは興味を持つと思ったのであろう(事実、そのような経過を辿る)。他者を嫌悪するダンカンにとっては、執事専用ロボットではなく、軍隊で多くのロボットを殺してきたロボットとして、ある種の露悪的というか、サディスティックな関心が働いたとも言えるであろう。ダンカンの中には、「こゝろ」の先生のように、あらゆる人間への不信がある以上、そこには実は無意識的な殺戮願望があるとも言えるかもしれない。
振返って、まさにノースの執事ロボット志願自体が、作品冒頭の強力な伏線なのだ。彼は、もう戦いたくない。だからこそ、周囲が驚いたであろう、執事というノースの「人生」の選択がある。
なお、その「2号」の体制や機能から見て、想定されるノース「1号」はもともと純然たる戦闘専用ロボットとして開発され、そのバージョンアップが「2号」であると考えてよいであろう(原作で彼が従うのは開発研究者である博士)。

○ダンカンに破壊したロボットの数を聞かれるときダンカンは「数えきれないほどか?」と答えるが、ロボットがそんな曖昧な記憶しかないことはありえない。記憶を消去した可能性もなくはないが「何体のロボットを破壊した?」のセリフの前後でノース2号の顔が同じ表情で黙っていることから記憶(メモリー)を見て計算したに違いない。

その通りである。ノースの記憶素子から消去されている可能性は、ないと言ってよい。人工知能が成長することによって、人間に近づけば近づくほど、「記憶の消去」は不可能になる。僕ら自身を考えてみるがよい。僕らは忘れたい記憶ほど、忘れられないものである。
現実的に考えても、ノース自身に自己の過去の記憶を消去する権利は禁止されていると考えるべきであろう。そのようなものとしてロボットはある。主人(もしくは製作者)が命じるのではなく、恐らく原始的な手動によってのみ、記憶の消去は可能であるように思われる。まさにパソコンや「ターミネーター2」の頭部ハードディスクの初期化のような作業を必要とすると考えてよい。
しかし、ここでそれ以上に、気づかなくてはならないことがある。それはここで既にノースはロボット法第2条に違反しているという点である。ダンカンに聞かれた時、彼は君の言うように、その破壊したロボットの正確な数を答える「義務」があるのである。しかし、彼は黙っている。それは、極めて都合よく(ロボット法的に)考えるならば、第2条の付則部分、“that doesn't conflict with the First Law. ”に関わり、第1条“A robot may not injure a human, or allow a human to be injured. ”が優先するから、と考えるとすれば、実はその時、ノースは正しくダンカンの「心」をとらえているということになってしまう。しかし、そうではあるまい。逆に、第2条に違反するほどに、ノースは人間化している、いや、あの戦場での自身の大量殺戮のおぞましさに、「心」から「人」と同様に「苦悩」していることの暗示であると捉えるべきであろう。

○ダンカンが、この屋敷から出て行け、といったのにもかからわず出て行った(正確には歌の採取)あとに、ダンカンの「本当にでていったのか」のセリフ。人間の矛盾。人工知能の論理矛盾と規則。ノースはもちろん初めからボヘミアへ行くつもりだった。そのとき彼の人工知能は命令違反をしているわけである。
俺はここで人口知能の進化を考える。きっと命令違反したノースの人工知能を調べても正常だろう。
むしろ精工な人工知能ほど正常を保ちつつ、論理矛盾と規則の間から考えを導き出す。それはロボットの進化ではないか。もちろんこの進化は第39次中央アジア紛争後である。

激しくすべてに同意する。あの解雇を命じた時、すでにダンカンのノースへの「愛」が生じている。僕は素直に「愛」であると思うのだ。それは互いが、自己の内的な秘密の苦悩(ダンカンは過去の母へのトラウマ、ノースは第39次中央アジア紛争のトラウマ)の相互開示によって、その「心の孤独者」であることの共有感情である。――万一、それに抵抗があるのであれば、「師弟愛」の萌芽と言ってもよい――その証拠に、ここで初めて純粋にダンカンのノースへ開かれた心が言葉として開示される。Act5-20の「多少はうまくなったようだな」である。そして、その瞬間、ダンカンは無意識的に、ノースがロボットであることを忘れているのである。でなくて、どうして、ダンカンは「本当にでていったのか」と呟くだろう。それは、僕ら「人間」の男女が、愛憎の中でつい本気でない罵倒や拒絶(それは愛の裏返しであることがしばしばある)をし合うのとなんら変わりはないシチュエーションなのである。
そうして、ロボット法はここで、もはやノースを拘束しない。あれは命令違反では、最早、ない。「愛」の対象者となった、それを恐らく未来的に予測した「ノースを愛するであろうダンカンを愛するノース」(それは最後に確かに哀しく実現する)は――最早、ロボットでは、ない、から。
一般論を述べよう。戦争の技術が人類の文明を進化させてきたのとパラレルに、実は戦争のトラウマが人間の倫理を高めてきたのではないか? 倫理とは「心」である。ヤーヴェが自身に似せてアダムを創ったように、人形(ひとがた)に似せたロボットの人工知能が人の心と相同となるのは(それを進化と称してよいかどうかは微妙に留保したいのだが)、歴史的必然なのである。

○ノースの夢:紛争のフラッシュバックについて。なぜメモリーを消去しないのか? 人間の記憶は忘れたいほど残る。夢を見るように何度も見るなら消去という選択肢もあったろう。ただしここで消去していた場合、上で上げた進化は考えられない。

既に答えた。現実的に消去できない。消去する権利を持たない。そうして、君の言う通り、というか、消去していたら、この話は「ない」、のだ。ロボットのノースが人間と同じくトラウマを持ち、悪夢を見る。それがダンカンの孤独な悪夢と共鳴して、壮大な二人の心の交感の交響曲(シンフォニー)となってゆくという「曲想」が、この作品の単一的、シンフォニックな「主題」なのである。

○ノースは言葉を発するとき口を開かない。が、ボヘミアで採取してきた歌をダンカンに聴かせるときにのみ口が開いている。人間のまねごと? しかしダンカンには見えない。そのとき確かに、ノースは歌っている。本物の歌を。伝えているのである。

これは、まさに君の意見を読む直前に、僕も気づいたことである。この作品中、ノースの唇は能面のように一文字に閉じたままである。ところが、君の言う通り、「ボヘミアで採取してきた歌をダンカンに聴かせる」時、Act6-14及び15の412と414コマ目の2コマだけ、ノースの少年のような唇が開き、ボヘミアの歌を詠うのだ。それは、しかし断じて「人間のまねごと」、ではない。それはノースが真に人間になった瞬間、に他ならない。歌(=音楽)は恐らく、人類の最初の芸術である。そうして、それはタルコフスキイが「ノスタルジア」で音楽史家ゴルチャコフに語らせるように、人類の持ち物の中で、唯一、鮮やかに「国境」(=自己と他者の境界)を越えてゆけるものなのである。「そのとき確かに、ノースは歌っている。本物の歌を。伝えているのである。」……いい表現だ。気に入った。

○ノースだけ他の6人と違って世界最高水準という設定がでてこない。ダンカンは知っていたのか? 世界最高水準としての機能もでてこない。逆にわからないところが2人を対等な関係としてみれるのかもしれないな。

過去に僕が述べたように、これは「プルートゥ」の挿話ではない。少なくとも、それを感じさせない。やってくる「脅威」は「プルートゥ」でなくてもよいのだ。従って、世界最高水準である必然性もない。
*但し、第39次中央アジア紛争時にブリテン軍総司令官アンドリュー・ダグラス将軍の執事をしていたという設定や、彼のフラッシュバックに現れる戦闘シーンからは充分、世界最高水準のロボットという印象は与えられていると見てよいであろうし、ダンカンもその経歴からただものではないことを目が不自由であるがゆえに逆に敏感に感じ取っていたであろう。ダンカンがサディスティックにノースの過去を問い詰めるシーンもそのような認識があればこそであろう。

さらに言えば、プルートゥそのものがこの作品では、僕には、我々人類のあらゆる「脅威なるもの」に還元されてみえる。事実、この作品ではそのような脅威=自然の雷鳴の音としてのみプルートゥの襲来が表現されている(プルートゥ自体は全く点としてさえ描かれないことに着目せよ)。ここで、「プルートゥ」という額縁ははずされているのである。あるのは、ダンカンとノースを描いた、未完の、愛すべき哀しいキャンバス画なのである。

○最後のノースの「すぐ戻ります」のセリフ。死期に気づいていた。だからこそ最後に戦いながら音楽としてダンカンのもとへ、記憶のなかへ戻ってきたのだろう。そしてそれに、気づいているダンカンもまた、その音をボヘミアの風景のように本物の歌として記憶する。

素晴らしい! 付け加えるべき言葉を僕は持たない。ここにきて、君の文章は、僕のノース2号論を遥かに超えて、美しく確かに完結している。

*新たな疑問
第39次中央アジア紛争とはどのような戦争として浦沢は設定しているのであろう。Act2-1「ゲジヒトの巻」の冒頭に現れるモンブランについての叙述で「混迷を続けたペルシア王国の治安を回復させた」であるとか「潜伏していたテロリスト」という表現や、ノースの語る履歴の「ブリテン軍」からは何やらアメリカのイラク侵攻やそれを一番に援助したイギリスを思わせる。それにしても第39次は、半端ではないぞ。中東戦争だって25年間で第4次だ。イスラムのファンダメンタリスト(原理主義者)がらみであろうことは想像できるが、その中身が知りたいものだ。

2007/07/09

僕が語りたかったこと

あなたが愛し、あなたが好きな、あらゆる芸術――そうして、あなたが美しいと思う、全て――それは二人で見上げる野鳥の巣箱だったかも知れないし、二人で語るチュフライの「誓いの休暇」の思いだったかも知れないし、二人で語る井の頭公園のゾウの尻尾の話だったのかも――知れない……

ノースの練習曲

教え子との議論の中で、確かなものとして固まった。

ショパンのバラード第1番作品23

だ。そうしてこれは、1と2に使う。フラッシュバックのシーンにも僕は確かにマッチすると確信する。でも……これって、実は、35年来、僕のショパンの最愛の曲なの♡ 一番の演奏はミケランジェリ!

2007/07/08

昨夕、夕食を摂りながら、今年初めて、裏山から微かに蜩の音を聴いた。それは涅槃からの天上の音楽である。ブログの振り返ると書き始めたまさにあの2005年も、ほぼ同じ7月8日の朝に僕は蜩の音を聴いていた。その一致に僕は僕を包んでくれている自然というものの、何か不思議な示唆力を感じた……

2007/07/07

大「有」喰

今日もらった教え子の暑中見舞いがひどく気に入った。その手書きの絵は僕が勝手に命名するところの「このおぞましい現実世界という『無』を喰い尽くす大有喰」だ――

Arikui

河原よ、僕の801番目の新しい一歩のブログに相応しい、いい絵を、ありがとう!

無題

さあ君も僕も戻ればいいのだ

あのお得意の名台詞、「蒼褪めた飴のように延びた時間」へ

君も僕も、あの30年前、とうの昔に人生が「蒼褪めた飴のように延びた時間」であるなんてことをすっかり知っていたのじゃあなかったか? 僕はその後10年してから君のその言葉の否定的見解を目にしたが、僕にはその「蒼褪めた飴のように延びた時間」こそが、僕の時間だったのだと実感したのだ……

お互いの人生に おやすみ だ……

思い出す事など 終章

何を書こうか。

僕が愛した女たちのこと? 読む君らが、それはきっと退屈だろうし、それぞれに幸せに生きているその彼女たちにとっては、それは退屈以上に不愉快である。

しかし、では僕は何について語ればいいのか? 僕らは僕らの真の感動の一瞬について語ることを禁じられれば、それは生きたミイラとして生きることに外ならない、あの「こゝろ」の先生が遺書の冒頭で思ったように。「先生」は、かつて真に「静」を愛したことを語るために、今愛する「私」を選んだのである。それ以外に、あの作品の意味は、ない。されど、無数の庶民の愛は、決して「こゝろ」に収斂するような、ステロタイプな、糞のようなものでは、断じて、ない。それぞれに語り尽くすことのできない、確かな、あなただけのものである――

もともと800のブログを2年目の切りにしたかったから、こんな単発の訳の分からない(僕には充分に訳がわかっているものであるが)ものを重ねたことを告白しておく。だから、僕は僕を裏切ろう、これは僕のブログの799番目の「投稿」である――

伊良子清白詩集「孔雀船」

ブログ2周年を記念して、「心朽窩 新館 詩集と惑溺の電子テクスト」に伊良子清白詩集「孔雀船」全篇を公開した。僕と語る必要はない(僕はもう人生の議論には飽き飽きした)。先人の独白に既にその不可能性への倦怠は素敵に美しく哀しく表明されている。僕らは僕らの魂だけを理解するのだ。僕らの人生は「鬼の語」なのだ――

ブログ開設2周年――7月5日付

累計アクセス数       56634

1日当たりの平均    136.14

ブログ記事数      796

(7月7日12:00現在 但し上記解析は2006年5月18日以降のもの)

うっかりしていた。勘違いしていた。もう2年がとうに経ったのだ。いや、まだ、たかだか2年か。たかが/されど2年。記事数が1000にも達していないのは意外だった(それでも冨永太郎や伊東静雄の詩は毎日打ち込んだ分を全て削除してしまったから、恐らく実質的には1000近くの記事数にはなっていたはずである)。

いろいろなことがあったが、僕はまるで変わっちゃいない。僕を一瞥して、成長する君たちは行き過ぎるのがよい。僕はちょっぴり寂しいが、それが君らの精神の健康のためにどうしても必要なことなのだ。

それでも、まだ少し付き合ってやろうという奇特な方へ――僕から、愛を込めて――「ありがとう」

2007/07/06

駿馬問答 伊良子清白

   駿馬問答   伊良子清白

 

    使 者

 

月毛なり連錢なり
丈三寸年五歳
天上二十八宿の連錢
須彌三十二相の月毛
青龍の前脚
白虎の後脚
忠を踏むか義を踏むか
諸蹄の薄墨色
落花の雪か飛雪の花か
生つきの眞白栲
竹を剥ぎて天を指す両の耳のそよぎ
鈴を懸けて地に向ふ讐の目のうるほひ
擧れる筋怒いかれる肉
銀河を倒にして膝に及ぶ鬣
白雲を束ねて草を曳く尾
龍蹄の形驊騮の相
神馬か天馬か
言語道斷希代なり
城主の御親書
戲上達背候ふまじ

 

     駿馬の主

 

曲事仰せ候
城主の執心物に相應はず
夫れ駿馬の來るは
聖代第一の嘉瑞なり
虞舜の世に鳳凰下り
孔子の時に麒麟出るに同じ
理世安民の治略至らず
富國殖産の要術なくして
名馬の所望及び候はず

 

     使 者

 

御馬の具は何々
水干鞍の金覆輪
梅と櫻の螺細は
御庭の春の景色なり
韉の縫物は
飛鳥の孔雀七寶の縁飾
雲龍の大履脊
紗の鞍※(くらおほひ)([やぶちゃん字注:※=(巾+巴)。]
人車記の故實に出で
鐵地の鐙は
一葉の船を形容たり
※鞅鞦は[やぶちゃん字注:※=(革+面)。]

 

大總小總掛け交ぜて
五色の絲の縷絲に
漣組たる連着懸
差繩行繩引繩の
緑に映ゆる唐錦
菱形轡蹄の錢
馬装束の數々を
盡して召されうづるにても
御錠違背候ふか

 

     駿馬の主

 

中々の事に候
駿馬の威德は金銀を忌み候

 

     使 者

 

さらば駿馬の威德
御物語候へ

 

     駿馬の主

 

夫れ駿馬の威德といつば
世の常の口強足駿
笠懸流鏑馬犬追物
遊戲狂言の凡畜にあらず
天竺震旦古例あり
馬は觀音の部衆
雜阿含經にも四種の馬を説かれ
六波羅蜜の功德にて
畜類ながらも菩薩の行
悉陀太子金色の龍蹄に
十丈の鐵門を越え
三界の獨尊と仰がれ給ふ
帝堯の白馬
穆王の八駿
明天子の德至れり
漢の光武は一日に
千里の馬を得
寧王朝夕馬を畫いて
桃花馬を逸せり
異國の譚は多かれども
類稀なる我宿の
一の駿馬の形相は
嘶く聲落日を
中天に回らし
蹄の音星辰の
夜砕くる響あり
躍れば長髪風に鳴て
萬丈の谷を越え
馳すれば鐵脚火を發して
千里の道に疲れず
千斤の鎧百貫の鞍
堅轡強鞭
鎧かろがろ
鞍ゆら/\
轡は儼み碎かれ
鞭はうちをれ
飽くまで肉の硬き上に
身輕の曲馬品々の藝
碁盤立弓杖
一文字杭渡り
教ずして自ら法を得たり
扨又絶険難所渡海登山
陸を行けば平地を歩むが如く
海に入れば扁舟に棹さすに似たり
木曾の御嶽駒ケ嶽
越の白山立山
上宮太子天馬に騎して
梵天宮に至り給ひし富士の峯
高き峯々嶽々
阿波の鳴門穏戸の瀨戸
天龍刀根湖水の渡り
聞ゆる急流荒波も
蹄にかけてかつし/\
肝臆ず驅早し
いつかな馳り越えつべし
そのほか戰場の砌は
風の音に伏勢を覺り
雲を見て雨雪をわきまふ
先陣先驅拔驅間牒
又は合戰最中の時
槍矛箭種ケ島
面をふり躰をかはして
主をかばふ忠と勇は
家子郎等に異ならず
かゝる名馬は奥の牧
吾妻の牧大山木曾
甲斐の黑駒
その外諸國の牧々に
萬頭の馬は候ふとも
又出づべくも侯はず
名馬の鑑駿馬の威德
あゝら有難の我身や候

 

    使 者

 

御物語奇特に候
とう/\城に立歸り
再度の御親書
申し請はゞやと存じ侯

 

    駿馬の主

 

かしまじき御使者候
及もなき御所望候へば
いか程の手立を盡され
いくばくの御書を遊ばされ候ふとも
御料には召されまじ
法螺鉦陣太鼓
旗さし物笠符
軍兵數多催されて
家のめぐり十重二十重
鬨の聲あげてかこみ候ふとも
召料には出さじ
器量ある大將軍にあひ奉らば
其時こそ駒も榮あれ駒主も
道々引くや四季繩の
春は御空の雲雀毛
夏は垣ほの卯花搗毛
秋は落葉の栗毛
冬は折れ伏す蘆毛積る雪毛
數多き御馬のうちにも
言上いたして召され候はん
拝謁申して駿馬を奉らん

 

この篇『飾馬考』『驊留全書』『武器考證』『馬術全書』『鞍鐙之辯』『春日神馬繪圖及解』『太平記』及び巣林子の諸作に憑る所多し敢て出所を明にす[やぶちゃん注:以上の注は底本では全体が一字下げのポイント落ちで三行。]

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

   駿馬問答(しゆんめもんだふ)   伊良子清白   

 

    使 者(ししや)

 

月毛(つきげ)なり連錢(れんぜん)なり
丈(たけ)三寸(ずん)年(とし)五歳(さい)
天上(てんじやう)二十八宿(しゆく)の連錢(れんぜん)
須彌(しゆみ)三十二相(さう)の月毛(つきげ)
青龍(せいりゆう)の前脚(まへあし)
白虎(びやくこ)の後脚(うしろあし)
忠(ちゆう)を踏(ふ)むか義(ぎ)を踏(ふ)むか
諸蹄(もろひづめ)の薄墨色(うすゞみいろ)
落花(らつくわ)の雪(ゆき)か飛雪(ひせつ)の花(はな)か
生(はえ)つきの眞白栲(ましろたへ)
竹(たけ)を剥(は)ぎて天(てん)を指(さ)す両(りやう)の耳(みゝ)のそよぎ
鈴(すゞ)を懸(か)けて地(ち)に向(むか)ふ讐(そう)の目(め)のうるほひ
擧(あが)れる筋(すぢ)怒いかれる肉(しゝ)
銀河(ぎんが)を倒(さかしま)にして膝(ひざ)に及(およ)ぶ鬣(たてがみ)
白雲(はくうん)を束(つか)ねて草(くさ)を曳(ひ)く尾(を)
龍蹄(りゆうてい)の形(かたち)驊騮(くわりゆう)の相(さう)
神馬(しんめ)か天馬(てんば)か
言語道斷(ごんごどうだん)希代(きだい)なり
城主(じやうしゆ)の御親書(ごしんしよ)
戲上(けんじやう)達背(ゐはい)候(さふら)ふまじ

 

     駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

曲事(くせごと)仰(あふ)せ候(さふらふ)
城主(じやうしゆ)の執心(しゆうしん)物(もの)に相應(ふさ)はず
夫(そ)れ駿馬(しゆんめ)の來(きた)るは
聖代(せうだい)第(だい)一の嘉瑞(かずゐ)なり
虞舜(ぐしゆん)の世(よ)に鳳凰(ほうわう)下(くだ)り
孔子(こうし)の時(とき)に麒麟(きりん)出(いづ)るに同(おな)じ
理世安民(りせいあんみん)の治略(ちりやく)至(いた)らず
富國殖産(ふこくしよくさん)の要術(えうじゆつ)なくして
名馬(めいば)の所望(しよまう)及(およ)び候(さふら)はず

 

     使 者(ししや)

 

御馬(おんうま)の具(ぐ)は何々(なに/\)
水干鞍(すゐかんくら)の金覆輪(きんぷくりん)
梅(うめ)と櫻(さくら)の螺細(かながひ)は
御庭(おには)の春(はる)の景色(けしき)なり
韉(あをり)の縫物(ぬひもの)は
飛鳥(ひてう)の孔雀(くじやく)七寶(はう)の縁飾(へりかざり)
雲龍(うんりゆう)の大履脊(おほなめ)
紗(きぬ)の鞍※(くらおほひ)([やぶちゃん字注:※=(巾+巴)。]
人車記(じんしやき)の故實(こじつ)に出(い)で
鐵地(かなぢ)の鐙(あぶみ)は
一葉(えう)の船(ふね)を形容(かたどつ)たり
※(おもがひ)鞅(むながひ)鞦(しりがひ)は[やぶちゃん字注:※=(革+面)。]
大總(おほぶさ)小總(こぶさ)掛(か)け交(ま)ぜて
五色(しき)の絲(いと)の縷絲(よりいと)に
漣(さゞなみ)組(うつ)たる連着(れんぢやくかけ)懸
差繩(さしなは)行繩(やりなは)引繩(ひきなは)の
緑(みどり)に映(は)ゆる唐錦(からにしき)
菱形轡(ひしがたくつわ)蹄(ひづめ)の錢(かね)
馬装束(うまそうぞく)の數々(かず/\)を
盡(つく)して召(め)されうづるにても
御錠違背(ごじやうゐはい)候(さふら)ふか

 

     駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

中々(なか/\)の事(こと)に候(さふらふ)
駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)は金銀(こんごん)を忌(い)み候(さふらふ)

 

     使 者(ししや)

 

さらば駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)
御物語(おんものがたり)候(さふら)へ

 

     駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

夫(そ)れ駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)といつば
世(よ)の常(つね)の口強(くちごは)足駿(あしばや)
笠懸(かさがけ)流鏑馬(やぶさめ)犬追物(いぬおふもの)
遊戲狂言(いうぎきやうげん)の凡畜(ぼんちく)にあらず
天竺震旦(てんぢくしんだん)古例(これい)あり
馬(うま)は觀音(くわんおん)の部衆(ぶしゆう)
雜阿含經(ぞうあごんぎやう)にも四種(しゆ)の馬(うま)を説(と)かれ
六波羅蜜(はらみつ)の功德(くどく)にて
畜類(ちくるゐ)ながらも菩薩(ぼさつ)の行(ぎやう)
悉陀太子(しつたたいし)金色(こんじき)の龍蹄(りゆうてい)に
十丈(ぢやう)の鐵門(てつもん)を越(こ)え
三界(ぐわい)の獨尊(どくそん)と仰(あふ)がれ給(たま)ふ
帝堯(ていげう)の白馬(はくば)
穆王(ぼくわう)の八駿(しゆん)
明天子(めいてんし)の德(とく)至(いた)れり
漢(かん)の光武(くわうぶ)は一日(じつ)に
千里(り)の馬(うま)を得(え)
寧王(ねいわう)朝夕(てうせき)馬(うま)を畫(ゑが)いて
桃花(とうくわ)馬(ば)を逸(いつ)せり
異國(いこく)の譚(はなし)は多(おほ)かれども
類稀(たぐひまれ)なる我宿(わがやど)の
一(いち)の駿馬(しゆんめ)の形相(ぎやうさう)は
嘶(いなゝ)く聲(こゑ)落日(らくじつ)を
中天(ちゆうてん)に回(めぐ)らし
蹄(ひづめ)の音(おと)星辰(せいしん)の
夜(よる)砕(くだ)くる響(ひゞき)あり
躍(をど)れば長髪(ちやうはつ)風(かぜ)に鳴(なつ)て
萬丈(ぢやう)の谷(たに)を越(こ)え
馳(は)すれば鐵脚(てつきやく)火(ひ)を發(はつ)して
千里(り)の道(みち)に疲(つか)れず
千斤(きん)の鎧(よろひ)百貫(くわん)の鞍(くら)
堅轡(かたぐつわ)強鞭(つよむち)
鎧(よろひ)かろがろ
鞍(くら)ゆら/\
轡(くつわ)は嚙(か)み碎(くだ)かれ
鞭(むち)はうちをれ
飽(あ)くまで肉(しゝ)の硬(かた)き上(うへ)に
身輕(みがる)の曲馬(きよくば)品々(しなじな)の藝(わざ)
碁盤立(ごはんだち)弓杖(ゆんづゑ)
一文字(もんじ)杭渡(くひわた)り
教(をしヘ)ずして自(おのづか)ら法(はふ)を得(え)たり
扨又(さてまた)絶険難所渡海登山(ぜつけんなんじよとかいとざん)
陸(くが)を行(ゆ)けば平地(へいち)を歩(あゆ)むが如(ごと)く
海(うみ)に入(い)れば扁舟(へんしう)に棹(さを)さすに似(に)たり
木曾(きそ)の御嶽(おんたけ)駒(こま)ケ嶽(だけ)
越(こし)の白山(しらやま)立山(たてやま)
上宮太子(じやうぐうたいし)天馬(てんま)に騎(き)して
梵天宮(ぼんてんきう)に至(いた)り給(たま)ひし富士(ふじ)の峯(みね)
高(たか)き峯々(みね/\)嶽々(たけだけ)
阿波(あは)の鳴門(なる)穏戸(おんど)の瀨戸(せと)
天龍(てんりゆう)刀根(とね)湖水(こすゐ)の渡(わた)り
聞(きこ)ゆる急流(きふりう)荒波(あらなみ)も
蹄(ひづめ)にかけてかつし/\
肝(かん)臆(おぢ)ず驅(かけ)早(はや)し
いつかな馳(かけ)り越(こ)えつべし
そのほか戰場(せんぢやう)の砌(みぎり)は
風(かぜ)の音(おと)に伏勢(ふせぜい)を覺(さと)り
雲(くも)を見(み)て雨雪(うせつ)をわきまふ
先陣先驅(せんぢんさきがけ)拔驅(ぬけがけ)間牒(しのび)
又(また)は合戰最中(かつせんもなか)の時(とき)
槍(やり)矛(ほこ)箭(や)種(たね)ケ島(しま)
面(めん)をふり躰(たい)をかはして
主(しゆ)をかばふ忠(ちゆう)と勇(ゆう)は
家子郎等(いへのこらうどう)に異(こと)ならず
かゝる名馬(めいば)は奥(おく)の牧(まき)
吾妻(あづま)の牧(まき)大山(だいせん)木曾(きそ)
甲斐(かひ)の黑駒(くろごま)
その外(ほか)諸國(しよこく)の牧々(まき/\)に
萬頭(とう)の馬(うま)は候(さふら)ふとも
又(また)出(い)づべくも侯(さふら)はず
名馬(めいば)の鑑(かゞみ)駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)
あゝら有難(ありがた)の我身(わがみ)や候(さふらふ)

 

    使 者(ししや)

 

御物語(おんものがたり)奇特(きとく)に候(さふらふ)
とう/\城(しろ)に立歸(たちかへ)り
再度(さいど)の御親書(ごしんしよ)
申(まう)し請(こ)はゞやと存(ぞん)じ侯(さふらふ)

 

    駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

かしまじき御使者(おんしゝや)候(さふらふ)
及(および)もなき御所望(ごしよまう)候(さふら)へば
いか程(ほど)の手立(てだて)を盡(つく)され
いくばくの御書(おんふみ)を遊(あそ)ばされ候(さふら)ふとも
御料(おんれう)には召(め)されまじ
法螺(ほら)鉦(かね)陣太鼓(ぢんだいこ)
旗(はた)さし物(もの)笠符(かさじるし)
軍兵(ぐんびやう)數多(あまた)催(もよほ)されて
家(いへ)のめぐり十重二十重(とへはたへ)
鬨(とき)の聲(こゑ)あげてかこみ候(さふら)ふとも
召料(めしれう)には出(いだ)さじ
器量(きりやう)ある大將軍(たいしやうぐん)にあひ奉(まつ)らば
其時(そのとき)こそ駒(こま)も榮(はえ)あれ駒主(こまぬし)も
道々(みち/\)引(ひ)くや四季繩(しきなは)の
春(はる)は御空(みそら)の雲雀毛(ひばりげ)
夏(なつ)は垣(かき)ほの卯花搗毛(うのはなつきげ)
秋(あき)は落葉(おちば)の栗毛(くりげ)
冬(ふゆ)は折(を)れ伏(ふ)す蘆毛(あしげ)積(つも)る雪毛(ゆきげ)
數多(かずおほ)き御馬(おんうま)のうちにも
言上(ごんじやう)いたして召(め)され候(さふら)はん
拝謁(はいえつ)申(まう)して駿馬(しゆんめ)を奉(たてまつ)らん

 

この篇(へん)『飾馬考(かざりうまかんがへ)』『驊留全書(くわりうぜんしよ)』『武器考證(ぶきかうしよう)』『馬術全書(はじゆつぜんしよ)』『鞍鐙之辯(くらあぶみのべん)』『春日神馬繪圖及解(かすがしんばゑづおよびげ)』『太平記(たいへいき)』及(およ)び巣林子(さうりんし)の諸作(しよさく)に憑(よ)る所(ところ)多(おほ)し敢(あへ)て出所(しゆつしよ)を明(あきらか)にす[やぶちゃん注:以上の注は底本では全体が一字下げのポイント落ちで三行。]

 

 

この詩はエクウス・フリークの御仁には答えられないものであろう。

 

これをもって、伊良子清白「孔雀船」全巻の終わり! これより、HP正式公開のための最終校訂作業に入る。

カロ

分割されたカロがネット世界を駆け巡る ふふふ♪ にゃあ!

思い出す事など 九

僕の高校時代……伏木国分浜の雄岩近くの海岸鉄橋の下……雨晴海岸の冬の漁師小屋の陰……氷見線の最後尾から見た遠ざかって行く鉄路……皆、僕の憂鬱が美事に完成した、あの心象……

思い出す事など 八

僕は毎日の疲弊しきった職場の帰り、バスの車窓から見える家までの道に、何度かその後姿を認めた……それは淋しく泣きながら、とぼとぼ俯いて歩いている、小学生のひとりぼっちの僕である……

 

レジナルド・ローズ。
「十二人の怒れる男たち」の原作者として有名。
彼が「トワイライトゾーン」にライターとして参加した一本に「落ちた時計」(原題は{フォーレス・フォードの不思議な世界」)という作品がある。ご存知か?

僕が小学生の時に見て、今もこよなく愛している一本である。

その後、僕が中学二年の1970年3月28日にNHKで山本學主演で「河東寒吉のふしぎな世界」という日本版にリメイクされた(覚えておられる方は少ないと思うが、エンディングはこちらの方は、僕は、すこぶる悲劇的であったと記憶している。

【2014年6月15日追記】英文ウィキの“The Incredible World of Horace Ford”を読むと、実際にはこれがシナリオの原形であったらしいことが分かる。

ここのところ記載した「ジェニーの肖像」「トムは真夜中の庭で」と共通したタイムスリップものである。
この手のものは、ネタバレを一番嫌う。
さて、機会があったら是非、ご覧あれ。
初めに記した僕の幻視は、きっとこれらと同じような心性なのだ……

【2024年3月29日追記】英語版でなら、ここで視認出来るので、見られたい。

「ノース2号の巻」挿入曲ノート

今日は数回に亙って教え子と「ノース2号の巻」に用いられる曲についてメールでやりとりした。まず使用するシチュエーションは

1 『ノースが「練習」する』曲

2 『ノースがフラッシュバックする第10次中央アジア紛争の戦闘シーン』の曲(バックイメージ)

3 『ノース最期の出撃』の曲

の三つは外せない(1と2を同じ曲でカバーすることも考えたが、これは思いの外難しい。とりあえず別に考えたい。2と3も同曲を用いることが出来るが、それは少々作劇的には陳腐であるように思われる)。ピアノを弾くその教え子は、まず1に

ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43」の「第18変奏」

を挙げた。ロマン的な甘さが気になるが、右手で奏でることの難易度から、承服できる曲だ。

次に2に

モーツァルトの「レクイエム」第8曲「ラクリモーサ」

これは使いたい誘惑に抗し切れないほど、はまり過ぎている――はまり過ぎていることが気になった。その標題性が「如何にも」という感を呈してしまう。音楽が余りにも説明的に過ぎる……しかし、う~ん、いいなあ。

僕のこの不安に彼女は次の2の候補として

ショパンの「革命」

を提示してきた。これは自然だ。しっくりくる。ノースの建前としての「正義」の使命、しかし、そこに内実としての齟齬を覚えるノースの心――を美事に描き出すように思えた。曲の長さと完結性も、あのシーンにぴったりくる。そうなると、今度は1から2へのジョイントのスムースさに欲が出てくる(ノースの「練習」とフラッシュバックはシーンとして連続しているから)。

すると1は同じショパンか、やっぱり東欧・ロシア系の民族派の音楽が合うか……僕がこの議論を始める前に最初に浮かべたのは、実はショパンの「別れの曲」だったのだが……

ところがそう考えながら、彼女も僕も実はやっぱりバッハが使いたくもなってくるのである。彼女が次に挙げた1は

バッハの平均律クラヴィーア第1巻第1曲

これも、いい(グールド好きの僕はノースのすらりとした姿にグールドを感じ、「ゴルトベルグ」の主題もいい、と更に欲を出すのだが)。そうなると、バッハの幾多の宗教曲、マタイやオルゲルビューヒライン、遂には「主よ、人の望みよ、喜びよ」なんぞを弾かせたい思いがむくむくと起ってくるのだが、それはまた標題性へ回帰してしまうので、禁欲的にならざるを得ない。

ノースの弾く曲……想像はまだまだ飛翔する――あの最期のノースのように――

初陣 伊良子清白

   初陣   伊良子清白

 

父よ其手綱を放せ
槍の穂に夕日宿れり
數ふればいま秋九月
赤帝の力衰へ
天高く雲野に似たり
初陣の駒鞭うたば
夢杳か兜の星も
きらめきて東道せむ
父よ其手綱を放せ
狐啼く森の彼方に
月細くかゝれる時に
一すじ〔ぢ〕の烽火あがらば
勝軍笛ふきならせ
軍神わが肩のうへ
銀燭の輝く下に
盃を洗ひて待ちね

 

父よ其手綱を放せ
髪皤くきみ老いませり
花若く我胸顕る
橋を断ちて砲おしならべ
巌高く剣を植ゑて
さか落し千丈の崖
旗さし物乱れて入らば
大雷雨奈落の底
風寒しあゝ皆血汐

 

父よ其手綱を放せ
君しばしうたゝ寝のまに
繪巻物逆に開きて
夕べ星波間に沈み
霧深く河の瀨なりて
野の草に亂るゝ螢
石の上惡氣上りて
亡跡を君に志らせん[やぶちゃん字注:「志」はママ。但し崩し字。]

 

父よ其手綱を放せ
故郷の寺の御庭に
うるはしく列ぶおくつき
栗の木のそよげる夜半に
たゞ一人さまよひ入りて
母上よ晩くなりぬと
わが額をみ胸にあてゝ
ひたなきになきあかしなば
わが望満ち足らひなん
神の手に抱かれずとも

 

父よ其手綱を放せ
雲うすく秋風吹きて
萩芒高なみ動き
軍人小松のかげに
遠祖らの功名をゆめむ
今ぞ時貝が音ひゞく
初陣の駒むちうちて
西の方廣野を驅らん

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

   初陣(うひぢん)   伊良子清白

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
槍(やり)の穂(ほ)に夕日(ゆふひ)宿(やど)れり
數(かぞ)ふればいま秋(あき)九月(ぐわつ)
赤帝(せきてい)の力(ちから)衰(おとろ)へ
天高(てんたか)く雲(く)野(の)に似(に)たり
初陣(うひぢん)の駒(こま)鞭(むち)うたば
夢杳(ゆめはる)か兜(かぶと)の星(ほし)も
きらめきて東道(みちしるべ)せむ
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
狐(きつね)啼(な)く森(もり)の彼方(かなた)に
月(つき)細(ほそ)くかゝれる時(とき)に
一(ひと)すじ〔ぢ〕の烽火(のろし)あがらば
勝軍(かちいくさ)笛(ふえ)ふきならせ
軍神(いくさがみ)わが肩(かた)のうへ
銀燭(ぎんしよく)の輝(かゞや)く下(もと)に
盃(さかづき)を洗(あら)ひて待(ま)ちね

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
髪(かみ)皤(しろ)くきみ老(お)いませり
花(はな)若(わか)く我胸(わがむね)顕(をど)る
橋(はし)を断(た)ちて砲(つゝ)おしならべ
巌(いは)高(たか)く剣(つるぎ)を植(う)ゑて
さか落(おと)し千丈(ぢやう)の崖(がけ)
旗(はた)さし物乱(ものみだ)れて入(い)らば
大雷雨(だいらいう)奈落(ならく)の底(そこ)
風(かぜ)寒(さむ)しあゝ皆(みな)血汐(ちしほ)

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
君(きみ)しばしうたゝ寝(ね)のまに
繪巻物(ゑまきもの)逆(ぎやく)に開(ひら)きて
夕(ゆふ)べ星(ほし)波間(なみま)に沈(しづ)み
霧(きり)深(ふか)く河(かは)の瀨(せ)なりて
野(の)の草(くさ)に亂(みだ)るゝ螢(ほたる)
石(いし)の上(うへ)惡氣(あつき)上(のぼ)りて
亡跡(なきあと)を君(きみ)に志らせん[やぶちゃん字注:「志」はママ。但し崩し字。]

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
故郷(ふるさと)の寺(てら)の御庭(みには)に
うるはしく列(なら)ぶおくつき
栗(くり)の木(き)のそよげる夜半(よは)に
たゞ一人(ひとり)さまよひ入(い)りて
母上(はゝうへ)よ晩(おそ)くなりぬと
わが額(ぬか)をみ胸(むね)にあてゝ
ひたなきになきあかしなば
わが望(のぞみ)満(み)ち足(た)らひなん
神(かみ)の手(て)に抱(いだ)かれずとも

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
雲(くも)うすく秋風(あきかぜ)吹(ふ)きて
萩(はぎ)芒(すすき)高(たか)なみ動(うご)き
軍人(いくさびと)小松(こまつ)のかげに
遠祖(みおや)らの功名(いさを)をゆめむ
今(いま)ぞ時(とき)貝(かひ)が音(ね)ひゞく
初陣(うひぢん)の駒(こま)むちうちて
西(にし)の方(かた)廣野(ひろの)を驅(か)らん

 

 

後の文学報国会の連中が書くような如何にもの戦意高揚詩はおぞましいが、これは素直に僕の好きな詩だと言える。戦国の武将の少年の心になって――『其心に成りて』(というはきっと清白の詩心の大事なコンセプトだったように思える)謳う――文弱の僕でさえ、この少年になれる。プエル・エテルヌス! 清白!

2007/07/05

思い出す事など 七

僕は僕の愛読書のロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」のハヤカワ文庫が先日から僕の書棚から何処かへいってしまったことに気づいて激しく意気消沈している……

7月6日 夜8:30 書斎のドストエフスキイ全集のカラマーゾフの上にフィリッパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」と一緒に(どちらもかつて貸してあげた女生徒が美しいカバーをつけて返してくれた。そのカバーゆえに気がつかなかった)ジェニーがいるのを見つけた。古い恋人に再会したように、ちょっとどきどきしながら、嬉しかった……

思い出す事など 六

……君、君と僕があの遠い日にキスをしたのは、2004年5月に放映された、あの「ウルトラQ dark fantasy」の、僕の愛してやまない「綺亞羅」で、主人公坂口が生涯の最期にベースを弾き、それを心地よく聴いている綺亞羅がいる、あの場所と、同じだよ……

戲れに 伊良子清白

   戲れに   伊良子清白

 

わが居る家の大地に
黑き帝の住みたまひ
地震の踊の優なれば
下り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば

 

わが居る家の大空に
白き女王の住みたまひ
星の祭の艶なれば
上り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば

 

わが居る家の古厨子に
遠き御祖の住みたまひ
とこ降る花のたへなれば
開けて來れとのたまへど
われは行きえず人なれば

 

わが居る家の厨内
働く妻をよびとめて
夕の設をたづぬるに
好める魚のありければ
われは行きけり人なれば

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

戲(たはぶ)れに   伊良子清白

 

わが居(を)る家(いへ)の大地(おほづち)に
黑(くろ)き帝(みかど)の住(す)みたまひ
地震(なゐ)の踊(をどり)の優(いう)なれば
下(くだ)り來(きた)れと勅(ちよく)あれど
われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の大空(おほぞら)に
白(しろ)き女王(めぎみ)の住(す)みたまひ
星(ほし)の祭(まつり)の艶(えん)なれば
上(のぼ)り來(きた)れと勅(ちよく)あれど
われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の古厨子(ふるづし)に
遠(とほ)き御祖(みおや)の住(す)みたまひ
とこ降(ふ)る花(はな)のたへなれば
開(あ)けて來(きた)れとのたまへど
われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の厨内(くりやうち)
働(はたらく)く妻(つま)をよびとめて
夕(ゆふべ)の設(まけ)をたづぬるに
好(この)める魚(うを)のありければ
われは行(ゆ)きけり人(ひと)なれば

2007/07/04

思い出す事など 五

中学の頃、右手の人差し指の中関節の表皮に蟹足腫ができた。硬く円形に隆起して、爪切りで切ると、その円形のフィールドの中に、小さな粒状の組織が八つばかり整然と並んでいる。更に深く爪切りを入れると、なんと美事に形成された中央部の血管(!)から規則的な出血が始まる。

ドイツ製の、強力な濃いグリーンの色をした組織からの強力吸湿薬剤(たこの吸出し等という生易しいものではなかった)を塗布したら、ものの美事に、ミイラのようになって、ボロっと落ちた。

今でも、ちょっとあの「蟹足腫」という言葉の響きと、あのぶつぶつの増殖した組織から滲み出る、無数の擬似血管からの鮮血が、妙に懐かしい――

思い出す事など 四

30年前のあの夜、彷徨った中目黒の街の夜に、二人で見出したあの白い一本のタチアオイが、何故か、不思議に忘れられない……互いの心の致命的な齟齬が、その瞬間に消えて一つになったような気が、僕には一瞬、していたのだ、あの時に……

鬼の語 伊良子清白

   鬼の語   伊良子清白

 

顏蒼白き若者に
秘める不思議きかばやと
村人數多來れども
彼はさびしく笑ふのみ

 

前の日村を立出でゝ
仙者が嶽に登りしが
恐怖を抱くものゝごと
山の景色を語らはず

 

傳へ聞くらく此河の
きはまる所瀧ありて
其れより奥に入るものは
必ず山の祟あり

 

蝦蟆氣を吹きて立曇る
篠竹原を分け行けば
冷えし掌あらはれて
頂〔項〕顏に觸るゝとぞ

 

陽炎高さ二萬尺
黄山赤山黑山の
劍を植ゑたる頂に
秘密の主は宿るなり

 

盆の一日は暮れはてゝ
淋しき雨と成りにけり
怪しく光りし若者の
眼の色は冴え行きぬ

 

劉邦未だ若うして
谷路の底に蛇を斬りつ
而うして彼漢王の
位をつひに贏ち獲たり

 

この子も非凡山の氣に
中たりて床に隠れども
禁を守りて愚鈍者に
鬼の語を語らはず

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

   鬼(おに)の語(ことば)   伊良子清白

 

顏(かほ)蒼白(あをじろ)き若者(わかもの)に
秘(ひ)める不思議(ふしぎ)きかばやと
村人(むらびと)數多(あまた)來(きた)れども
彼(かれ)はさびしく笑(わら)ふのみ

 

前(きそ)の日(ひ)村(むら)を立出(たちい)でゝ
仙者(せんじや)が嶽(たけ)に登(のぼ)りしが
恐怖(おそれ)を抱(いだ)くものゝごと
山(やま)の景色(けしき)を語(かた)らはず

 

傳(つた)へ聞(き)くらく此(この)河(かは)の
きはまる所(ところ)瀧(たき)ありて
其(そ)れより奥(おく)に入(い)るものは
必(かなら)ず山(やま)の祟(たゝり)あり

 

蝦蟆(がま)氣(き)を吹(ふ)きて立曇(たちくも)る
篠竹原(しのだけはら)を分(わ)け行(ゆ)けば
冷(ひ)えし掌(てのひら)あらはれて
頂〔項〕(うなじ)顏(かほ)に觸(ふ)るゝとぞ

 

陽炎(かげろふ)高(たか)さ二萬尺(まんじやく)
黄山(きやま)赤山(あかやま)黑山(くろやま)の
劍(けん)を植ゑたる頂(いただき)に
秘密(ひみつ)の主(ぬし)は宿(やど)るなり

 

盆(ぼん)の一日(ひとひ)は暮(く)れはてゝ
淋(さび)しき雨(あめ)と成(な)りにけり
怪(あや)しく光(ひか)りし若者(わかもの)の
眼(まなこ)の色(いろ)は冴(さ)え行(ゆ)きぬ

 

劉邦(りうほう)未(いま)だ若(わか)うして
谷路(たにぢ)の底(そこ)に蛇(じや)を斬(き)りつ
而(しか)うして彼(かれ)漢王(かんわう)の
位(くらゐ)をつひに贏(か)ち獲(え)たり

 

この子(こ)も非凡(ひぼん)山(やま)の氣(き)に
中(あ)たりて床(とこ)に隠(かく)れども
禁(きん)を守(まも)りて愚鈍者(ぐどんじや)に
鬼(おに)の語(ことば)を語(かた)らはず

 

 

当初、浮かべたのは平田篤胤の「仙境異聞」の寅吉だが、彼はべらべらと喋くる、変に鼻についた糞ガキに過ぎない。この少年は語らない。だから重い、だから少年、だから信じられる、だから哀しい……彼の鬼の語を聞かずとも、僕は彼の鬼の世界を感じられる……それが「鬼」なのだ――

2007/07/03

忘れ得ぬ人々15 米谷さんちのお手伝いさん

Image0037 幼稚園の頃、僕が住んでいた練馬の東大泉の、家の隣りの広っぱ(懐かしい響きだ。短い雑草が生え、時々砂やヒューム管が訪れては消えてゆくあの、正真正銘の広っぱだった)を隔てたところに米谷さんちはあった。ブチとクロのグレイハウンドを二匹飼っていた。昭和30年代初頭のそんな家を想像されたい。そこに、岩手から集団就職で来た、小太りのお手伝いさんがいた。頬がすっかり赤くって、いつも割烹着を着たお姉さん……それが、今日の僕の「忘れ得ぬ人」である……

僕は弱虫で泣き虫だった。広場で遊んでいても、きっと二日に一度はいじめられて泣いていた。そんな時、夕暮れのグレイハウンドの散歩をさせる彼女は、その体を左右に揺すって(それは二匹の犬に引っ張られていたからでもある)、いじめっ子の前にやってくると、ブルトーザーのように彼らを駆逐し、洟と涙でくしゃくしゃの僕の顔を、その割烹着の袖で拭ってくれると、彼女は決まって笑いながら言ったものだった――「泣ぐな、坊ちゃん。」――頼もしい大きな紅い頬の彼女の向うに、今はもう見ることのない美しい武蔵野の夕陽があった――

彼女は、たまの日曜日の許された休みになると、何故か、僕のうちに訪ねてきては、「奥さん、坊ちゃん連れて買い物行ってはいけんでしょうか?」と懇願して、僕を池袋のデパートに連れてゆくのだった。月に一度かニ度の彼女の少なかったであろう自由な時間に、彼女は必ず僕を連れてデパートへ行くのだった。

母の記憶では、彼女は、自分に同い年の末っ子の弟がいるのだと言っていたようだ。

僕は今でも、不思議に覚えている映像がある。

……池袋のごった返した年末のデパート……僕はきっと疲れたと言ったのだと思う……彼女は僕をオンブしている……エスカレーターに乗っている……ふと上を見ると上階に向かうエスカレーターの底が鏡張りになっていた……僕が見上げる……僕をおぶった彼女……人いきれと暖房で彼女は額に汗をかいている……僕を背負った上に買い物を両手にぶら下げている(それは故郷の親族や兄弟への正月のお土産であったかも知れない)……口でふうふう息している……ふと彼女が見上げた……鏡の中で眼が合った……

その時、彼女はさっと満面の笑みを浮かべる……あの、いつものあの紅い頬で……

僕の記憶にあるのは、それだけである。

僕の母は、残念ながらもう彼女の名を覚えていない。

今はただ、父が撮った、その二匹の犬と戯れる僕と割烹着の頬の紅い(しかしそれはモノクロームなのだが)はにかんだ彼女とその広っぱで一緒の写った写真が一葉あるだけである……。

……僕は彼女を、時空を越えた僕の永遠の恋人のように、今も、愛している……確かに、僕は愛している……あの真っ赤な頬と厚い背中の温もりと共に……

安乘の稚兒 伊良子清白

   安乘の稚兒   伊良子清白

 

志摩の果安乘の小村
早手風岩をどももし
柳道木々を根こじて
虚空飛ぶ断れの細葉

 

水底の泥を逆上げ
かきにごす海の病
そゝり立つ波の大鋸
過げとこそ船をまつらめ

 

とある家に飯蒸かへり
男もあらず女も出で行きて
稚子ひとり小籠に座り
ほゝゑみて海に對へり

 

荒壁の小家一村
反響する心と心
稚子ひとり恐怖をしらず
ほゝゑみて海に對へり

 

いみじくも貴き景色
今もなほ胸にぞ跳る
少くして人と行きたる
志摩のはて安乘の小村

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

   安乘(あのり)の稚兒(ちご)   伊良子清白

 

志摩(しま)の果(はて)安乘(あのり)の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩(いは)をどももし
柳道(やなぎみち)木々(きゞ)を根(ね)こじて
虚空(みそら)飛(と)ぶ断(ちぎ)れの細葉(ほそば)

 

水底(みなぞこ)の泥(どろ)を逆上(さかあ)げ
かきにごす海(うみ)の病(いたづき)
そゝり立(た)つ波(なみ)の大鋸(おほのこ)
過(よ)げとこそ船(ふね)をまつらめ

 

とある家(や)に飯(いひ)蒸(むせ)かへり
男(を)もあらず女(め)も出(い)で行(ゆ)きて
稚子(ちご)ひとり小籠(こかご)に座(すわ)り
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり

 

荒壁(あらかべ)の小家一村(こいへひとむら)
反響(こだま)する心(こゝろ)と心(こゝろ)
稚子(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり

 

いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)
今(いま)もなほ胸(むね)にぞ跳(をど)る
少(わか)くして人(ひと)と行(ゆ)きたる
志摩(しま)のはて安乘(あのり)の小村(こむら)

 

***

 

「孔雀船」からアンソロジーには必ず採られるのが冒頭の「漂泊」とこの詩であるが、30年前、この詩集を読んだ時に、やはりその映像印象の鮮烈さで、この「安乗の稚児」はすべての僕の詩歌の衝撃の頂点にあると言っても過言ではない。

 

僕はこの詩を読むと確かに訪れたことがない寒漁村安乗を訪れた青年清白になれる――

 

そして

 

僕はこの詩を読み終えた後、確かにこの無人の漁人の家の「稚子ひとり小籠に座り/ほゝゑみて海に對へ」る稚児である自分自身を見出すのだ――僕にははっきりと荒れすさぶ波浪が見える――にっこりと微笑んでいる「僕」が感じられる――

 

 

何をしてるんだだって? 授業もなし、午前中だけ山の代休をもらったんだ。これから風呂に入って、棒のようになった両足をほぐしにかかろう。

ガスパチョのないスペイン料理店なんて

今日は妻の手製のガスパッチョを食べた(あれは断じて「飲む」のではない。「食う」のである)。久々に旨いと感じた。そこで思う。

ガスパチョのないスペイン料理店はスペイン料理店では、断じて、ない。

ちなみに先日のブログで書いた「トマス」には、しっかり、ある。

不開の間 伊良子清白

   不開の間   伊良子清白

 

花吹雪
まぎれに
さそはれて
いでたまふ
館の姫

 

蝕める
古梯
眼の前に
櫓だつ
不開の間

 

香の物
焚きさし
採火女めく
影動き
きえにけり

 

夢の華
処女の
胸にさき
きざはしを
のぼるか

 

諸扉
さと開く
風のごと
くらやみに
誰ぞあるや

 

色蒼く
まみあけ
衣冠して
束帶の
人立てり

 

思ふ今
いけにへ
百年を
人柱
えも朽ちず

 

年若き
つはもの
戀人を
持ち乍ら
うめられぬ

 

怪し瞳
炎に
身は燃えて
死にながら
輝ける

 

何しらん
禁制
姫の裾
なほ見えぬ
扉とづ

 

白壁に
居る虫
春の日は
うつろなす
暮れにけり

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

不開(あかず)の間(ま)   伊良子清白  

 

花吹雪(はなふぶき)
まぎれに
さそはれて
いでたまふ
館(たち)の姫(ひめ)

 

蝕(むしば)める
古梯(ふるはし)
眼(め)の前(まへ)に
櫓(やぐら)だつ
不開(あけず)の間(ま)

 

香(かぐ)の物(もの)
焚(た)きさし
採火女(ひとり)めく
影(かげ)動(うご)き
きえにけり

 

夢(ゆめ)の華(はな)
処女(おとめ)の
胸(むね)にさき
きざはしを
のぼるか

 

諸扉(もろとびら)
さと開(あ)く
風(かぜ)のごと
くらやみに
誰(た)ぞあるや

 

色(いろ)蒼(あお)く
まみあけ
衣冠(いかん)して
束帶(そくたい)の
人(ひと)立(た)てり

 

思(おも)ふ今(いま)
いけにへ
百年(ももとせ)を
人柱(ひとばしら)
えも朽(く)ちず

 

年(とし)若(わか)き
つはもの
戀人(こひびと)を
持(も)ち乍(なが)ら
うめられぬ

 

怪(け)し瞳(ひとみ)
炎(ほのほ)に
身(み)は燃(も)えて
死(し)にながら
輝(かゞや)ける

 

何(なに)しらん
禁制(いましめ)
姫(ひめ)の裾(すそ)
なほ見(み)えぬ
扉(とびら)とづ

 

白壁(しらかべ)に
居(お)る虫(むし)
春(はる)の日(ひ)は
うつろなす
暮(く)れにけり

 

***

 

鏡花! フーヘル! だ!

思い出す事など 三

その日学校帰りに大船フラワーセンターの前で、僕は、すれ違った小母さんに挨拶をした。白い日傘の中に、僕はその小母さんの少しドキッとする赤い口紅の色を確かに見、彼女が少し白い歯を見せて、にっこりと微笑んだのを確かに覚えている。それは家のそばの庭の広い瀟洒な屋敷の婦人であった。

少し行きすぎて、ふと気がついた。

彼女は一月前に、彼女の家と道を隔てた彼女の向かいの豪邸の不良息子の飲酒運転の暴走車にはねられてそこで死んでいたのだった。

振り返ってみると、ハレーションように真っ白な夏の、誰もいない埃っぽい道があるだけだった……

今はその屋敷も豪邸も跡形も、ない。それでも、僕は今も時々、あの小母さんのどぎつい血のようなルージュを鮮やかにフラッシュバックする……

2007/07/02

思い出す事など 二

小学校2年生の時、近くの切通しで若いカップルの乗ったバイクが切岸に激突して二人とも即死した。翌日、土曜の学校の帰りに遠回りをして、僕はその場所に立っていた。7月の日差しが眩しくて、不思議に人影も車もなかったのだった。……道に二人の死者の交じり合った血餅が一塊あった。僕は木の枝でそれをかき混ぜる……それは僕の知った初めての人の「生」であったのだ……そうして僕は何をしたか? 今、僕はそれを思い出した……その腥い血糊で僕は確かに円を描いたのだった……今、ふと思う。僕はあの時、「先生」だったのだ。あの「こゝろ」の「先生」だったのだ……

思い出す事など

僕は或る昔愛した女が美しいものを指差す時に何時も左手の人差し指を大きく反らしてそのものを指さしていたのを思い出す……

花柑子 伊良子清白

   花柑子   伊良子清白

 

島國の花柑子
高圓に匂ふ夜や
大渦の荒潮も
羽をさめほゝゑめり

 

病める子よ和の今
窓に倚り常花の
星村にぬかあてゝ
さめざめとなけよかし

 

生をとめ月姫は
新なる丹の皿に
開命貴寶を盛り
よろこびの子にたびん

 

清らなる身とかはり
五月野の遠を行く
花環虹めぐり
銀の雨そゝぐ

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

花柑子(はなかうじ)   伊良子清白

 

島國(しまぐに)の花柑子(はなかうじ)
高圓(たかまど)に匂(にほ)ふ夜(よ)や
大渦(おほうづ)の荒潮(あらじほ)も
羽(はね)をさめほゝゑめり

 

病(や)める子(こ)よ和(なご)の今(いま)
窓(まど)に倚(よ)り常花(とこはな)の
星村(ほしむら)にぬかあてゝ
さめざめとなけよかし

 

生(いく)をとめ月姫(つきひめ)は
新(あらた)なる丹(に)の皿(さら)に
開命(さくいのち)貴寶(あで)を盛(も)り
よろこびの子(こ)にたびん

 

清(きよ)らなる身(み)とかはり
五月野(さつきの)の遠(をち)を行(ゆ)く
花環(はなたまき)虹(にじ)めぐり
銀(しろがね)の雨(あめ)そゝぐ

伊良子清白「孔雀船」についての告解

僕は彼の詩句を全て理解できている訳ではない。それどころか、語句は勿論、そのイメージの飛翔についていけない理解不能な部分も少なくない。何より、素朴に教え子から「ここはどういう意味ですか?」と訪ねられるのを、秘かに畏れては、いる。現今、イメージが素敵ですとか、印象の素晴らしさに感銘するメールに留まっているのに、内心、胸を撫で下ろしているのである。しかし、僕の感じることは、彼の詩への注釈は現代語訳に等しくなるであろうこと、結果した現代語訳は所詮ある退屈な一解釈に過ぎないこと、それは勿論、確実に伊良子清白の遊んでいる透明な世界を完膚なきまでに破壊するであろうこと――等等……これも弁解過ぎぬのではあるが。

 

それに関わって今回の電子化でとまどったのは、ルビの区切りである。ソリッドな一体語句であるのか、そうでないのか、それなりに語句の意味を調べつつ、彼の音数律(これはかえって極めて厳密であるから、却って判断の助けとなった)と対応させながら、区切りを定めたが、一部に疑問な箇所があることも告白しておく。

五月野 伊良子清白

   五月野   伊良子清白

 

五月野の昼しみら
瑠璃囀の鳥なきて
草長き南國
極熱の日に火ゆる

 

謎と組む曲路
深沼の岸に盡き
人形の樹立見る
石の間青き水

 

水を截る圓肩に
睡蓮花を分け
のぼりくる美し君
柔かに眼を開けて

 

王藻髪捌け落ち
真素膚に翻へる浪
木々の道木々に倚り
多の草多にふむ

 

葉の裏に虹懸り
姫の路金撲つ
大地の人離野
變化居る白日時

 

垂鈴の百済物
熟れ撓む石の上
みだれ伏す姫の髪
高圓の日に乾く

 

手枕の腕つき
白玉の夢を展べ
処女子の胸肉は
力ある足の弓

 

五月野の濡跡道
深沼の小黑水
落星のかくれ所と
傳へきく人の子等

 

空像の數知らず
うかびくる岸の隈
湧き上ぼる高水に
いま起る物の音

 

めざめたる姫の面
丹穂なす火にもえて
たわわ髪身を起す
光宮玉の人

 

微笑みて下り行く
湖の底姫の國
足うらふむ水の梯
物の音遠ざかる

 

目路のはて岸木立
晝下ちず日の眞洞
迷野の道の奥
水姫を誰知らむ

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

   五月野(さつきの)   伊良子清白

 

五月野(さつきの)の昼(ひる)しみら
瑠璃(るり)囀(てん)の鳥(とり)なきて
草(くさ)長(なが)き南國(みなみぐに)
極熱(ごくねつ)の日(ひ)に火(も)ゆる

 

謎(なぞ)と組(く)む曲路(まがりみち)
深沼(ふけぬま)の岸(きし)に盡き
人形(ひとがた)の樹立(こだち)見(み)る
石(いし)の間(ひま)青(あお)き水(みづ)

 

水(みづ)を截(き)る圓肩(まろがた)に
睡蓮(ひつじぐさ)花(はな)を分(わ)け
のぼりくる美(うま)し君(きみ)
柔(やはら)かに眼(め)を開(あ)けて

 

王藻髪(たまもがみ)捌(さば)け落(お)ち
真素膚(ますはだ)に翻(か)へる浪(なみ)
木々(きぎ)の道(みち)木々(きぎ)に倚(よ)り
多(さは)の草(くさ)多(さは)にふむ

 

葉(は)の裏(うら)に虹(にじ)懸(かゝ)り
姫(ひめ)の路(みち)金(こがね)撲(う)つ
大地(おほづち)の人離野(ひとがれの)
變化(へんげ)居(を)る白日時(まひるどき)

 

垂鈴(たりすゞ)の百済物(くだらもの)
熟(う)れ撓(たわ)む石(いし)の上(うへ)
みだれ伏(ふ)す姫(ひめ)の髪(かみ)
高圓(たかまど)の日(ひ)に乾(かは)く

 

手枕(たまくら)の腕(かひな)つき
白玉(しらたま)の夢(ゆめ)を展(の)べ
処女子(をとめご)の胸肉(むなじゝ)は
力(ちから)ある足(たり)の弓(ゆみ)

 

五月野(さつきの)の濡跡道(ぬれとみち)
深沼(ふけぬま)の小黑水(をぐろみづ)
落星(おちぼし)のかくれ所(ど)と
傳(つた)へきく人(ひと)の子等(こら)

 

空像(うたかた)の數(かず)知(し)らず
うかびくる岸(きし)の隈(くま)
湧(わ)き上(のぼ)ぼる高水(たまみづ)に
いま起(おこ)る物(もの)の音(おと)

 

めざめたる姫(ひめ)の面(おも)
丹穂(にのほ)なす火(ひ)にもえて
たわわ髪(がみ)身(み)を起(おこ)す
光宮(ひかりみや)玉(たま)の人(ひと)

 

微笑(ほゝえ)みて下(くだ)り行(ゆ)く
湖(うみ)の底(そこ)姫(ひめ)の國(くに)
足(あ)うらふむ水(みづ)の梯(はし)
物(もの)の音(おと)遠(とほ)ざかる

 

目路(めぢ)のはて岸木立(きしこだち)
晝(ひる)下(お)ちず日(ひ)の眞洞(まほら)
迷野(まよひの)の道(みち)の奥(おく)
水姫(みづひめ)を誰(たれ)知(し)らむ

2007/07/01

華燭賦 伊良子清白

華燭賦   伊良子清白

 

律師は麓の
   寺をいでゝ
駕は山の上
   竹の林の
夕の家の
   門に入りぬ

 

親戚誰彼
   宴をたすけ
小皿の音
   厨にひゞき
燭を呼ぶ聲
背戸に起る

 

小桶の水に
   浸すは若菜
若菜を切るに
   俎板馴れず
新しき刄の
   痕もなければ

 

菱形なせる
   窓の外に
三尺の雪
   戸を壓して
靜かに暮るゝ
   山の夕

 

夕は
楽しき時
夕は
清き時
夕は
美しき時

 

この夕
   雪あり
この夕
   月あり
この夕
   宴あり

 

火の氣弱きを
  憂ひて
竈にのみ
   立つな
室に入りて
   花の人を見よ

 

花の人と
よびまゐらせて
この夕は
   名をいはず
この夕は
   名なし

 

律師席に入て
   霜毫威あり
長人を煩はすに
   堪へたり夕

 

琥珀の酒
   酌むに盃あり
盃の色
   紅なるを
山人驕奢に
   長ずと言ふか

 

紅は紅の
   芙蓉の花の
秋の風に
   折れたる其日
市の小路の
   店に獲たるを
律師詩に堪能
   箱の蓋に
紅花盃と
   書して去りぬ

 

紅花盃を
重ねて
雪夜の宴
   月出でたり
月出でたるに
   島臺の下暗き

 

島臺の下
暗き
蓬莱の
   松の上に
斜におとす
   光なれば

 

銀の錫懸
   用意あらむや
山の竹より
   笹を摘みて
陶瓶の口に
   挿せしのみ

 

王者の調度に
   似ぬは何々
其子の帶は
うす紫の
友禅染の
   唐縮緬か

 

艶ある髪を
   結ぶ時は
風よく形に
逆らひ吹くと
怨ずる恨み
   今無し

 

若き木樵の
   眉を見れば
燭を剪る時
   陰をうけて
額白き人
   室にあり

 

袴のうへに
   手をうちかさね
困ずる席は
   花のむしろ
筵の色を
   許するには
まだ唇の
紅ぞ深き

 

北の家より
   南の家に
來る道すがら
   得たる思は
花にあらず
   蜜にあらず

 

花よりも
   蜜よりも
美しく甘き
   思は胸に溢れたり

 

雷落ちて
   藪を焼きし時
諸手に腕を
   許せし人は
今相對ひて
月を挾む

 

盃とるを
   差る二人は
天の上
   若き星の
酒の泉の
   前に臨みて
香へる浪に
   恐づる風情

 

紅花盃
   琥珀の酒
白き手より
   荒き手にうけて
百の矢うくるも
   去るな二人
御寺の塔の
  扉に彫れる
神女の戲
   笙を吹いて
舞ふにまされる
   雪夜のうたげ
律師駕に命じて
   北の家に行き
月下の氷人
   去りて後
二人いさゝか
容儀を解きぬ

 

夜を賞するに
   律師の詩あり
詩は月中に
   桂樹挂り
千丈枝に
   銀を着く
銀光溢れて
   家に入らば
卜する所
   幸なりと

 

*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]

 

華燭賦(くわしよくのふ)   伊良子清白

 

律師(りし)は麓(ふもと)の
   寺(てら)をいでゝ
駕(が)は山(やま)の上(うへ)
   竹(たけ)の林(はやし)の
夕(ゆふべ)の家(いへ)の
   門(かど)に入(い)りぬ

 

親戚(うから)誰彼(たれかれ)
   宴(えん)をたすけ
小皿(こざら)の音(おと)
   厨(くりや)にひゞき
燭(しよく)を呼(よ)ぶ聲(こゑ)
背戸(せと)に起(おこ)る

 

小桶(こおけ)の水(みづ)に
   浸(ひた)すは若菜(わかな)
若菜(わかな)を切(き)るに
   俎板(まないた)馴(な)れず
新(あたら)しき刄(は)の
   痕(あと)もなければ

 

菱形(ひしがた)なせる
   窓(まど)の外(そと)に
三尺(じやく)の雪(ゆき)
   戸(と)を壓(あつ)して
靜(しづ)かに暮(く)るゝ
   山(やま)の夕(ゆふべ)

 

夕(ゆふベ)は
楽(たの)しき時(とき)
夕(ゆふベ)は
清(きよ)き時(とき)
夕(ゆふベ)は
美(うつく)しき時(とき)

 

この夕(ゆふベ)
   雪(ゆき)あり
この夕(ゆふベ)
   月(つき)あり
この夕(ゆふベ)
   宴(うたげ)あり

 

火(ひ)の氣(け)弱(よわ)きを
  憂(うれ)ひて
竈(かまど)にのみ
   立(た)つな
室(しつ)に入(い)りて
   花(はな)の人(ひと)を見(み)よ

 

花(はな)の人(ひと)と
よびまゐらせて
この夕(ゆふベ)は
   名(な)をいはず
この夕(ゆふベ)は
   名(な)なし

 

律師(りし)席(せき)に入(いつ)て
   霜毫(しやうがう)威(ゐ)あり
長人(ちやうじん)を煩(わづら)はすに
   堪(た)へたり夕(ゆふべ)

 

琥珀(こはく)の酒(さけ)
   酌(く)むに盃(さかづき)あり
盃(さかづき)の色(いろ)
   紅(くれなゐ)なるを
山人(やまびと)驕奢(おごり)に
   長(ちやう)ずと言(い)ふか

 

紅(くれなゐ)は紅(くれなゐ)の
   芙蓉(ふよう)の花(はな)の
秋(あき)の風(かぜ)に
   折(を)れたる其日(そのひ)
市(いち)の小路(こうぢ)の
   店(みせ)に獲(え)たるを
律師(りし)詩(し)に堪能(たんのう)
   箱(はこ)の蓋(ふた)に
紅花盃(こうくわはい)と
   書(しよ)して去(さ)りぬ

 

紅花盃(こうくわはい)を
重(かさ)ねて
雪夜(せつや)の宴(えん)
   月出(つきい)でたり
月出(つきい)でたるに
   島臺(しまだい)の下(もと)暗(くら)き

 

島臺(しまだい)の下(もと)
暗(くら)き
蓬莱(ほうらい)の
   松(まつ)の上(うへ)に
斜(なゝめ)におとす
   光(ひかり)なれば

 

銀(ぎん)の錫懸(すヾかけ)
   用意(ようい)あらむや
山(やま)の竹(たけ)より
   笹(さゝ)を摘(つ)みて
陶瓶(すがめ)の口(くち)に
   挿(さ)せしのみ

 

王者(わうじや)の調度(てうど)に
   似(に)ぬは何々(なに/\)
其子(そのこ)の帶(おび)は
うす紫(むらさき)の
友禅染(いうぜんぞめ)の
   唐縮緬(とうちりめん)か

 

艶(つや)ある髪(かみ)を
   結(むす)ぶ時(とき)は
風(かぜ)よく形(かたち)に
逆(さか)らひ吹(ふ)くと
怨(えん)ずる恨(うら)み
   今(いま)無(な)し

 

若(わか)き木樵(きこり)の
   眉(まゆ)を見(み)れば
燭(しよく)を剪(き)る時(とき)
   陰(かげ)をうけて
額(ぬか)白(しろ)き人(ひと)
   室(しつ)にあり

 

袴(はかま)のうへに
   手(て)をうちかさね
困(こう)ずる席(せき)は
   花(はな)のむしろ
筵(むしろ)の色(いろ)を
   許(ひやう)するには
まだ唇(くちびる)の
紅(べに)ぞ深(ふか)き

 

北(きた)の家(いへ)より
   南(みなみ)の家(いへ)に
來(く)る道(みち)すがら
   得(え)たる思(おもひ)は
花(はな)にあらず
   蜜(みつ)にあらず

 

花(はな)よりも
   蜜(みつ)よりも
美(うつく)しく甘(あま)き
   思(おもひ)は胸(むね)に溢(あふ)れたり

 

雷(いかづち)落ちて(お)
   藪(やぶ)を焼(や)きし時(とき)
諸手(もろて)に腕(かひな)を
   許(ゆる)せし人(ひと)は
今(いま)相對(あひむか)ひて
月(つき)を挾(はさ)む

 

盃(さかづき)とるを
   差(はづ)る二人(ふたり)は
天(てん)の上(うへ)
   若(わか)き星(ほし)の
酒(さけ)の泉(いづみ)の
   前(まへ)に臨(のぞ)みて
香(にほ)へる浪(なみ)に
   恐(お)づる風情(ふぜい)

 

紅花盃(こうくわはい)
   琥珀(こはく)の酒(さけ)
白(しろ)き手(て)より
   荒(あら)き手(て)にうけて
百(ひやく)の矢(や)うくるも
   去(さ)るな二人(ふたり)
御寺(みてら)の塔(たふ)の
  扉(とびら)に彫(ほ)れる
神女(しんによ)の戲(たはぶれ)
   笙(しやう)を吹(ふ)いて
舞(ま)ふにまされる
   雪夜(せつや)のうたげ
律師(りし)駕(が)に命(めい)じて
   北(きた)の家(いへ)に行(ゆ)き
月下(げつか)の氷人(ひようじん)
   去(さ)りて後(のち)
二人(にん)いさゝか
容儀(かたち)を解(と)きぬ

 

夜(よ)を賞(しよう)するに
   律師(りし)の詩(し)あり
詩(し)は月中(げつちゆう)に
   桂樹(けいじゆ)挂(かゝ)り
千丈(ぢやう)枝(えだ)に
   銀(ぎん)を着(つ)く
銀光(ぎんくわう)溢(あふ)れて
   家(いへ)に入(い)らば
卜(ぼく)する所(ところ)
   幸(さいはひ)なりと

25年ぶりの塔ヶ岳

風邪で吐く痰に血が混じりながら、『血を吐きながら続けるマラソン』のように登った。最後の登りのウツギの花のある場所に25年前を思い出して、そうだな、あんな時もあったなと、妙に感慨深くなって、しかし、へろへろになって辿りついた塔ヶ岳……3年生の最後の山行なので、是が非でも連れて行きたいと、僕は勝手に思っていたけれど、この最悪の体調の50歳で、バカ尾根(大倉尾根の別称)を往復できた僕は、少しだけ、頑張った気がした。何より、よかったな、ちばちゃん! セッキー! 今日はもう、これ以上に、言うべきことなど、ありはしない。肉体は、限界だ。でも、やるぞ! 魂の伊良子清白!

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