忘れ得ぬ人々15 米谷さんちのお手伝いさん
幼稚園の頃、僕が住んでいた練馬の東大泉の、家の隣りの広っぱ(懐かしい響きだ。短い雑草が生え、時々砂やヒューム管が訪れては消えてゆくあの、正真正銘の広っぱだった)を隔てたところに米谷さんちはあった。ブチとクロのグレイハウンドを二匹飼っていた。昭和30年代初頭のそんな家を想像されたい。そこに、岩手から集団就職で来た、小太りのお手伝いさんがいた。頬がすっかり赤くって、いつも割烹着を着たお姉さん……それが、今日の僕の「忘れ得ぬ人」である……
僕は弱虫で泣き虫だった。広場で遊んでいても、きっと二日に一度はいじめられて泣いていた。そんな時、夕暮れのグレイハウンドの散歩をさせる彼女は、その体を左右に揺すって(それは二匹の犬に引っ張られていたからでもある)、いじめっ子の前にやってくると、ブルトーザーのように彼らを駆逐し、洟と涙でくしゃくしゃの僕の顔を、その割烹着の袖で拭ってくれると、彼女は決まって笑いながら言ったものだった――「泣ぐな、坊ちゃん。」――頼もしい大きな紅い頬の彼女の向うに、今はもう見ることのない美しい武蔵野の夕陽があった――
彼女は、たまの日曜日の許された休みになると、何故か、僕のうちに訪ねてきては、「奥さん、坊ちゃん連れて買い物行ってはいけんでしょうか?」と懇願して、僕を池袋のデパートに連れてゆくのだった。月に一度かニ度の彼女の少なかったであろう自由な時間に、彼女は必ず僕を連れてデパートへ行くのだった。
母の記憶では、彼女は、自分に同い年の末っ子の弟がいるのだと言っていたようだ。
僕は今でも、不思議に覚えている映像がある。
……池袋のごった返した年末のデパート……僕はきっと疲れたと言ったのだと思う……彼女は僕をオンブしている……エスカレーターに乗っている……ふと上を見ると上階に向かうエスカレーターの底が鏡張りになっていた……僕が見上げる……僕をおぶった彼女……人いきれと暖房で彼女は額に汗をかいている……僕を背負った上に買い物を両手にぶら下げている(それは故郷の親族や兄弟への正月のお土産であったかも知れない)……口でふうふう息している……ふと彼女が見上げた……鏡の中で眼が合った……
その時、彼女はさっと満面の笑みを浮かべる……あの、いつものあの紅い頬で……
僕の記憶にあるのは、それだけである。
僕の母は、残念ながらもう彼女の名を覚えていない。
今はただ、父が撮った、その二匹の犬と戯れる僕と割烹着の頬の紅い(しかしそれはモノクロームなのだが)はにかんだ彼女とその広っぱで一緒の写った写真が一葉あるだけである……。
……僕は彼女を、時空を越えた僕の永遠の恋人のように、今も、愛している……確かに、僕は愛している……あの真っ赤な頬と厚い背中の温もりと共に……