1964年7月26日の僕の絵日記 43年前の今日 または 忘れ得ぬ人々17 エル
ぼくは、おとうさんとさかなつりにいった。はじめは、おとうさんが、いつっぱいつれていたが、ぼくの方もつれてきた。春は、くちぼそがたくさんいたが、いまは水がきたなくてあまりいませんでした。エルもいけにつれてい〔っ〕たので、おちや、しないかとしんぱいしました。
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この池は裏山の農業用水の溜池で、そこから西へずっと藤が丘の方まで谷間に田圃が続いていた。その池には、ウシガエル(春には子供の拳程もあるオタマジャクシが何十匹も黒々とした巨大なオタマジャクシの形の塊になって泳いでいたものだった)やアメリカザリガニ(大きなものを僕らはマッカチとかマッカチンと呼んでいた)、タニシにカワニナ、カワエビ、そうして日記にあるモッゴ(クチボソ)やメダカが沢山いた。春は母と池の端でノビルやセリを摘んだ。時には、刺青をした玄人ぽい人が不思議な真直ぐの釣竿で、天然のウナギを池から流れ出ている小川で探っていた。――
もう一つ、この日記には、懐かしい僕の古い家族が出てくる(心から残念なことに僕はそれをこの絵の中には描いていないのだが)。柴犬の雑種のエルである――前年の秋に、近所のお姉さんから貰った。当時はうるうさくなかったので、夜になると、鎖を外して放し飼いにしていたのだが、新聞屋さんの話によると、3キロも離れた大船の市街にまで遠征して、野良犬どもを総括する大将になって、北鎌倉の野良犬連を撃ち滅ぼす大変な勢いだったらしい。耳のピンと立った凛々しいスマートなエル――エルという名は、一年生の時の国語の教科書のエッセイに登場する(それは白いスピッツの挿絵だったが)犬の名をとったのだった。……そのエルも、この翌年の梅雨時、車にはねられて数日後の雨の降る朝、小屋の外で、毅然と(それは「毅然と」という言葉が本当に相応しいものだった)冷たくなっていた。母と父がその裏山の池の近くの、雑木林の中に埋葬した。僕は、泣いて学校を休んだのを覚えている……
……その池も田圃も雑木林も、今は、もうすべて広大な住宅地の下に消えた。……僕は、時々、そのエルを埋葬した辺りにアリスを散歩させる。そうして、「エル……」と名を呼んでみる……すると耳がすっかり垂れているアリスは怪訝な顔する……すると、その向うを、颯爽と走ってゆく、一匹の柴犬の幻影を僕は、決まって見るのである……
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