思い出す事など 終章
何を書こうか。
僕が愛した女たちのこと? 読む君らが、それはきっと退屈だろうし、それぞれに幸せに生きているその彼女たちにとっては、それは退屈以上に不愉快である。
しかし、では僕は何について語ればいいのか? 僕らは僕らの真の感動の一瞬について語ることを禁じられれば、それは生きたミイラとして生きることに外ならない、あの「こゝろ」の先生が遺書の冒頭で思ったように。「先生」は、かつて真に「静」を愛したことを語るために、今愛する「私」を選んだのである。それ以外に、あの作品の意味は、ない。されど、無数の庶民の愛は、決して「こゝろ」に収斂するような、ステロタイプな、糞のようなものでは、断じて、ない。それぞれに語り尽くすことのできない、確かな、あなただけのものである――
もともと800のブログを2年目の切りにしたかったから、こんな単発の訳の分からない(僕には充分に訳がわかっているものであるが)ものを重ねたことを告白しておく。だから、僕は僕を裏切ろう、これは僕のブログの799番目の「投稿」である――
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