1964年7月31日の僕の絵日記
昨日、アリスを散歩させながら遠い昔、そこで母と父と三人で花火をしたのを思い出した。今は工場の駐車場になっているが、その頃、遥か丹沢を見晴るかす場所だった……43年も前の……
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7月31日
ぼくは、よるになってパパとママとで、わたうちのほうにいって、はなびをしました。はじめはパパがちかくにあったいしのうえでおおきいのをやりました。そのときは、ぼくはとうくでみていると、パパがあげたはなびがひかりました。はなびのなかで、かみの□きつような、サーチライトとゆう花火が一番おもしろく、ぴかぴかひかっていました。かえりに、きりどうしのところでおばけごっこをしました。
[やぶちゃん注:一部に判読不能な部分があり、それは□で示した。自分の字なのに読めないなんて……トホホ。]
[やぶちゃん後日注:教え子が判読してメールをくれた。「かみをきつ〔た〕ような」だ。確かに私も「の」にかぶさるのが「を」に見えたのだが、同じ日記の「を」の字がこれとは違った字体なので躊躇していた。しかし「紙を細く切ったような」という意味でしっくりくる。意味上の確実度は高いな。彼女は往年の「サーチライト」という花火を検索したのだ。まさかそこまで思いつかなかった。ありがとう。名前や花火の図柄……梶井基次郎の「檸檬」を思い出したよ。]
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とんでもないひどい絵だ。特に母はまるでお化けだな……この時、父は35歳、母は33歳……これは小学校2年生の夏休みの絵日記である(最後の赤字は当時の担任だった東塚先生のものだ)……でも、僕等の家族にとって一番、幸せだと思えたその一瞬であったのだとも思う……。僕の手元には、幼稚園時代から中学までの多量の絵や詩や作文が残っている(画家志望の父が唯一の今の僕にとって意義あることをしていてくれたと感謝する稀有の事例である)。誰のためでもないが、少しずつそれを公開するのも……やぶちゃん版「三丁目の夕日」染みていて、悪くないな……