伊良子清白「孔雀船」についての告解
僕は彼の詩句を全て理解できている訳ではない。それどころか、語句は勿論、そのイメージの飛翔についていけない理解不能な部分も少なくない。何より、素朴に教え子から「ここはどういう意味ですか?」と訪ねられるのを、秘かに畏れては、いる。現今、イメージが素敵ですとか、印象の素晴らしさに感銘するメールに留まっているのに、内心、胸を撫で下ろしているのである。しかし、僕の感じることは、彼の詩への注釈は現代語訳に等しくなるであろうこと、結果した現代語訳は所詮ある退屈な一解釈に過ぎないこと、それは勿論、確実に伊良子清白の遊んでいる透明な世界を完膚なきまでに破壊するであろうこと――等等……これも弁解過ぎぬのではあるが。
それに関わって今回の電子化でとまどったのは、ルビの区切りである。ソリッドな一体語句であるのか、そうでないのか、それなりに語句の意味を調べつつ、彼の音数律(これはかえって極めて厳密であるから、却って判断の助けとなった)と対応させながら、区切りを定めたが、一部に疑問な箇所があることも告白しておく。