初陣 伊良子清白
初陣 伊良子清白
父よ其手綱を放せ
槍の穂に夕日宿れり
數ふればいま秋九月
赤帝の力衰へ
天高く雲野に似たり
初陣の駒鞭うたば
夢杳か兜の星も
きらめきて東道せむ
父よ其手綱を放せ
狐啼く森の彼方に
月細くかゝれる時に
一すじ〔ぢ〕の烽火あがらば
勝軍笛ふきならせ
軍神わが肩のうへ
銀燭の輝く下に
盃を洗ひて待ちね
父よ其手綱を放せ
髪皤くきみ老いませり
花若く我胸顕る
橋を断ちて砲おしならべ
巌高く剣を植ゑて
さか落し千丈の崖
旗さし物乱れて入らば
大雷雨奈落の底
風寒しあゝ皆血汐
父よ其手綱を放せ
君しばしうたゝ寝のまに
繪巻物逆に開きて
夕べ星波間に沈み
霧深く河の瀨なりて
野の草に亂るゝ螢
石の上惡氣上りて
亡跡を君に志らせん[やぶちゃん字注:「志」はママ。但し崩し字。]
父よ其手綱を放せ
故郷の寺の御庭に
うるはしく列ぶおくつき
栗の木のそよげる夜半に
たゞ一人さまよひ入りて
母上よ晩くなりぬと
わが額をみ胸にあてゝ
ひたなきになきあかしなば
わが望満ち足らひなん
神の手に抱かれずとも
父よ其手綱を放せ
雲うすく秋風吹きて
萩芒高なみ動き
軍人小松のかげに
遠祖らの功名をゆめむ
今ぞ時貝が音ひゞく
初陣の駒むちうちて
西の方廣野を驅らん
*[やぶちゃん注:以下、底本準拠総ルビ。]
初陣(うひぢん) 伊良子清白
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
槍(やり)の穂(ほ)に夕日(ゆふひ)宿(やど)れり
數(かぞ)ふればいま秋(あき)九月(ぐわつ)
赤帝(せきてい)の力(ちから)衰(おとろ)へ
天高(てんたか)く雲(く)野(の)に似(に)たり
初陣(うひぢん)の駒(こま)鞭(むち)うたば
夢杳(ゆめはる)か兜(かぶと)の星(ほし)も
きらめきて東道(みちしるべ)せむ
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
狐(きつね)啼(な)く森(もり)の彼方(かなた)に
月(つき)細(ほそ)くかゝれる時(とき)に
一(ひと)すじ〔ぢ〕の烽火(のろし)あがらば
勝軍(かちいくさ)笛(ふえ)ふきならせ
軍神(いくさがみ)わが肩(かた)のうへ
銀燭(ぎんしよく)の輝(かゞや)く下(もと)に
盃(さかづき)を洗(あら)ひて待(ま)ちね
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
髪(かみ)皤(しろ)くきみ老(お)いませり
花(はな)若(わか)く我胸(わがむね)顕(をど)る
橋(はし)を断(た)ちて砲(つゝ)おしならべ
巌(いは)高(たか)く剣(つるぎ)を植(う)ゑて
さか落(おと)し千丈(ぢやう)の崖(がけ)
旗(はた)さし物乱(ものみだ)れて入(い)らば
大雷雨(だいらいう)奈落(ならく)の底(そこ)
風(かぜ)寒(さむ)しあゝ皆(みな)血汐(ちしほ)
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
君(きみ)しばしうたゝ寝(ね)のまに
繪巻物(ゑまきもの)逆(ぎやく)に開(ひら)きて
夕(ゆふ)べ星(ほし)波間(なみま)に沈(しづ)み
霧(きり)深(ふか)く河(かは)の瀨(せ)なりて
野(の)の草(くさ)に亂(みだ)るゝ螢(ほたる)
石(いし)の上(うへ)惡氣(あつき)上(のぼ)りて
亡跡(なきあと)を君(きみ)に志らせん[やぶちゃん字注:「志」はママ。但し崩し字。]
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
故郷(ふるさと)の寺(てら)の御庭(みには)に
うるはしく列(なら)ぶおくつき
栗(くり)の木(き)のそよげる夜半(よは)に
たゞ一人(ひとり)さまよひ入(い)りて
母上(はゝうへ)よ晩(おそ)くなりぬと
わが額(ぬか)をみ胸(むね)にあてゝ
ひたなきになきあかしなば
わが望(のぞみ)満(み)ち足(た)らひなん
神(かみ)の手(て)に抱(いだ)かれずとも
父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ
雲(くも)うすく秋風(あきかぜ)吹(ふ)きて
萩(はぎ)芒(すすき)高(たか)なみ動(うご)き
軍人(いくさびと)小松(こまつ)のかげに
遠祖(みおや)らの功名(いさを)をゆめむ
今(いま)ぞ時(とき)貝(かひ)が音(ね)ひゞく
初陣(うひぢん)の駒(こま)むちうちて
西(にし)の方(かた)廣野(ひろの)を驅(か)らん
*
後の文学報国会の連中が書くような如何にもの戦意高揚詩はおぞましいが、これは素直に僕の好きな詩だと言える。戦国の武将の少年の心になって――『其心に成りて』(というはきっと清白の詩心の大事なコンセプトだったように思える)謳う――文弱の僕でさえ、この少年になれる。プエル・エテルヌス! 清白!